如儡子 にょらいし (コトバンク より)

2017.05.04 Thursday

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    如儡子 にょらいし (コトバンク より)


    .屮螢織縫国際大百科事典 小項目事典の解説
    如儡子
    にょらいし
    [生]?
    [没]明暦1(1655)頃
    江戸時代前期の仮名草子作者。「じょらいし」とも読む。 70歳くらいで没。本名未詳。最上家の浪人湯村式部,あるいは池田家に仕えた斎藤意伝ともいう。武心士峰,雪朝庵と号す。仮名草子『可笑記』にみずから記すところによると,母とともに江戸に出て仕官を志したが成功せず,不遇のうちに生涯を終えたらしい。ほかに仮名草子『百八町記』 (5巻,1655成立,64刊) ,和歌注釈『百人一首鈔』 (4巻) がある。
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    ▲妊献織訛膽泉の解説
    じょらいし【如儡子】
    [1603?〜1674]江戸前期の仮名草子作者。本名、斎藤親盛。山形最上家に仕えたが浪人となり、江戸で医者を業とし、著作の筆をとった。著「可笑記」「百八町記」など。にょらいし。
    にょらいし【如儡子】
    ⇒じょらいし(如儡子)
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    I寛併典マイペディアの解説
    如儡子【じょらいし】
    江戸初期の仮名草子作者。本名斎藤親盛。意伝と号す。山形最上家の家臣の子として酒田に生まれる。江戸に出て儒者となるが,のち医を業とする。《従然草》にならった社会批判の短文集《可笑記》,また《百八町記》を書いた。
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    ぅ妊献織詒 日本人名大辞典+Plusの解説
    如儡子 にょらいし
    1603?−1674 江戸時代前期の仮名草子作者。
    慶長8年?生まれ。もと出羽(でわ)山形藩主最上家の臣。主家改易(かいえき)により浪人となり,諸国を放浪。江戸で医を業とするかたわら,仮名草子を執筆した。延宝2年3月8日死去。72歳?姓は斎藤。名は親盛。通称は清三郎。号は「じょらいし」ともよむ。別号に以(意)伝,雪朝庵士峰。著作に「可笑記」「百八町記」など。
    如儡子 じょらいし
    ⇒にょらいし
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    ツ日日本歴史人物事典の解説
    如儡子
    没年:延宝2.3.8(1674.4.13)
    生年:慶長8?(1603)
    江戸時代の仮名草子作者。本名は斎藤清三郎親盛。意伝と号する。父斎藤盛広は出羽国山形藩最上家の家臣だったが,元和8(1622)年,家督相続をめぐる騒動のため藩は改易,浪人となる。親盛は江戸で医を業とする傍ら,当世批判の意を込めた『可笑記』(1642)を執筆。これに批評を加えたものに,浅井了意『可笑記評判』(1660)がある。万治2(1659)年,陸奥国二本松藩に仕官した長男秋盛に同行し,晩年はこの地で俳諧に遊んだ。著書にはほかに『百八町記』(写本)などがある。<参考文献>野間光辰『近世作家伝攷』
    (樫澤葉子)
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    世界大百科事典 第2版の解説
    じょらいし【如儡子】
    1603ころ‐74(慶長8ころ‐延宝2)
    仮名草子作者。本名斎藤親盛。号は意伝。山形最上家の臣斎藤盛広の子として酒田で生まれた。1622年(元和8)最上家改易で浪人となった父に伴い祖父の旧地越後に転じ,のち江戸に出て,一時松平光仲(政?)家の儒者となるが,浪人して医を業とする。59年(万治2)子秋盛(ときもり)の出羽二本松仕官に伴って下る。才能あって不遇の境涯から,社会批判の書として《可笑記》(1642)を書き,また《百八町記》(1664ごろ)を書いている。
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    大辞林 第三版の解説
    じょらいし【如儡子】
    ⇒ にょらいし(如儡子)
    にょらいし【如儡子】
    (1603?〜1674) 仮名草子作者。斎藤氏。別号、以伝・雪朝庵士峰。山形の人。戦国武士的道徳観に立ち、江戸初期の政治・世相に対する痛烈な批判を仮名草子中に展開した。著「可笑記」「堪忍記」など。
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    日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
    如儡子 じょらいし (?―1674)
    江戸前期の仮名草子(かなぞうし)作者。「にょらいし」ともいう。本名斎藤親盛(ちかもり)、号意伝、雪朝庵士峯(せっちょうあんじほう)。父斎藤筑後守盛弘(ちくごのかみもりひろ)とともに山形最上(もがみ)家に仕え、1622年(元和8)最上家改易のため浪人。放浪中に父を亡くし、江戸に出て、豊田屋喜右衛門(とみたやきうえもん)などの町人に助けられ、右筆(ゆうひつ)や医者を業とし、その間著作の筆をとった。1659年(万治2)嫡男秋盛が二本松藩の丹羽光重(にわみつしげ)に召され、これとともに二本松に移住し、俳諧(はいかい)に遊ぶなどの晩年を送った。延宝(えんぽう)2年3月8日没。墓は二本松市松岡町、松岡寺。著作には仮名草子『可笑記(かしょうき)』(1642刊)、『百八町記』(1664刊)があり、そのほか『百人一首鈔(しょう)』『堪忍記』が写本で残されている。[田中 伸]
    [参照項目] | 可笑記
    『可笑記』
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    世界大百科事典内の如儡子の言及

    【可笑記】より
    …仮名草子。如儡子(じよらいし)作。5巻。…
    ※「如儡子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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    如儡子 はてなキーワード  深沢秋男執筆

    如儡子(にょらいし)  

    仮名草子作者。「如儡子」の読みは「にょらいし」が正しい。姓は斎藤、字は清三郎(せいざぶろう)、本名は親盛(ちかもり)、号は以伝、法名は武心士峯居士。慶長8年(1603)頃出生、延宝2年(1673)3月8日没。酒田(山形県)の筑後町に生れる。父の広盛は最上家親に仕え、川北三奉行の職にあった。清三郎も家親に仕え、主君から一字を賜り、親盛の名を許された。元和3年(1617)に主君・家親が急死し、最上家57万石は没収され、1万石になってしまう。最上家の後には酒井家が入ったが、広盛・親盛の父子は、酒井家に仕えず、浪人となる。浪人になった親子は、一時、祖父・光盛の出身地越後(新潟県)に行くが、間もなく父が急死し、親盛は、やがて江戸へ出る。江戸へでてから、ある大名の祐筆を務めたが長続きせず、再び浪人となる。やがて、医者となり、越後から妻子を呼び、細々と生計をたてる。万治3年(1660)に子の秋盛(ときもり)が二本松(福島県)の丹羽光重に仕えることになり、二本松へ移住する。晩年の約15年間は二本松で俳諧などを楽しみ、その生涯を閉じた。享年72歳か。亡骸は二本松の神龍山松岡寺(臨済宗妙心寺派)に葬られた。

    如儡子・斎藤親盛は、18歳ころまでは、酒田の奉行の子として勉学に励み、主君・最上家親に側近く仕えたが、最上家転封の後は浪人となり、貧しい生活を送った。そのような厳しい生活の中でも、武士としての誇りをもって著作活動に励んだ。

    【著作】

    ◎ 『可笑記』(かしょうき) 5巻5冊、寛永6年(1629)執筆開始、同19年(1642)11行本刊行。以後、12行本・無刊記本・絵入本と刊行され、近世初期を代表する仮名草子のベストセラーになった。『徒然草』や『甲陽軍鑑』を利用して著作した随筆的な仮名草子である。内容的には批判精神の横溢したもので、作者の思想や生き方がよく盛り込まれている。浅井了意はこの作品に批評を付加した『可笑記評判』を著し、以後、『続可笑記』『可笑記跡追』『新可笑記』『一休可笑記』『歎異抄可笑記』『後前可笑記』『前句付可笑記』『後可笑記』などの作品が、著された。

    ◎ 『砕玉鈔』(さいぎょくしょう) これは、『百人一首』の注釈書で、寛永18年(1641)頃には成立していたものと推測される。武蔵野美術大学図書館に原本が所蔵されており、書写年代も近世初期と推測され、著者の自筆本の可能性がある。内容的には、易しく『百人一首』を解説したものである。この原本を書写した諸本が多く伝わっている。

    ◎ 『堪忍記』(かんにんき) これは、近世初期の諸大名の石高や藩の内情を記し批評を付加したもので、成立は、正保2年(1645)頃と推測される。この種の類書の中では最も早い成立で、貴重な著作である。このような、膨大な全国の大名の情報が、浪人の著者に収集できるものではなく、如儡子は、ベースになる情報を、何らかの方法で入手し、それに批評を付け加えたものであろう。福井県立図書館の松平文庫本と内閣文庫・2本の3点が伝存している。

    ◎『百八町記』(ひゃくはっちょうき) 5巻5冊、明暦元年(1655)の序があり、寛文4年(1664)に京都の書肆中野道判から出版された。儒教・仏教・道教の三教一致を主張した著作である。一里三十六町、三里で百八町という書名の付け方である。内容的には仏教に重点がおかれていて、晩年は仏道(臨済宗)に帰依した著者をみる事ができる。

    ◎ その他、晩年の俳諧作品が多く遺されている。

    【参考文献】
    ◎ 田中伸「『可笑記』の研究」(『仮名草子の研究』桜楓社、昭和49年)
    ◎ 野間光辰「如儡子系伝攷」(『近世作家伝攷』中央公論社、昭和60年)
    ◎ 深沢秋男「如儡子(斎藤親盛)調査報告(1・2・3・4・5)」(「文学研究」「近世初期文芸」昭和63年〜平成5年)
    ◎深沢秋男『斎藤親盛(如儡子)伝記資料』(近世初期文芸研究会、平成22年)
    ◎深沢秋男『如儡子百人一首注釈の研究』(2012年3月20日、和泉書院発行)
    ◎「齋藤筑後守記念碑」が、山形県酒田市、上日枝神社境内に建立された(平成23年10月23日)。



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