『井関隆子日記』 は擬古文か

2016.03.06 Sunday

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    ●「ぎこぶん【擬古文】江戸中期から明治時代にかけて、
    国学者が、古代、特に平安時代の和歌や文章にならい、
    その語彙、語法を用いて作った文章の一体。平安時代以前
    の文章を雅言、雅文とする国学者の復古運動に由来する。
    賀茂真淵、村田春海、加藤千蔭、本居宣長、清水浜臣らの
    ものが知られる。」(日国、2版) 
    ●当時の国学者は、古代文明に憧れ、その文芸の世界を範
    として、そこに戻ろうとした。しかし、井関隆子は、平安朝
    の文芸、『源語』に親しみはしたが、その世界に埋没することは
    なかった。そのような作者が、平安朝の文体に倣った、擬古文
    を書くだろうか。
    ●多くの大学入試参考書などや、一部の研究者は、『隆子日記』の
    文体は、擬古文である、としている。雅文ではあるが、擬古文
    ではない、と私は認識している。

    「・・・本より漢才〔からざえ〕ありて、手などよく書れしときけば、
    おのづから唐心になづみたることもまじれれど、猶一とふしありて、
    近き世、いにしへ学びとて、物する人の文に似ず、はた、雲の上人
    の筆のすさびにも違ひて、一つの姿あり。・・・」

    ●これは、松平定信の『花月草子紙』の文章に対する、隆子の批評である。
    隆子は、当世の国学者の擬古文をも、雲上人の文章をも意識して、自分の
    文章を書いていたのである。
    ●『井関隆子日記』の文体は、古代語ではなく、近代語で書かれた雅文体
    である、そのように、私は考えている。
    ■『井関隆子日記』天保15年3月21日の条