『可笑記評判』について        

2017.04.23 Sunday

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    『可笑記評判』について
                深沢 秋男


     『可笑記評判』については、これまで二度卑見を述べた事がある。一度は『可笑記』との関連において、この両者の内いずれが、現実の社会に対して、より批判的であるかを考え、この点では『可笑記』に、より一層厳しい現実批判がある事をみた。もう一度は『評判』の時代背景について調べ、寛永末年から寛文初年にかけては、批評書類の刊行が目立つ事を指摘し、浅井了意が『評判』を作ったのも、それらの気運と関連するのではないかと述べた。さらに『評判』の翻刻作業(1)を通して気付いた事などを合わせて、ここでは『評判』全体について考え、その意義について私見を述べてみたいと思う。  
    『評判』を考えるにあたって、次の三つに分類したいと思う(2)。
    〔1〕 解説的なもの…………一三四段
    〔2〕 批評的なもの…………一〇二段
    〔3〕 批評を省略したもの……四九段

     〔1〕には、主として『可笑記』の内容に異議の無いものや、賛成しているものを入れたが、これらが批評作業の結果である以上、批評的でないとは言えない。ただ「批評」においては、より一層否定の精神が重要な位置を占めると思われるので〔2〕と区別したのである。また、これを単に「異議の無いもの」「賛成しているもの」
    としなかったのは、それらの諸段において『評判』は『可笑記』の内容に対して、単に賛意を示すのみでなく、その不足を補い、また詳しく説くことが強いので「解説的」としたのである。なお、これらは特定の主題(例えば、主君、武士、仏教、学問等)によって、〔1〕と〔2〕に分かれるという傾向はないように思われる。
     さて、〔1〕解説的なもの、の一群をみると、巻三の7や巻五の36などの如く、評らしい評を付けない、ごくわずかな章段を除けば、いずれも『可笑記』の内容を整理し、解り易く説いている。また、和漢の故事や例話を付加して詳しく解説している段も少なくはない。さらに巻三の16、巻四の16、巻五の6・22・40・58などのに如く、単なる解説の域を越えているものも、少数ではあるがみられるのである。これらの解説的な章段は全体の半数にも及んでおり、それは、『評判』が『可笑記』の解説書としての性格を備えているという事を物語っている。
     この外、解説的な要素として、次の二点を指摘したい。まず第一に『評判』は『可笑記』の各段毎に標題を付加しているという事である。それらは、巻四の22「人をほめすごす事」や巻四の41「祈るにしるしなきは信心浅き故の事」や巻五の48「万事後を思ふべき事」などの如く不適切のものも中には見られるが、概して諸段の内容を要領よくまとめている。これらの標題は『可笑記』全体の内容を見渡すという点でも、読者にとって便利な導きになったものと思われる。
     第二に『評判』は『可笑記』の出典を指摘しているが、それは百余箇所にも及んでいる。これは当時盛んに行なわれた、古典の注評釈と関連するものと思われるが、これだけ『可笑記』の内容の源泉を指摘した事は『可笑記』研究史の上からみても、十分留意すべき事と思われる。ただ『評判』の作者は最初から『可笑記』の注釈書を著わそうとしたのではなかったように思われる。批評を加えようとして読み進めるにつれ、思い付く出典を、あるいは手元の参考書を開きながら指摘したまでの事と思うが、それだけに『評判』の作者の博識ぶりが伺われるのである。
     この標題の付加と出典の指摘とは『可笑記』の内容を一層解り易くしているという点で、共に解説的な役割を果たしているものと思う。

     〔2〕批評的なもの、の中で内容的というよりも、文字や文章などについて批評したものも少なくない。
    文字に関するもの……一の35、五の65。
    言葉に関するもの……一の45・46、五の40。
    文章に関するもの……一の44、二の17・39、三の17・31、四の4・10・22・34・39・46、五の4・7・20・34・43。
     これらの一群をみると、中には曲解や揚げ足取り的なものもみられるが、『可笑記』の文章の不備や不自然さを鋭く指摘してもいる。ただ、ここで注意すべき事は、巻四の39の『可笑記』本文には甚だしい重複が見られるのに、この段の文章について何も批判を加えていないという事である。この重複した文章は、寛永十九年版十一                          
    行本から無刊記本へ移る過程で整理されているのであり(3)、『評判』は、やはり無刊記本を批評のテキストに使用していたものと判断される。
     次に内容面での諸段を見渡すと、これにも、曲解もあり、批評がための批評もある反面、『可笑記』の言説に真正面から取り組んだ熱のこもった批評もある。これら両者の決定的な対立点のいくつかについては、以前(『文学研究』23号)考察した事があるので、ここでは『評判』の作者を知る上で参考になるものを、〔1〕のものをも含めて取り上げ、少し具体的に考えてみたいと思う。
     従来『評判』の作者・浅井了意は武士の出身で、後に出家したとされてきた。しかし、この両者を読み比べてみると、『可笑記』の作者が自らを武士として、たとえ牢人の身にあるとは言え、そこに並み並みならぬ自負と毅然たる態度とを持っているのに対して、『評判』の作者には、何か武士らしからぬものを見出すのである。一例を示すと、武士の心得や軍陣についての段において、『評判』も『可笑記』に劣らぬ分量で批評を付すが、そこには実感がない。そして『可笑記』は、清盛・頼朝・正成・信玄・謙信・信長・秀吉・家康等の武将を記す場合でも、敬意を表わす「公」。の文字を必ずと言っていい程に付けている。それに反して『評判』はほとんどが呼び捨てであり、時折付けるにとどまる。これは、これらの過去の武将に対する評価とは別に、どこまでも尊敬するという、いかにも武士らしい『可笑記』の作者と、それらを知識的に受けとめている『評判』の作者との違いではないかと思われる。そして『評判』の作者は、全体的にみるならば、博識者としてかなり理性的に批評を加えているのであるが、『可笑記』が仏教批判をすると、やや感情的な面を露呈する。
     仏教一般についての段(四の11・41、五の24。一の35、三の13、四の3・5、五の4)では是々非々の態度で解説し、批判しており、特に巻三の16や巻五の25には、『評判』の唱導に対する積極的な姿勢をみる事ができる。しかし、そこに特定の宗派が出ると態度が変わってくる。
     巻四の24は、出家したなら故郷を離れるべきである、という一段であるが、ここで『可笑記』は例として「さる浄土衆上人、ひかりかゞやく装束にて、いすのうへゝのしあがり、談義をとかれしとき」にそれを聴聞する男女が色々と取り沙汰する様を、やや皮肉めいた筆つきで出している。これに対して『評判』は「しかるべき学者となり、倚子に上りて説法するほどならば、さこそ法門もたうとかるべし。只その法をとりて、僧をいやしむ事なかれ。」と応じて、それに続けて「又出家のみにもかぎらず。侍分の者日比にをひて身のおこなひをつゝしむべし。」とその矛先を武士に向けるのである。これは明らかに『可笑記』の作者即ち武士、という意識からする、
    それへの反発であろうと思われる。これと同様な事は巻四の27や巻五の14にもみられる。
     巻四の36「仏前を見て其寺を見かぎりし事」の段は『評判』も指摘する通り『徒然草』十一段に想を得たものである。兼好は枝もたわわになった柑子をきびしく囲っているのを見て「ことさめ」たのであるが、『可笑記』は「かの仏のみまへは当世やうにしなし、色々いろどりたるだてづくし、ひとへに浄土日蓮一向宗のすみかとおぼえて、たちまちになまぐさくなりもて行、此仏だんなくばよからましかばと、けうさめてかへりぬ。」と当世風の美々しい仏壇に興ざめたのである。これに対して『評判』は、心ある人でなければ、このような所に住んでいる訳がない、それなのに此書の作者が興ざめしたのは心得がたいと評する。的外れの批評と言わなげればならない。そして仏前を美々しく飾るのを批難した例は過去にないと言い「今なにゝ依てか仏前の奇麗なるをそしるや。」と詰問するのである。『可笑記』は『徒然草』に触発された、自らの美的感情に拠っているだけである。さらに『評判』は「浄土日蓮一向宗をけがれたる者と思ふ人は、諸国にならびなき禅宗か天台宗か真言宗か。」と言い「此段などあしく方人して空見におち給ふなよと思ふ斗也。」と結ぶ。『可笑記』がさらりと書いた一段に、向きになって批判を加えている『評判』の作者をここに見る事ができる。『可笑記』は巻五の8でも現実の生臭坊主を批難しで「浄土宗、日蓮宗、一向宗」を槍玉に上げているが、『評判』は「浄土日蓮一向宗は末世さうお
    うの法」であるとし、『可笑記』の逸脱に対しては「仏経にくらき人の会釈誠に片腹いたし。」と難じている。さらに巻一の19・29、巻四の7などの発言や批評態度から推測すると『評判』の作者は浄土宗あるいは一向宗と関係があるように思われるのである。このように見てくると、批評を省略したものの中で、仏教に関するものが
    六段あるが、巻一の40と巻三の29は浄土宗を、また巻三の6と巻五の10は生臭坊主をそれぞれ諷刺しており、巻五の50と68は禅僧の問答を出取り上げている。共に『評判』の作者にとって、批評を付加する意欲を失わせるような内容であったという事ができる。
     ここに『可笑記』の作者・武士←→『評判』の作者・僧侶、という図式が出てくるのであり、これは全体を通してみても低触するところはないように思われる。
     野間光辰氏は「了意追跡」(4)において、了意の出自に関して考察され、「了意は摂州三島江の浄土真宗本照寺の一子として生を享けた。」という説を出された。諸種の資料を分析、考証されたこの新説は認められてよいと思うが、『評判』の内容から考えてもそれは妥当なものと思われるのである。

     次に『評判』の批評の仕方について考えてみたいと思う。使用されている評語をみると、賛成する場合は「いとよし(尤よし)」…12、「さも有べし」…6、「聞えたり」…3、「おもしろし」…2、等となっており、反対の場合は「心得がたし」…23、「知がたし」…6、「聞えがたし」…5、「誤りなり」…7、「曲なし」…3、等となっている。これらの批評語からも解るように、『評判』は『可笑記』の内容に対して、面白いか面白くないか、ではなく、善いか悪いか、正しいか誤りか、という視点から批評を加えているのである。これは『可笑記』を教訓書としてのみ受けとめている『評判』であってみれば、当然の事でもある。
     そして、その批評の基準となっているのは、儒教や仏教を中心とする和漢の典籍であると言う事ができる。
     『評判』の作者はそれらの和漢の典籍に広く通じていたようではおるが、それを自分の中で消化し、取捨して、自らの立場を強く打ち出すという事は少ない。ただ、ここで注意しておきたいのは、儒教的なものの中で、朱子批判がみられるという事である。巻四の5「儒仏互に誹合事」で、儒教より仏法を異端と言い始めたのは朱子からであると指摘して「朱子すでに仏法をあやまれり」としている。また巻四の48「蘇韶死して後人に逢たる事」でも「鬼には声なしといへる朱子の説心得がたし」と批判している。勿論このようにわずかなものではあるが、あるいは当時の儒学界の動向の影響が、ここにあるのかも知れない。
     このように『評判』は儒仏を中心とする書物を拠り所に『可笑記』の内容を是か非かと批評しているのであるが、それは裁断批評のようでありながら、全体としてみる時、必ずしも切れ味のよいものとはなっていない。批評態度の基調の一つとなっているものに「物ごと一概すべからず」というのがあり、序をはじめ、全体では十六
    箇所で使われているが、それらは相対的とか分析的とか言い得るものではなく、多く但し書的である。
     一例として巻四の47「学文に根の透らぬ事」をあげてみる。ここで『可笑記』は、学問をするにも一度に集中的に根をつめ過ぎると健康を害する事もあるので、無理をせず毎日継続的に行なうべきだ、と説いている。これに対して『評判』は「末代になりて人の根機つたなく成たる故と理らずしては聞えがたし。」と言って、日夜を分かたず学問して成功した例話をそこに対置するのである。このように『可笑記』は、一つの主題を提出する場合、その主題の現象の一つを前面に出して説くことが多い。すると『評判』は、その同じ主題の反対面の現象をそこに対置して反論しようとする。このような方法では本質的な批評は不可能である。そしてこの段でも『評判』は「此書の三の巻に、朱文公が勧学の文を引て、学問をすゝめたる文章と、今此段とは相違せり。此作者はいづれの方をよしとおもひけん。」と記さずにいられないのである。「此書の三の巻」というのは誤りで、巻二の25(四
    の1)「朱文公学文をすゝめられし事」を指しているものと思うが、その段はやはり学問を主題としているが、そこでは、時間は夢の如くはかなく過ぎ去るものであるから、学問をするにも、一日伸ばしにせず、今日ばかりと思って油断すべきではない、と『可笑記』は説いているのである。そして、との二つの段で言っている事は、学問の仕方において、いずれもその真理を指摘しているという事ができる。この両段に矛盾を感ずるのは、評者の賢しらである。

     最後に、〔3〕批評を省略したもの、についてみる。『可笑記』の本文と共に省略した三段は、『評判』が本文を作る際に機械的に誤脱させたものと思われるので特に問題はない。残る四十六段を見渡して、まず気付くのは、『徒然草』の影響の下に、世の無常について述べたものや、中秋の夕べに貫之を思い出して一首ものした一段など、いわば、教訓的色彩が濃い『可笑記』の中では、比較的文芸性のある一群のものが多いという事である。それは、教訓的な歌を掲出している如きものまで含めると二十四段(一の7・14・40・47、二の2・10・12・22・29・31、三の6・23・29、四の8・17・20・29・38・45・52、五の52・57・68・70)にもなる。この事は、『可笑記』に最初から文学的な面白さを求めていない『評判』であってみれば、また故の無い事ではない。次に多いのは、武士の心得等に関するもの十段(一の7・47、四の26・43、五の61・62・71・77・84・88)である。これは『可笑記』の内容自体、武士に関するものが多いのであり、その事と無関係ではないと思うが、ここにはや
    はり、『評判』の作者の興味の問題が係わっていると言い得よう。次に目につくのは、仏教を諷刺したもの六段であるが、これはすでに指摘したように、『評判』の作者の立場を反映したものであるという事ができる。これらの批評を省略した諸段は、右のように考えると、一応納得のゆくものとなっている。  
     以上みてきたように、『評判』は文芸批評書というよりも、むしろ倫理批評書というべき内容をもっている。それは『可笑記』が教訓的意図をもって著作されている事を思う時、あるいは当然の事と言えるかも知れない。ただ『可笑記』は、そのような意図をもちながらも、なお、教訓にのみとらわれず、時としてその枠からはみ出
    し、文芸的雰囲気の中に遊ぶ余裕をもっていた。これに対して『評判』は、『可笑記』を教訓書としてのみ受げとめ、その意図の通り、『可笑記』の教訓的な内容に限って批評を付加した。また、たとえ『評判』が倫理批評書であったとしても、もう少し創造する事があったならば、それは、教訓書を批評して批評文学となっていたかも
    知れない。『評判』はあまりにも創造するという事に意を用いなかったのである。解説して、また批評して『可笑記』以上のものを創出していると思われる段が実に少ないのである(二の9・11・45、三の25・30、四の11、五の6・40)。ここに『評判』の文学としての限界をみなければならない。そして、もし、この『評判』に文学史の上での意義を認めるとするなら、次の如き諸要素においてである。
     まず、『可笑記』に一段一段標題を付加し、内容を要約した事。その半数に及ぶ諸段において内容をこまかく分解して説明している事。その意味で『評判』は『可笑記』の解説書であったと言える。また多くの出典を指摘し、少なからず誤りを訂正している事は、一面からみれば、『評判』は最初の注釈書・研究書であったとも言え
    るのである。これらの『評判』の著述は、現代の我々が『可笑記』を読む場合、参考になる事が少なくないのであり、それは永遠に消える事のない『評判』の業績である。そして『可笑記』全五巻に真正面から取り組み、批評を加えたそのエネルギーは、これを認めなければならない。
     ただ、その解説は知的解説にとどまり、注釈は徹底を欠き、そして真の意味での批評的情熱が見出し得ないところに、『評判』が、解説書まがい、注釈書まがい、批評書まがい、のものに終わった原因があるものと思われる。これはこの時代の仮名草子・批評書類にも通ずるものと思われるが、今後、他作品との関連を分析して、考
    えをさらに深めたいと思う。
     なお、紙数の関係で具体的な分析や、実例を掲げられなかったが、別の機会に再考したいと思っている。

    注(1) 『可笑記』と『可笑記評判』(『文学研究』23号、昭和
         41年6月)
        『可笑記評判』とその時代(『文学研究』33号、昭和46
        年7月)
         『可笑記評判』翻刻(近世初期文芸研究会発行、昭和45
         年12月)
    (2) 『可笑記』に拠って各段を示すと次の通りである。

     〔1〕解説的なもの…一の2・3・4・5・11・15・16・17・18・21・22・23・24・29・30・31・33・34・36・37・38・39・42・44・48、二の3・9・11・13・19・21・25・28・30・33・34・36・37・38・43・44・45・47、三の2・3・4・5・7・8・10・11・12・。15・16・18・20・21・24・25・26・27・30・33・34・36・39・40・41・42、四の1・2・7・9・11・16・18・19・21・23・24・28・30・32・33・34・37・40・41・44・46・48・49・51、五の1・3・5・6・11・12・13・14・17・19・20・21・22・23・24・25・27・29・31・32・33・36・37・38・40・46・47・53・54・56・58・59・64・67・69・72・73・74・75・76・81。
     〔2〕批評的なもの…愚序評・一の1・6・8・9・10・12・13・19・20・25・26・27・28・35・41・43’45・46、二の1・4・5・6・7・8・14・17・18・23・24・26・27・32・35・39・40・41・42・48、三の1・9・13・14・17・19・22・28・31・32・35・37・38、四の3・4・5・6・10・12・13・14・16・21・22・25・27・31・34・35・36・39・43・47・50、五の2・4・7・8・15・18・30・34・35・41・42・43・44・48・49・51・55・60・63・65・66・78・82・83・85・86・87・89・90。
     〔3〕批評を省略したもの…一の7・14・32・40・47、二の2・10・12・15・16・20・22・29・31・46、三の6・23・29、四の8・15・17・20・26・29・38・42・43・45・52、五の9・10・16・26・28・39・45・50・52・57・61・62・68・70・71・77・79・80・84・88。

    (3) これについては『近世初期文芸』1号(昭和44年12月)
      で詳しく述べておいた。
    (4) 日本近世文学会、昭和43年春季大会で口頭発表の後、北
      条秀雄氏『改訂増補浅井了意』に収録。

     【『日本文学の研究――重友毅博士頌寿記念論文集――』昭和49年7月15日、文理書院発行 所収】