井関隆子の足跡

2017.02.11 Saturday

0
    ●●今、私は、静嘉堂文庫所蔵の、写本1冊『しのびね』を目の前にして、幕末天保期に江戸、九段下に住まい、日本の古典に向き合っている1人の女性に対し、畏敬の念を懐く。
    ●●人は、死をもって、この世から去り、何百億という、ケシ粒の1つとなって、忘れ去られてゆく。その中の、ごく一部の人が、歴史の上に、その名を留める。それは、生きている時、何を創り、それがどのように記録されたか、そうして、それらが、どのようにして、伝えられたか、という事であろう。
    ●●現役の頃、大学の私のサイトに書き込んだ日録がある。井関隆子の伝記に関する、第一資料『庄田家系譜』についてである。庄田家の系譜は、正本と副本がある。正本は、巻子本仕立で、第2次世界大戦の時も、東京にあって、御子孫によって守り続けられ、戦後は、銀行の貸金庫に保管されて守られてきた。井関隆子の伝記に関して研究する私達は、庄田家第11代安豊氏と、その実母、井下澄江氏の、御先祖を敬愛する姿勢に対して、感謝しなければならない。
    ●●第11代安豊氏は大妻女子大学教授であったが、『井関隆子日記』が、センター試験に出題されたのを契機として、お会いすることができた。そうして、多くの事を教えて頂いた。

    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

    平成16年5月1日(土)
    『庄田家系譜 副本』増補完了
    ●井関隆子の実家は庄田家である。庄田本家の嫡祖は、徳川家康に仕えた安勝。3000石を食む旗本であったが、長男・安利に2600石を、次男・安僚に400石を与えて、これを分家とした。隆子は、この分家の出である。
    ●庄田家には、系譜が、正本と副本の2点が伝えられている。正本は巻子本で、極めて貴重な存在であるが、これは、7代・安明までの記載である。これに対して、副本は冊子本であるが、10代・満洲五郎まで記載されていて、これはこれで存在価値がある。
    ●11代・安豊氏は、大妻女子大学の教授として活躍されていたが、平成15年2月7日、58歳の若さで他界されてしまわれた。安豊氏の実母の澄江氏は、この副本に、11代まで記録して、系譜を締め括りたい、という希望を出された。井関隆子を研究している私としては、断る訳にもゆかない。そこで、原稿を書いてもらって、増補することにした。
    ●本日届けられた『庄田家系譜 副本』の末尾には、次の如くある。
    「追記 平成十六年四月三十日/庄田安豊母 井下澄江 稿/昭和女子大学講師 承春先 書」
    つまり、今回の増補の追記は、本学の講師の承春先先生に依頼して書いて頂いた。
    ●私は、この重大な仕事を進めるに当たって、熟慮した。承先生の、展覧会での作品や、学生指導の様子、年賀状の文字、研究発表の内容、そして、何よりも、その人柄に引かれて、先生に白羽の矢を立てた。先生の側からすれば、文字通り白羽の矢を立てられた訳で、御迷惑であったかも知れない。しかし、先生は快く引き受けて下さった。
    ●4月17日、貴重な原本をお渡しした。あれから2週間、もう、そろそろか、昨夜、お電話をしようかと思った。しかし、芸術家をせきたてるのは失礼か、と一旦とった受話器をおいた。本日、2講時終了後、承先生が研究室に見えられ、補写完了の系譜を持参して下さった。
    ●昨夜、書写完了の見通しがつけば、私宛に電話しようと思った。しかし、時間は過ぎてゆき、完了は12時少し前であった。で、「四月三十日」とし、電話はできなかった。と承先生は申された。
    ●先生は、今回の書写に先立ち、母国・中国の父君に電話して、書体やその他の事に関して、指導を受けたという。父君は、書体はいずれでも問題はない。大切な事は、一字一字、真心を込めて書くことである。と教えて下さったという。
    ●私は、今、増補完了の『系譜』を手にして、承先生の墨書を読みながら、落涙に及ぶ寸前である。原稿を書いて下さった井下澄江氏も、黄泉の安豊先生も、きっと喜んで下さるだろう。だから、人間の社会は楽しいのである。承先生とお父さんに感謝。

    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

    ●●現在、『庄田家系譜 正本』も『庄田家系譜 副本』も、昭和女子大学図書館に所蔵されている。『井関隆子日記』の原本と共に、後世に伝えたい、という、庄田家の御子孫の御先祖を思い、歴史を考える、尊い意志が実現させたのである。

    ■『庄田家系譜 正本』巻頭 複製 


    ■キチ 隆子 の条


    ■第11代、庄田安豊氏法要記念会 
     遺影の右、実母井下澄江氏