コトバンク 井関隆子 いせき たかこ

2017.05.07 Sunday

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    コトバンク 井関隆子 いせき たかこ

    井関隆子 いぜき たかこ
    .妊献織詒 日本人名大辞典+Plusの解説

    井関隆子 いぜき-たかこ
    1785−1844 江戸時代後期の歌人。
    天明5年6月21日生まれ。30歳ごろ西丸納戸組頭井関親興の後妻となったが,42歳のとき死別。和歌,国学をおさめ,大奥につとめた。天保(てんぽう)11年から15年までの「井関隆子日記」には800首余の和歌がしるされ,当時の世相をつたえる貴重な史料とされる。天保15年11月1日死去。60歳。江戸出身。本姓は庄田。歌集に「井関隆子長短歌」。
    出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

    朝日日本歴史人物事典の解説

    井関隆子
    没年:弘化1.11.1(1844.12.10)
    生年:天明5.6.21(1785.7.26)
    江戸後期の旗本庄田安僚の娘。名はキチ。江戸生まれ。30歳ごろ,旗本井関弥右衛門の後妻となる。特定の師につかず,蔵書を熟読して独学で古典への理解を深めた。天保11(1840)年から他界する20日前の弘化1(1844)年の約5年間の日記には,江戸城内の動きや世間の事件,家族の動向,自身の文化活動を記述している。そのなかには公の記録より真実を伝えるものも多い。仏者や儒者には好感を持たず,国学的思想や平安朝文学などに影響を受け,『神代のいましめ』,『さくら雄物かたり』(1838)などの擬古物語も著している。<参考文献>深沢秋男校注『井関隆子日記』全3巻
    (柴桂子)
    出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

    367日誕生日大事典の解説

    井関隆子 (いせきたかこ)

    生年月日:1785年6月21日
    江戸時代後期の旗本庄田安僚の娘;日記作者
    1844年没
    出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

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    井関隆子の関連情報
    旗本夫人が見た江戸のたそがれ―井関隆子のエスプリ日記 [著]深沢秋男(2007-12-16)
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    ぐ羇慘柑辧 .Εキペディア 深沢秋男執筆
    井関 隆子(いせき たかこ、1785年(天明5年)6月21日 - 1844年(天保15年)11月1日)は、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した歌人、日記作者、物語作者。
    目次 [非表示]
    1 来歴
    2 著書
    3 書写本
    4 脚注
    5 参考文献
    来歴
    幕臣、大番組・庄田安僚の四女として、四谷表大番町(現在の新宿区大京町26の辺)に生れる。20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、23歳の頃に離婚。30歳の頃、納戸組頭・井関親興と再婚、2人の間に子は無かった。井関家の屋敷は、九段坂下(現在の千代田区九段1-5の辺)にあった。文政9年(1826年)に夫が没し、以後は、本を読み、歌を詠じ、日記や物語を書いて悠々自適の生涯を送ったという[1]。
    著書
    『井関隆子日記』全12冊
    著者の自筆本が、昭和女子大学図書館に所蔵されている。天保11年1月1日から同15年10月11日までの898日間の日記。その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、人物・社会・政治・学問・文学などに対する批評などが記されている。特に、子の親経や孫の親賢から伝えられる、江戸城内の様子が詳細に書き留められている。江戸時代の日記文学としても価値があり、また、当時の歴史的資料としても価値がある[1]。
    『さくら雄が物かたり』 6巻1冊
    著者の自筆本。東北大学附属図書館・狩野文庫蔵。内容は、平安朝の『竹取物語』『伊勢物語』『源氏物語』などの構想を借りて、現実の仏教界を厳しく批判したものと解釈される[2]。
    『神代のいましめ』写本、墨付28葉
    昭和女子大学図書館所蔵の、鈴木重嶺の「翠園叢書」の、巻26の中に収録されている。内容は、平安朝の散逸物語『隠れ蓑』などに構想を得て創られた物語で、首席老中批判を通して、人間の表裏の二面性を描いている[1]。
    『いなみ野』吉海直人氏所蔵の写本『物かたり合』墨付54葉の内、5葉
    播磨の国、印南野を舞台にした物語である。隆子は、すすき・尾花が大好きで、その思いを作品化したものと思われる[3]。
    『井関隆子長短歌』
    『秋野の花』に短歌が収録されている。その外、『井関隆子日記』にも800首ほどの、長歌・短歌が収録されている。
    書写本[編集]
    桑原やよ子著『宇津保物語考』 写本1冊、静嘉堂文庫蔵。
    蔵田茂樹著『恵美草』 写本1冊、国立国会図書館蔵。
    吉田兼好著『徒然草』 巻子本1巻、箱に「雅文 源隆子」とあり、『徒然草』第15段、第189段の書写[4]。
    脚注
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    ^ a b c 深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
    ^ 新田孝子「井関隆子の文芸―館蔵『さくら雄が物かたり』の著者」(『図書館学研究報告』東北大学、13号、1980年12月)
    ^ 吉海直人「新出資料『物かたり合』の翻刻と解題―井関隆子周辺の創作活動―」(『同志社女子大学 日本語日本文学』8号、1996年10月)
    ^ 吉海直人「〈新出資料〉井関隆子自筆『雅文』の影印と解題と紹介」(『文学研究』91号、2003年4月)
    参考文献[編集]
    『井関隆子日記』全3巻、深沢秋男校注、勉誠社、1978年11月 - 1981年6月。
    ドナルド・キーン「井関隆子日記  Ν◆Ν(百代の過客―日記にみる日本人―)」朝日新聞、1984年4月4日 - 6日
    深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
    深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』文春新書、2007年11月
    真下英信『古代ギリシア史論拾遺』私家版、2008年2月
    真下英信「『井関隆子日記』に見られる地震の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』26号、2009年3月
    真下英信「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』29号、2012年3月
    真下英信「音で読む『井関隆子日記』:天気の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』30号、2013年3月
    真下英信「音で読む『井関隆子日記』:鳥」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』31号、2014年3月
    真下英信「音で読む『井関隆子日記』:物売り」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』32号、2015年3月
    → 井関隆子 http://www.ksskbg.com/takako/index.html

    グ羇慘柑卞記  はてなキーワード 深沢秋男執筆
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    井関隆子日記いせきたかこにっき

    目次
    井関隆子日記とは
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    1、 著者 井関隆子

    井関隆子(いせき・たかこ) 幕末の旗本の主婦。天明5年(1785)6月21日出生〜天保15年(1844)11月1日没、60歳。
    江戸・四谷表大番町で生れた。現在の新宿区大京町26の辺である。父は大番組・庄田安僚である。
     隆子の実家の庄田家は、3千石の旗本、庄田安信を祖とする庄田家の分家である。庄田本家の第3代安勝は長男安利に2千6百石を与え、次男安議に4百石を分知して、これを分家とした。

     安議を祖とする分家の庄田家は、延宝5年(1677)3月、四谷表大番町に6百60坪余の屋敷を拝領した。隆子はここで生れ、育った。
     父は、分家4代の大番組・庄田安僚で、隆子には、3人の兄、3人の姉、1人の妹がいた。
     父・安僚は、隆子が8歳の時に没したので、隆子は母親と長兄・安邦の下で成長した。
     20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、間も無く離婚し、しばらく実家にいたが、30歳の頃、納戸組頭・井関親興の後妻として井関家へ嫁いだ。
     嫁ぎ先の井関家は、江戸城に近い九段坂下の飯田町にあった。これは、井関家が代々、小納戸組や広敷用人など、将軍の側近くに仕える家柄であったためである。
     井関家に嫁いでからも、暫くは旗本の主婦として多忙であったと思われるが、12年後に夫・親興が没し、家督を子の親経が継いだので、家庭の切り盛りも、親経の妻が引き継ぎ、隆子は悠々自適の生活を送ることになる。このような生涯を見わたすと、家庭環境の上でも時間的にも、比較的に自由に、文筆の道に打ち込む事ができたものと思われる。
    隆子は、古学を教える塾に学んだり、冷泉流の老女に歌の指導を受けたり、また、国学者の林国雄を家に招いて講釈を聞いたりしたようであるが、いずれも満足できるものではなかったようである。結局は、賀茂真淵や本居宣長などの国学関係の本を読んで、独学で古典の知識を身につけ、教養を蓄えていったものと推測される。
    隆子の著作には、『井関隆子日記』『さくら雄が物かたり』『神代のいましめ』『いなみ野』などがある。

    2、『井関隆子日記』(いせきたかこにっき)

     幕末・旗本主婦の日記。著者の自筆の原本が、昭和女子大学図書館・桜山文庫に所蔵されている(鹿島則幸氏旧蔵)。大本、12冊、合計966葉、毎半葉11行、1行約29字、挿絵18図、鹿島則文・鹿島敏夫の識語を付す。
     内容は、天保11年(1840)1月1日から同15年10月11日までの日記。著者56歳から60歳までの5年間であるが、毎日記されている訳ではなく、全1753日間の内、898日について記されており、1日の分量も小は2行程度のものから、大は12葉(24ページ)に及ぶものもあり、必ずしも一定していない。各年の分量は、最初の11年が最も多く4冊、以後は各2冊と半分になっている。これは、12年以後、年中行事などの記述を省いたためと推測される。
     『日記』に書かれている具体的な内容は、日付、その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、幼い頃や若い頃の思い出、人物・社会・政治・学問・文学等に対する批評、折々に詠じた和歌などが、著者の意のおもむくままに記されている。
    特筆すべき点は、著者の子の井関親経(ちかつね)が、御広敷御用人を勤めていて、第11代将軍・徳川家斉の正室・広大院(松の殿)の係であったところから、当時の江戸城大奥の様子が詳細に伝えられていることである。

    【テキスト】

    『井関隆子日記』全3巻(深沢秋男校注、昭和53年(1978)11月30日〜昭和56年6月5日、勉誠社発行)

    【参考文献】

    ○深沢秋男著『井関隆子の研究』(平成16年(2004)11月1日、和泉書院発行)
    ○音で読む『井関隆子日記』:物売り
     真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
     第32号 2015年3月刊行
    ○補遺2“江戸は諸国の掃き溜め”との表現について
     真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
     第32号 2015年3月刊行
    ○音で読む『井関隆子日記』:鳥
     真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
     第31号 2014年3月刊行
    ○音で読む『井関隆子日記』:天気の記述
     真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
     第30号 2013年3月刊行
    ○補遺“江戸は諸国の掃き溜め”との表現について
     真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
     第30号 2013年3月刊行
    ○『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり
     真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
     第27号 2012年3月刊行
    ○『井関隆子日記』に見られる地震の記述 補遺
     真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
     第28号 2011年3月刊行
    ○井関隆子の自然を見る目
     真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
     第27号 2010年3月刊行
    ○『井関隆子日記』に見られる地震の記述
     真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
     第26号 2009年3月刊行

    ●『井関隆子日記』は、次の大学入試に出題された。
    〔3〕 平成23年度、京都大学入試に『井関隆子日記』出題
    〔2〕 平成20年度、明治大学入試に『井関隆子日記』出題
    〔1〕 平成11年度、センター入試に『井関隆子日記』出題
        この年、国語・古典と日本史に出題された。