笠間愛子先生 さようなら

2016.06.07 Tuesday

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    ●今日、笠間愛子先生の親戚の方から、淋しい御連絡を頂いた。
    尊敬する、法政大学の大先輩、笠間愛子先生が、5月24日、
    御他界なされたという。96歳の御生涯であった。


    笠間愛子先生、あたたかい御指導、心から感謝申上げます。


    ●私は、7年前のブログに次のようなことを記している。

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    89歳の笠間先生

    ●昨日は、川越新宿の笠間先生をお見舞いに行った。私の都合で少し遅れてしまったが、『芸文稿』第2号をお届けして、見て頂いた。本来ならば、先生には執筆メンバーの1人として、御参加頂く予定だった。この会の発足時の会員であったが、直後に体調を崩されて御入院、そのまま治療を続け、現在も快復に努めておられる。
    ●先生は、日本文学研究会の発足時の実行委員の1人でもある。昭和28年(1953)、この会の機関誌『文学研究』は創刊された。会の顧問は、西尾実・重友毅・近藤忠義・片岡良一・永積安明・西郷信綱・田中允の諸先生、常任委員は、小田切秀雄・小原元、実行委員は、市川通雄・大窪教海・小沢良衛・笠間愛子・菅原一記・高橋辰久などのお名前が並んでいる。
    ●『文学研究』は、第95号を平成19年(2007)に発行して、これを終刊号とし、研究会も解散した。50余年間の研究活動に参加され、多くの俳諧関係の御論文を発表された笠間先生である。
    ●先生は、ベッドの上で、毎日の出来事や、思ったこと、考えた事などを、小さなノートに記しておられる。もう、10冊以上になっていた。これまで研究されてきた俳諧関係のことも整理され、やがて、論文執筆の時に備えたいとも申しておられた。私に、協力できる事があったら、何でも致します、と申し上げて辞去した。

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    ●笠間先生の第一論文は、昭和31年である。

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    軽みについての一考察――炭俵を中心として――    笠間愛子

     軽みは、絶えず新味を求める工夫のあらわれであって、芭蕉が晩
    年一途に努力する修業の目標であった。
     俳諧が芸術であるためには、卑俗が卑俗のままに流れ、ただ面白
    おかしく笑ったり、くすぐりの笑いであったり、他愛なさであって
    はならない。心は高く、危い所に遊ぶこの軽みは、軽薄の意味で             
    はなく、清濁あわせのんだ心の豊かさと、経験の下地とから生ま           
    れる複雑を通りぬけた、簡素な味と単純の味であった。又それは、
    平安朝的な優雅美が、中世に至りやや生活的(現実的)要素を加味
    され、中世的象徴の奥深さ幽玄の味わいを添えられて、更に近世の
    生き生きした庶民の社会を通りぬけ、より現実的庶民的味わいに渾
    然と融合し発展し来った俳諧独自の世界に密接した味でもあった。
     私は、この軽みを、作品炭俵の鑑賞を手がかりにして検討し、さ
    び・しをりとのつながりについてもあわせ考えてみたいと思う。
    【これは冒頭の文章である。】
    (『文学研究』第8号 昭和31年8月発行)

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    ●これが、笠間先生の学界に対する、第一声であった。以後、
    何と多くの御論文を公にしてこられたことか。私は、これらの
    力作論文を研究書として刊行することを、お会いする度ごとに、
    申し上げ、出来ることは何でも協力すると申し出てきた。しかし、
    先生は承諾はされなかった。
    ●笠間先生は、昭和16年に、旧制埼玉県立川越高等女学校に赴任
    して以来、川越女子高で教えられ、定年後も、講師として勤務された。
    生涯を通じて、川越女子高校に国語教育、俳諧教育に、その情熱を
    捧げられたのである。
    ●私のように、なけなしの頭を、本にして出す、そんな生き方もあれば、
    笠間先生のように、優れたものを心の中に沢山持ちながら、それを女子高校生や
    一般の人々に、直接、講演として伝える、そのような生き方もある。
    ●笠間先生の御蔵書は、「笠間文庫」として、川越女子高校に所蔵して
    頂けるとのことである。これも、先生の御研究の記念として、
    有り難いことである。

    ■法政大学 日本文学研究会 創立期の役員


    ■笠間先生の第一論文