徳川家斉と「下総作り」

2016.03.01 Tuesday

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    ●依田徹氏は『盆栽の誕生』の中で、第11代将軍、徳川家斉の
    植木好きに関して、次のように記しておられる。

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     十一代将軍の徳川家斉もまた、鉢木の愛好家であった。
    その愛好について絵図面付きで貴重な証言を残してくれているのが、
    『井関隆子日記』である。この日記を残した井関隆子は、九段坂下に
    屋敷を構えた、将軍家直属の家臣である旗本・井関家の夫人であった。
    隆子夫人は豊かな教養を備えた上に筆まめな性格であり、日々のことを
    詳しく書きとめている。また日記は天保十一年(一八四〇)から同十五年まで
    つけられており、この時期、隆子夫人の息子である井関親経が、「広敷用人」
    を務めていた。この役職は、大奥への取次をつとめており、それも家斉の正妻
    である広大院のお付きであったという。このため、隆子夫人のところには江戸城の
    内情が詳しく伝わっており、当時の幕府に関する重要な情報を含んでいる一級の史料
    である。
     では、この日記の鉢木についての記述を見てみよう。日付は、
    天保十一年十月四日である。

    最近、庭に棚を作って、大小さまざまな「作りたてたる松」を飾りました。(中略)
    木や草の作り方も、時代によって変わるものでしょうが、松の幹を「打ちたわめ」
    、枝を交互に伸ばすことは、昔も今も似たものでしょう。しかし最近、「下総作り」
    といって、枝を見せずに、山の形のように仕立てたものが登場してきました。この
    「下総作り」を曲がった松の中に取り混ぜると、一風変わって見えました。
    「西の太政大臣の君」は、とくに植木が好きだと聞いています。この「下総作り」
    の松を御覧になられると、葉の繁った様子を気に入り、愛好するようになったそうです。
    それ以降、世間でもこの「下総作り」がもてはやされるようになったそうです。
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    ■『井関隆子日記』のその条
    原本は、昭和女子大学図書館蔵 複写の関係で緑色が良くない。