母校〔原小学校〕の同級生・恩師

2017.04.02 Sunday

0
    ●今回、頂いた『はら 原小学校閉校記念誌』の、卒業生名簿を見ると、私の学年は、全61名である。そのうち、17名の友が、すでに御他界なされている。
    ●深沢H君、望月T君、望月N君、望月M君、五味Y君、市川Y君、小菅T君、樋川T君、土橋T君、石井K君、加藤H君、佐野T君、佐野K君、樋川M君、小林Tさん、天野Tさん、佐野Tさん。
    ●一人一人、思い出すと、語りつくせぬ想い出がある。私の家の隣の佐野邦彦君は、中学卒業の時のサイン帳に、「9年間、一度も喧嘩したことの無かった2人だったね。秋男君も、高校へ進まず、実社会に出るとなると、つらいことと思うけれど、決して、悪に手を出すな。一度でも、手を出すと、2度と元の君には戻れないぞ。……」こんな情のこもった言葉を書き込んでくれた。9年間、一度も喧嘩したことの無い、幼馴染なんて、少ないと思う。邦彦君は、身延高校に進んで、製菓会社に入社して活躍したが、訳あって、自ら、その命を絶った。私は、彼の仏前に手を合わせて、涙が止まらなかった。
    ●私は、小学校に入っても、勉強は全くしなかった。成績は、61人中30番くらいのところをウロウロしていた。転機は、5年生の7月6日、父が食道ガンで亡くなった時だった。少し勉強したら、赤井三男先生が、褒めてくれた。それまでは、いたずらばかりしていた。赤井先生から「お前は、もう、原小学校では面倒見切れないので、切石小学校へ移す」と怒られた。これには、本当に心の底から反省した。そんなこともあって、学ぶ、という事の楽しさを知った。赤井先生は、人生の恩師である。
    ■昭和22年度の卒業記念
     最後列の真ん中に立っておられるのが、赤井三男先生