漱石に従った 我が人生

2016.12.11 Sunday

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    ●夏目漱石が没後100年ということで、今、話題になっている。
    やはり、近代日本文学の中では偉大な作家である。
    ●私は、高校時代から、日本文学の漱石・鴎外・藤村などを愛読し、
    世界文学も、ドストエフスキー・トルストイ・バルザック・ロマン
    ロラン……などは読んでいた。
    ●身延高校の頃、国語担当は石田永知先生だった。石田先生は、
    原小学校の恩師・石田須磨子先生の弟さんで、須磨子先生が、
    同じ小学校の恩師・赤井三男先生と結婚されたのである。
    その石田先生が、国語の時間に、「深沢は梨大の学芸学部へ進め」
    と申された。私は、この一言には、大学進学に少なからず影響されて
    いたように思う。
    ●東京へ出て、大学進学を目指したが、義父の紹介で、新宿の佐藤秀工務店
    でアルバイトをしながら受験勉強をした。義父は、私のことを、会社の重役の
    小澤さんに頼んでくれて、大学卒業後は、この会社で採用してくれることに
    なっていた。大学は、当然、工学部建築科である。私は、念のため、
    文学部日本文学科も受験はした。
    ●さて、入学金を払い込む段階で、はたと迷った。当時、多摩美術大学の
    工事現場で働いていたので、1日、多摩川の河原に出かけて、空を眺めて、
    工学部か文学部か考えた。この時に、決断のきっかけになったのが、
    夏目漱石の一文である。
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    『文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎』
                    夏目漱石

     文芸が果はたして男子一生の事業とするに足るか何かと云うことに答える前に、先文芸とは如何なるものであるか、と云うことを明かにしなければならぬ。文芸も見ように依って色々に見られるから、足るか足らぬかと争う前に、先相互の間に文芸とは如斯ものであると定めてかからねばなるまい。自分の云う文芸とは斯云うものである。貴方の云う文芸とは然云うものか、では男子一生の事業とするに足るとか、足らないとか論ずべきであって、若、相互の間に文芸とは斯う云うものであると云うことを定てかからない以上、其論は何時まで経っても終ることはない。それでは文芸とは如何なるものぞと文芸の定義を下すと云うことは、又些っと難しいことで、とてもおいそれとそんな手早く出来ることではない。兎に角斯云う問題は答えるに些っと答え難にくい。
    ……【略】……
    結論だけを言うならば、それは極簡単で、只、吾々が生涯従事し得る立派な職業であると私は考えて居るのだ。
     何だか逃げ腰のような、ふわふわした答弁で、中までずんと突き入ってないので、何となく物足らない感じがあるかも知れない。それは中へ入って急所を突いた答えも、すれば出来ないではないが、それでは却って局部局部を挙て論ずることになって不本意であるから、斯云う全体を掩たような答えをして置く。
    ……【略】……
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    ●あの、大漱石の言葉ゆえ、信用してもよいだろう。もちろん、
    この文章のみではない。漱石の作品の多くを読んでいたからである。
    それにしても漱石は50歳になる前に他界している。やはり偉大な
    作家であった。私が、漱石の言葉に従って文学の道を選択したのは、
    誤りではなかった。今、そのように思う。
    ●それにしても、私はこの、漱石の一文を、何で読んだのだろうか。
    初出は、「新潮」1908(明治41)年11月1日号、である。どこかの文庫か、
    全集に収録されていたのであろうか。今、確認できない。

    ■夏目漱石  ウィキペディア より


    ■1911年4月 早稲田の漱石自宅 にて
     2016年12月11日 朝日新聞 デジタル より