井関隆子の記す 男色

2016.03.09 Wednesday

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    ●永井義男氏の『江戸の性の不祥事』(2009年6月5日第1刷、
    学研新書)に、『井関隆子日記』に記された、男色のことが
    紹介されている。隆子は、売春のことも、陰間のことも、堂々と
    書き留めている。しかし、決して品は落ちない。
    ●ここに、天保11年12月4日の条を紹介する。原本通りで
    あるが、現在の読者にも、意味はわかるものと思う。 

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    ・・・尾張ノ国におはすなる、前ノ中納言斉朝ノ卿と聞ゆる、
    此の君もふつに、世の中の道しろしめさず、此の御嫡妻は
    西ノ太政大臣の大姫君におはしまししかば、やごとなう
    さるべき御なからひなりしを、さらに近付き給ふ御ことなくて
    年経しほどに、男君の御乳母たち、いかでとく御世継の君だち
    あらせ奉らむとて、御心につくべき目やすき女をえらびて、
    かれ是れ近う侍らはせけれど、何の甲斐なきに、こうじつつ、
    猶さまざまはかりて、世の中しらぬ乙女どもの侍らへばこそ
    不用ならめ、猶其の道しれらむをこそとて、其の後男もちたる女の、
    其手を離てひとりあるをえらびて、それにはかり、いかにもしたしみ
    なれ奉りて、とつぎの道をしへ奉れとて、御宿直に侍らはせけれど、
    せん方やなかりけむ。
    さて、御乳母たち、をりをり其女房をよびて、「いかにいかに」と
    問ひせめなどしけるが、いとくるしさに、しひてたはぶれなど
    したりけむ、ある夜いみじう怒らせ給ひて、其女房いたくうちこらされ、
    あるはなげうたれ、物にかしら打そこねなどしつつ、いといとからき目
    見たりしかば、其の後、おそれて近付き奉るものもなく、御乳母たちの
    はかりごとも、むなしうなむなれりける。
    此の君さる御本性ゆゑ、おのづから物あらあらしうおはしければ、
    こころもとなくて、大姫君の御方へも、したしう物せさせ奉らざりし程に、
    此姫君うせさせ給ひぬ。
    中納言殿は、もとより公事も物う気におはしければ、いまだ盛りの御年にて
    国へおはしまし、御家をば大姫君の御はらからの、斉温と聞えさせ給ひし
    君になむ継せ奉り給へりける。
    己がはらからの、かかる折に此殿に触ばひたれば、猶くはしうさまざまの
    事ども、其頃もり聞えしを、かたへは忘れ、はたさのみは憚られてとどめつ。

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    ■永井義男氏『江戸の性の不祥事』