お墓の中の墓石を見たい

2016.04.23 Saturday

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    ●昭和62年4月30日、京都大学名誉教授、野間光辰先生が
    御他界なされた。77歳であった。「徹底的な調査と考証によって
    近世小説史、近世俳諧史研究を刷新、……」と朝日新聞は報じている。
    この大先学の「如儡子系伝攷」を熟読・吟味するという、野間先生との
    約束を果すために、私は、如儡子の伝記研究に着手したのである。
    ●私が初めて二本松の斎藤家の墓所を調査したのは、その年の8月6日、
    木曜日である。午前10時、斎藤豪盛氏、漆間瑞雄氏、渋谷信雄氏、
    大隈正光氏が来て下さった。事前に、二本松市役所で、松岡寺の住所など
    確認して準備したのである。

    ■松岡寺の斎藤家墓所(第1次改葬)
    ●斎藤家の墓地は、昭和44年、12代・興盛氏が没した時、先祖代々の
    墓石44基を整理して改葬したという。その時、44基の墓石は白布に包み、
    墓の中に埋めたと、現在の当主・豪盛氏は仰る。如儡子の伝記を研究する私は、
    その埋められた墓石を是非とも見てみたいと切望した。間口は、4メートル55
    センチ、奥行きは8メートル22センチである。自然石のものもあったという。
    当然、墓石には、法名や俗名や年月などが刻まれているはずである。墓石は
    どのように埋められているのであろうか。
    ●お墓の中の墓石が見たい。私は、当主、豪盛氏の耳もとで、ささやき続けた。

    ■墓所の大改葬(第2次)
    ●平成4年3月2日、斎藤豪盛氏から、墓所を全面的に掘り起こすので、
    立ち会ってもらいたい、という連絡をもらった。私は涙が出るほど感激した。
    3月27日、長井市から大勢の人が来て、墓所の全面的な発掘作業が開始された。
    私も同じホテルに泊まって立ち会い、逐一写真に記録した。改葬は5月10日に
    ほぼ完了した。
    ●発掘されたお骨は、新しい骨壷に納め本堂に安置して供養した。
    ●墓石は、事前の話とは違っていた。墓石は白布で包み埋められていはいなかった。
    硬い石は破砕され、やわらかい石は、墓石の表面が削りとられていた。また、墓石の
    数量も足りなかった。どこか、別の場所に破棄され可能性がある。私は、多くの墓の
    調査をしてきたが、古い無縁の墓石は、石垣や石段に流用されることさえあった。
    ●掘り出された墓石は、全て水で洗い清め、石の種類別に分類して調査したが、
    軟質の墓石は表面が削りとられ、硬質の墓石は細かく破砕されていた。残された刻字
    から推測できたのは、3名に過ぎなかった。墓石全体を見ても、44基を埋葬したとはとても
    思えない。昭和44年に改葬した業者に連絡しても、来てはくれなかった。昭和44年の
    改葬の時、私も立ち会っていたら、こんな結果にはならなかったであろう。悔やまれてならない。
    ●先祖代々の骨壷は本堂で供養され、墓石は洗い清められ、斎藤家一族の方々の写した
    写経と共に、再び墓域内に埋葬された。

    ■第1次改葬前の、もともとの墓
     私は、このお墓を調査したかったのである。


    ■昭和44年、第1次改葬後の墓
     奇麗にはなったが、貴重な古い墓石は消えた。


    ■平成4年、第2次改葬作業
     このように対応してもらえる事は少ない。


    ■掘出された墓石







    ■破砕された墓石は、再び埋められた。