『井関隆子日記』 の文体

2016.03.03 Thursday

0
    ●今、私は、如儡子の『百八町記』を読んでいる。仏教・儒教・道教の
    三教一致思想を説いた著作であるが、内容が内容だけに、複雑で難しい
    もともと、私は仏教が苦手で、中世から近世に卒論を切り替えたほどである。
    が、しかし、如儡子が書いた本であるから、これは避けられない。
    ●文学を研究する者にとって、最初に出会う、その作品の文章は、
    極めて重要な要件であろう。今、思い出すと、『天保日記』との出会いは、
    衝撃的であった。千葉・新検見川の団地の一室で、初めて読んだ時、何だ、これは? 
    と思った。
    ●この日記が、大学入試センター試験に出題された時、多くの受験参考書
    が取り上げたが、その解説は、通り一遍のものが多く、中には誤りのものもあった。
    ●そのような中で、「式部」のハンドル名で発信していた「折々の歌」という
    サイトの内容はすばらしかった。このサイトの主は、長年高校で国語を教えておられる、
    久保由美氏であった。

    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

     「  あり果てぬ世にはあれども今はとて命惜しみし人しかなしも
    (『井関隆子日記』より)
     井関隆子(1785〜1844)は幕末の武家の女性。先日のセンター試験に
    彼女の日記が取り上げられたが、これはその中にあった一首である。
     この歌が載っているのは天保13年(1842)2月21日の記述の部分で、
    隆子は58歳、病死した夫・親興の17回忌に寄せる思いがつづられている。
    歌の意味は、「ずっと生き永らえることはできないこの世だけど、死を迎えた
    その時、命を終えることを悲しんだあの人がいとおしい」というもの。
    「かなし」は、「悲し」ではなく、「愛し」と書く。夫・親興は、病が癒えた
    あとのささやかな楽しみをあれこれと描いていたが、それがかなわないことを
    知って嘆き悲しんだという。
     彼女は契沖(国学者)の言葉を引き合いに出して、「いまわの際にいかにも
    悟ったようなことを言って命を惜しまないのは、人の真実の姿ではない、というのは
    まったくその通りだ」と述べ、さらに白楽天(中国の詩人)がこの現世に心をひかれる
    ところなどありはしない、と言っているがそれも本心ではなく、「だいたい悟りなどと
    いうものは言葉の上のことだけで、もし本心からそう思っているならば、その人はもともと
    生まれついての愚か者、情愛というものを知らない馬鹿者に違いない」と断じている。
     この時代、すでに外国船も日本周辺に出没し、町人も次第に勢いを得つつあったが、
    まだまだ「散り際のいさぎよさ」を美徳とした武士の価値観は生きていたと思われる。
    そういう中にあって、命を惜しんだ夫を限りなくいとおしんで、その無念さを思いやり、
    契沖や白楽天も引き合いに出して「悟り」のうそくささを喝破した彼女の見識は、実に
    見事であり、率直な感情の表現が、読むものの心を打つ。
     井関隆子は、この二年後に世を去った。「井関隆子日記」は、昭和47年に深沢秋男氏
    によって見出されたもので、現在も研究、調査が続けられている。
     (なお、今回は深沢秋男「井関隆子の人と文学」を参考にしました。)」

    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

     久保氏はセンター試験でこの歌に接して、その感想を率直にネットの世界で綴って
    おられる。今回、このネット上の批評を収録させて頂きたいと、メールを差し上げたところ、
    快く御承諾下さり、
    「……センター試験の問題を解いてみる機会があり、初めて読む文章ながらすっかり
    感動してしまって、あの文章となったわけです。……長年高校生に国語を教える仕事を
    してきましたが、あれだけ率直に感動できる「古典」に出会ったのはもしかしたら
    初めてかもしれません。近世の文章ということで、比較的読みやすかったですし。」
    と返信を頂いた。私としては、久保氏が、この隆子の歌に率直に感動されたという点と、
    『日記』の文章が読みやすかったと言われている点に注目している。隆子の文章は、
    当時の国学者がものした、いわゆる擬古文とはまた別の隆子自身の文章だからである。
    ★★この引用は、平成16年(2004)に出した『井関隆子の研究』(和泉書院)
      のものである。★★
    ●私は、この日記の文体が、当時の国学者の擬古文の文体、古代文とは異なり、
    近代の文体だと考えている。しかし、これを国語学的に実証するには、10年間が
    必要となるだろう。この課題は、将来の国語学者に託したいと思う。

    ■久保氏の「折々の歌」