鈴木重嶺の晩年の住所

2016.08.30 Tuesday

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    ●今日、甲斐市のM氏から手紙をもらった。2008年に、
    私が書き込んだブログに関係していた。この方の御先祖様は、
    明治32年の頃、東京市麹町区飯田町五丁目三十番地に
    お住いだったという。そのことと、私の書き込んだ鈴木重嶺に
    関する記事と関連がないか、という趣旨である。そのブログは次の通り。
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    2008-10-06 ブログ
    鈴木重嶺の掛軸Add Star
    19:20
    ●先日、菊池先生の紹介で、鈴木重嶺の掛軸を入手した。いろいろ貼り合せた重嶺の軸であるが、作品は和歌一首。

     森鵑 ほととぎすあすもきかばやおひしげる 杜のこかげにをちかへりなく
                               八十五翁  重嶺

    重嶺の85歳は、明治31年である。この年の11月に没しているので、没年の初夏あたりの歌であろう。
    ●また、この軸には、重嶺の手紙の封書が2枚貼られている。消印は「武蔵 府中 二十九年八月十二日」とあり、差出人は「麹町区飯田町五丁目三十番地 鈴木重嶺」とあるので、この年は明治29年8月12日に重嶺の住所が解る。手紙1枚でも、伝記の資料になるという事を知っている人物が、この軸を作ったのであろう。感謝したい。
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    ●鈴木重嶺は、明治29年8月12日には、麹町区飯田町五丁目三十番地
    に住んでいた。明治31年11月26日、東京市牛込区神楽町2丁目17番地
    で没している。M氏の御先祖様は、明治29年以後に、鈴木重嶺の住んでいた、
    麹町区飯田町五丁目三十番地に移住された、ということであろうか。
    ●鈴木重嶺と同じ住所に住まれた方の御子孫から、お便りを頂き、重嶺の最晩年
    の行動が少し明らかになった。

    ■鈴木重嶺の掛軸
     現在は、昭和女子大学図書館に所蔵されている。


    掛軸の部分