鹿島則文の伝記

2019.04.16 Tuesday

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    鹿島則文の伝記

    ●国学院大学のデーターベースで、鹿島則文の項を見て、鹿島則文の伝記を書いた頃を思い出した。『井関隆子日記 中巻』(昭和55年8月30日、勉誠社発行)の巻末に「鹿島則文と桜山文庫」を収録した。これは、やや異例なことである。桜山文庫の所蔵者、鹿島則幸氏の要請によって、私は、鹿島則文伝を執筆し、この中巻に入れたのである。

    ●鹿島則文は、鹿島神宮大宮司家の、第67代目である。内容は以下の通り。

     ー島則文(国学者伝記集成)
    ◆ー島家系図
     『先考略年譜稿』(鹿島敏夫)
    ぁー島則文の生涯
      八丈島送り
      八丈実記序
      伊勢神宮・大宮司
      皇學館大學の開校
      古事類苑の編纂刊行
      桜山文庫
      参考文献

    ●私は、鹿島則文の伝記を執筆していて、ある段階で、ピタリと筆が止まった。それは、則文に著作が、ほとんど無い、という事にぶつかったからである。それまでの、私の常識では、過去の偉大な人物は、多くの著作を遺している。人は、その著作によって、歴史上の評価も受ける。

    ●この偉大な鹿島則文に著作が、余りにも少ない。鹿島則幸氏にたずねても、「ございません」という答え。これでは、伝記は書けない。1か月余り、中断した。私など、貧しい知識を振り絞って、本を書いている。則文ほどの人物が、どうしてなのか。
    ●そんな、ある日、ふっと、あの狩野文庫の狩野亨吉を思い出した。
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     則文は、五歳にして歌を詠じ、小説を読んだという。幼くして吉川天浦の指導を受け、長じては安井息軒の門に学んだ。しかし、後世に自らの詩文を遺すことには、あまり意を用いなかったようである。則文の書き残したものでまとまっているのは、八丈流人時代の『南遊雑録』『八丈八景帖』『南島名勝集』(編著)くらいのものである。全身全霊を以て神に仕え、子弟の教育に専念する時、自分の詩文を作るゆとりはない、そんな生き方を則文はしたのかも知れない。
     日本自然科学思想史の開拓者と言われる、哲学者で大教育者の狩野亨吉は、死後、書き残したものを集めたところ、一部の小冊にしかならなかったという。しかし、亨吉の蒐収した貴重な古典籍は「狩野文庫」として遺された。
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    ●私は、鹿島則文の伝記をまとめて、人間の生き方の、ひとつのタイプを発見したのである。

    ■鹿島則文の墓(鹿嶋市)



    ■現在の鹿島家