『桜斎随筆』 出会いから刊行まで

2016.10.24 Monday

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    鹿島則孝編著『桜斎随筆』の閲覧

    ●平成2年(1990)10月15日、鹿島神宮の、鹿島則幸様をお訪ねした。鹿島家第66代大宮司、鹿島則孝の記録『桜斎随筆』の中に、『井関隆子日記』についての記述がある、と教えられたので、是非、閲覧させて欲しいと、お願いしたのである。
    この時、閲覧したのは、次の通りである。
    ○都日記・2冊。○上京日記・1冊。○万我津比の記・3冊。○
    桜斎書牘集・7冊。○桜斎雑記・1冊。○桜斎雑録・1冊。○則
    孝雑記・2冊。○飛鳥川附録・1冊。○家茂将軍謁見記・1冊。
    ○幕府朱印改渡記・2冊。○幕府祈祷次第記・I冊。○朝廷御寄
    附米記・1冊。○末社遷宮記・2冊。○官弊使御参向記・1冊。
    ○復古二年紀・3冊。○桜斎家督記・I冊。○水戸家書類・1冊。
    ○則文諸祝儀・1冊。○大宮司鹿島連家系・1冊。○日記、大宮
    司としでのもの。そして、『桜斎随筆』60冊があり、その他、詠草などもあった。
    この時の調査結果は、『文学研究』第72号、平成2年12月発行、に詳しく報告している。
    ●これらの資料は、極めて貴重な内容であるので、調査・研究したいと申し出て、鹿島則幸氏の御厚意で、全て拝借した。帰宅後、借用書を作成して、鹿島氏に送り、以後、これらの資料の調査を進めた。
    ●この中で、特に『桜斎随筆』60冊は、幕末・明治の貴重な資料と判断されたので、この出版を考えた。

    刊行計画開始

     前々から、大きな企画を依頼されたいた、O社に打診したところ、検討したいとのこと故、原本、5冊を持参して出版を依頼した。2ヵ月後、検討の結果、3559丁、7120頁、と大部なゆえ、出版は出来ないと断られた。

    鹿島則孝関係書の紹介
    『桜斎随筆』は、一般に知られていない。少しでも認知してもらえるような活動を開始した。

    ●平成4年3月
    「鹿島則孝の『桜斎随筆』」 『古書通信』752号。
    ●平成5年6月15日
     『鹿島則孝と『桜斎随筆』』を私家版で刊行。
    ●平成10年7月25日
     『神宮々司拝命記』を私家版で発行。

     その後、友人の国語学者、野澤勝夫氏の御配慮で、中田祝夫先生に御相談して、K書房を紹介して頂き、文部省の助成出版を考えた。この時の私の腹案は、昭和女子大学の長谷川強先生を中心にして、研究助手の2名にも参加してもらって、全冊複製の本文編と研究編で構成しようと考えた。中田先生から連絡してもらって、野澤氏と2人で神田のK書房へ伺い、社長さんに検討してもらった。この案は、それなりによいが、何としても、本文が大部過ぎて、結局、この案は成立しなかった。

     平成11年、万事休す。そこで、私は、この『桜斎随筆』を、高橋マイクロ写真に依頼して、全冊マイクロ複写して、ネガをつくり、そのネガからポジフィルムを作成してもらうことを考えた。そのポジを実費で、希望する図書館に提供する計画を立てたのである。高橋マイクロ写真に全冊複写の見積りを依頼した。何としても、この貴重な資料の複製を後世に伝えたかったのである。その時、菊池眞一先生から連絡があり、本の友社で検討してもよいとのことを伝えられた。

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    平成11年12月、本の友社の編集者が、昭和女子大へ見えて、研究室で刊行計画を相談した。
    〔1〕 全冊、原寸複製、18巻に収録し、1年1回発行とし、6巻ずつ発行、3年間で完結する。
    〔2〕 本文版下原稿、解説等の原稿は、全て深沢が執筆作成し、本の友社へ入稿する。
    〔3〕 第1回配本、平成12年、第2回配本、平成13年、第3回配本、平成14年。 全18巻の予定価36万円+税

    原稿作成開始

    ●平成11年10月
    コピー機 RICOH−IMAGIO−MF2230をリースで導入し、本文原寸複写開始。複写物と原本の照合作業は、極めて厳しい仕事だった。無心で、則孝の筆跡を追い、汚れ、ゴミと、原本の状態を、1字、1行、1丁、と真剣に比較して進めた。

    ●桜斎随筆・1巻〜6巻 平成12年11月10日、本の友社発行、6巻計120000円+税。(鹿島則良・深沢秋男 編)。出版社の手違いで、奥付に、編者名が無い。
    ●桜斎随筆のしおり 平成12年11月10日、本の友社発行、(鹿島則良・深沢秋男 編著)
    ●桜斎随筆・13巻〜18巻 平成13年11月10日、本の友社発行、6巻計120000円+税。(鹿島則良・深沢秋男 編)
    ●桜斎随筆・7巻〜12巻 平成14年11月10日、本の友社発行、6巻計120000円+税。(村上直・深沢秋男 編)


    村上直先生のこと

    ●法政大学名誉教授・村上直先生は、近世史の大家である。『桜斎随筆』の、第23冊〜37冊は「あすか川」で、特に歴史的資料である。そこで、村上先生に、特にお願いして、編者になって頂き、御指導を賜った。
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    村上直[ムラカミタダシ]
    1925年、東京都生まれ。東京第一師範学校を経て、1951年、法政大学文学部卒業。1958年、東京都立大学大学院(日本史専攻)修了。文学博士。現在、法政大学名誉教授。江戸幕府の政治、特に関東を中心に代官及び天領、江戸近郊の地域史の研究に取り組んでいる
    肩書:法政大学名誉教授
    経歴:
    1965年4月  駒沢女子短期大学講師・助教授・教授
    1971年10月 法政大学文学部助教授
    1973年4月  法政大学文学部教授
    1974年3月  文学博士を授与される
    1978年4月  文学部長・能楽研究所長
    1981年7月  通信教育部長
    1993年11月 川崎市文化賞(学術)を受賞
    1996年4月〜 法政大学名誉教授 現在に至る
    主な著書:
    1965年 『天領』 人物往来社
    1983年 『江戸幕府の代官』 国書刊行会
    1997年 『江戸幕府の代官群像』 同成社
         『江戸幕府の政治と人物』 同成社
    2004年 『江戸近郊農村と地方巧者』 大河書房 他

      【かわさき科学アカデミー】より
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    ●村上先生は日本歴史専攻であり、私は近世文学であるので、特に接点はなかった。しかし、近世史専攻の先生の著作は、かなり前から読んでいた。初めてお会いしたのは、佐渡の「天領セミナー」だったと思う。突然、佐渡の毎日新聞の磯野さんから電話があって、セミナーに参加しないか、と誘われた。私が、鈴木重嶺の研究をしていたからである。
    ●その後、新大久保の全龍寺にある、鈴木重嶺の墓所を新宿区の史跡に指定申請することになり、この時も村上先生に御指導頂いた。「鈴木重嶺顕彰会」立ち上げの時も村上先生に顧問になって頂いた。
    ●平成14年には、鹿島則孝の『桜斎随筆』を本の友社から出す事になったが、その中の『あすか川』は歴史的要素が強いので、村上先生に編者になって頂いた。先生は快く引き受けて下さり、詳細な解説を書いて下さった。
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    ・・・『桜斎随筆』のうち、巻17から巻30の15巻は、特に「あすか川」と題してまとめた資料が収録されている。『国書総目録』によると、「あすか川」または「飛鳥川」と題する随筆集は他にも見うけられるが、本書のように全1260余丁、千余項目に及ぶ大部なものは見当たらない。本来「あすか川」とは、大和国(奈良県)の中部を流れる川の名であるが、歌枕にもよく詠まれている。「あすか川」は、古来流れの変化が激しかったので、よく定めなき世の中の例えに引用されることが多くあったといわれる。したがって、学殖豊かな鹿島則孝が、幕末維新の激動を川の流れの激しさに譬え、「あすか川」と名付けたのではないかと推測することができる。・・・
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    先生は、このように記しておられる。この本の出版の時は、本の友社の編集者と共に、村上先生と何回もお会いして、多くの事を御指導頂いた。
    ●以後、何か書いたりした時は、先生に差し上げたが、その度に、励ましのお言葉を賜った。文学研究が専攻ではあるが、歴史を重視して、歴史に興味をもっていた私は、村上直先生から、非常に多くの事を御指導いただき、心から感謝している。

    『桜斎随筆』の活用
    『桜斎随筆』が刊行されてから14年が経過した。現在までに、この資料が、歴史関係の研究者から、少なからず活用されている。今後、さらに多くの方々に利用され、幕末・明治の歴史的疑問が解明されるものと思う。このことを、鹿島則孝と共に喜びたい。
                        平成28年10月24日

    ■『鹿島則孝と『桜斎随筆』』
     平成5年6月25日発行

    ■『神宮々司拝命記』
     平成10年7月25日発行


    ■『桜斎随筆』全18巻
     平成14年11月10日完結

    ■『桜斎随筆のしおり』
     平成12年11月10日発行


    ■『桜斎随筆』第1回配本の奥付


    ■『桜斎随筆』第3回配本の奥付


    ■『桜斎随筆』第2回配本の奥付