白髪の着物に袴姿の老人

2016.04.18 Monday

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    ●白髪の着物に袴姿の老人 野間光辰先生は、学会の時も、京都大学での
    最終講義の時も、和服姿だった。

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     昭和五十二年(一九七七年)六月の昼下がり、一台のタクシーが自宅の前に止まった。
    降りて来られたのは、白髪で着物に袴の老人であった。その日は丁度、日曜日だったので
    在宅しており、要件を伺うと二本松から来たと言う。名刺を見ると、
     京都大学名誉教授、隣に皇学館大学教授、そして、野間光辰と書いてあった。要件を聞くと、
    失礼ながら、お宅の仏壇のご位牌を見せて欲しいと言う。事情を飲み込めないので、それと当家はどういう関係なのか聞いてみた。すると、江戸時代初期に書かれた仮名草子、『可笑記』の作者が判らず、研究していたが、二本松の『梅花軒随筆』三休子作に、作者は如儡子であると書いてあるのを突き止めて、齋藤さんの菩提寺(松岡寺)に行き、自宅が山形県の長井市だとお聞きしたので訪問した次第だと言う。如儡子は三代目の親盛と言う。二本松の親戚からは、『世臣伝』という二本松藩、丹羽家の家臣の経歴を書いた本の中に当家の文書があり、写しをコピーして貰っているので判っていたが、小説家とは知らなかった。
     大きい位牌の最初に「武心士峯居士」とあるが、草子にも物故武心土峯居士と書いてあるらしい。お話をお聞きすると、その他にも『百八町記』や『堪忍記』『百人一首鈔』等があり、また、俳句も多数、残しているという。おそらく、死んだ父も知らなかったと思う。

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    ●これは、齋藤家、第13代、齋藤豪盛氏の『みちの奥の 町工場物語』
    の中の記述である。昭和52年6月、野間光辰先生は、如儡子の菩提寺、
    福島県二本松市の、松岡寺を調査され、その足で、タクシーで、山形県
    長井市の齋藤家まで行かれ、如儡子の法名の記された位牌を拝見された
    のであろう。そこから、あの、画期的な「如儡子系伝攷」が生れたのである。
    齋藤氏によると、この位牌を御覧になった、野間先生は、「おおっ」と感激
    の声を漏らされたという。研究者が、自説の裏付けとなる、物的証拠に
    めぐり合った時の感激であろう。
    ●この折の調査結果は、昭和52年6月の、日本近世文学会で口頭発表され、
    翌53年8月と12月に『文学』に誌上発表された。いくら感謝しても、
    感謝し足りないくらいの、画期的な新説である。この論文に接して、私の
    「如儡子伝記研究」は始まった。

    ■齋藤家仏壇


    ■如儡子の法名を記す位牌


    ■最初に、如儡子の法名と没日が記されている


    ■野間光辰先生の著書


    ■「如儡子系伝攷」