5年目の3月11日

2016.03.11 Friday

0
    ●2011年3月11日、から5年間が経過した。その間、
    様々な人間の姿に接して、哀れさを思い、あたたかい思いやりに感謝し、
    力強さに感動した。大自然の中で、私達は生かされている。
    そのことは、永遠に忘れてはならない。5年前、私は次のような
    ブログを綴っていた。
    。。。。。。。。。。。。。。。。。。
    。。。。。。。。。。。。。。。。。。

    2011-03-12
    東日本大震災 M8.8Add Star
    10:58

    ●昨日は、『芸文稿』第4号の責了を印刷所へ送付して、ほっとして、少し遅い昼食をしようとテレビをつけた。NHKも民放も異常な雰囲気である。三陸沖を震源とする大地震が発生したという。食卓に座ったら、テレビの警報と同時に、揺れ出した。かなり大きな揺れである。2階の書斎よりも1階の方が安全だろうと、テレビの報道を見ながら、待機した。テレビの上の、佐渡の朱鷺の彫物と、かつての愛犬トラの写真が揺り落とされた。書斎の本は、20冊ほど落ちていた。

    ●妻より安否の電話があり、私は息子のケータイに電話してメッセージを残す。山形の斎藤金型に電話したが音信不通。教え子の5人からメールが入っていた。

    ★★斎藤金型のHPも当初は開けなかった。13日には開けたが、コメント無し。3月14日、ようやく会長さんの携帯につながりホッとする。15日HPの社長コメントで、会社施設も異常なく、社員も全員無事のコメントあり。★★

    ●テレビの報道を見ていて、津波の威力に慄然とした。大きな漁船が海方向から横向きで流され、コンクリートの防波堤に引っかかって横倒しになる。その先の砂浜には緑の並木があり、並木のもとに車が10数台停めてある。その外側には広い道路があり、トラックや乗用車が走っている。そこに津波は迫って、駐車中の車も広い道路も、その先の家々も、またたく間に飲み込んでいった。

    ●NHKのヘリからの映像である。津波は雑木や車やコンテナや、そして1軒の大きな家もそのまま流れに乗せて、内陸方向へ侵略してゆく。綺麗に耕作された田や畑を飲み込んで進む。その速度に驚愕した。自然の猛威である。

    ●私は、夜中まで、テレビに釘付けとなり、夜中・明け方まで経過を追った。終りの頃は、気象庁の警報も当らなくなった。埼玉に地震あり、と報じられても、所沢は少しも揺れない。各地の地震計が破壊されたらしい。息子は、東京から歩いて帰宅した。保谷あたりまで歩いた頃、西武線が動き始めた由。

    ■朝日新聞 2011年3月12日


    ■朝日新聞 2016年3月11日
    震災直後、自宅からノートを探し出した大森さんは
    今、中学1年生。