『樋口一葉日記』 と 『井関隆子日記』

2016.03.06 Sunday

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    ●今日の朝日新聞に、93歳のドナルド・キーン氏の新作『石川啄木』
    の広告が出ていた。早速、書店に注文した。
    「千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ『ローマ字日記』。
    膨大な資料をもとにその生涯と作品を読み解く。」
    とも出ている。キーン先生の執筆意欲に対して、敬意を捧げる。
    ●もう40年近く前になるが、全く無名の幕末女性の日記を出した時、
    野口武彦氏の論文に出会って、私は感激した。「一葉日記の雅文体と散文
    ――女流日記文学の復権――」(『国文学』昭和59年10月)である。
    野口氏は、何と、私の出した『井関隆子日記』を、読んでくれていたのである。
    ●王朝女流日記文学の黄金時代以後、近代の一葉文学まで、表面的には、
    女流文学空無の時代が続いていたように見えるが、実は、潜流になっていた
    だけで、近世に、『松蔭日記』や『井関隆子日記』や『梅颸日記』があったのだ。
    野口氏は、このように述べておられる。
    ●文学研究を実践する者に要求されるのは、その作者の作品に出会って、
    何を受容し、何を感受し、それらを、どのように評価するか、ということだと
    思う。
    ●野口氏は、『樋口一葉日記』の文体について、極めて重要な見解を
    提出しておられる。一葉の初期の日記は、雅文体であったが、明治25年、
    明治27年ころから変わって、散文文体になるという。
    「一葉日記の日記文学への本格的な離陸〔テイクオフ〕であった。」
    と述べておられる。
    ●文学において、その表現手段としての〔文体〕は極めて重要な意味を
    持っている。近代の作者、一葉には、その思いを表現するには、雅文体
    では、もう、物足りなかったのだろう。
    ■ドナルド・キーン氏の新作『石川啄木』の広告