『可笑記大成―影印・校異・研究―』 の思い出

2016.11.17 Thursday

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    【3】可笑記大成―影印・校異・研究―

    仮名草子関係書・解説

    【3】可笑記大成―影印・校異・研究―  昭和49年4月30日,笠間書院発行。(田中伸・深沢秋男・小川武彦 編著) 11000円。第1編 本文・校異,第2編 万治2年版挿絵について,第3編 『可笑記』の研究。文部省助成出版。



    可笑記大成 目次

    第一編 本文・校異
    第二編 万治版挿絵について
    第三編 「可笑記」の研究
    ●第一章 底本書誌解題と諸本調報告
    ●第二章 校異による本文異同の考察
    泰三章「可笑記」の成立と書名
     第四章 作者如儡子について
     第五章 「可笑記」の内容 
     第六章 「徒然草」と「甲陽車鑑」の受容について
    あとがき

    ●この内、私が執筆したのは、第三編の第一章と第二章である。


    第三編 底本書誌解題と諸本調報告
    第一章 底本書誌解題と諸本調報告


     底本書誌解題
     ここに影印複製したのは「可笑記」の本文として最も秀れていると判断される、寛永十九年版十一行本である。底本には原題簽を有する良本・小川武彦氏所蔵本を使用したが、その書誌は次の通りである。
    所蔵者 小川武彦氏
    表紙 藍色元表紙、雷文つなぎ蓮華模様、縦二七五ミリ×横一八六ミ
      リ(第一冊目)。各巻表紙の藍色の表面紙は、和刻本漢籍の零葉
      と思われる紙を使用している。
    題簽 左肩に子持枠原題簽「可笑記一(〜五)」縦一六八ミリ×横三
      五ミリ(巻一)。巻二の下部に欠損あり。
    内題 序…「愚序」。本文…「可笑記巻第一(〜五)」。
    尾題 無し。
    匡郭 四周単辺、縦二二〇ミリ×横一五七ミリ(巻一の1丁表)。
    柱刻 巻一(可笑記巻一 一(五十四)
       巻二(可笑記巻ニ ー(五十八)」
       巻三(可笑記巻三 ー(五十四)」
       巻四「可笑記巻四 一(五十九」」
       巻五{可笑記巻五 一(八十五)」
      版心は半黒口、魚尾花紋。
    巻数 五巻(欠巻無し)。
    冊数 五冊。
    丁数 巻丁…54丁、巻二…58丁、巻二…54丁、巻四…59丁、巻五
      …85丁。
    段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
      …90段(これに序とあとがきが加わる)。
    行数 序…愚序+9行、本文…11行、あとがき…10行。
    字数 一行約20字。
    段移りを示す標 「▲」 (巻三の6段は欠)。
    句読点 無し。
    奥書 巻五の85丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
      之」。(振り仮名は省略)
    刊記 巻五の85丁裏に「寛永壬午季秋吉旦刊行」。
    蔵書印・識語 「尾州名古屋/本町九町目/本屋久兵衛」「青谿書屋
      」「赤木山」「アカキ」の朱印。巻一の52丁裏5行目「もろこし
      には龍蓬比干伯夷叔斉ごししよわが朝」の上欄に墨書にて「伍し
      しよどふ/して伯夷の下に/列ならんや伍/子しよは大悪無/道
      也」と書入れあり。白紙に小川武彦氏の次の識語がある「大島雅
      太郎旧蔵本『青谿書屋』蔵印」。

         諸本について

     現在伝わる『可笑記』の諸本の全貌を明らかにしたのは『国書総目録』(昭和39年)であり、そこには四十六点が掲げられている。
     私はこの『国書総目録』を参照しながら、実地に踏査した結果、現在までに六十余点を見る事ができたが、これらの諸本は、
    次の四種に分類する事ができると思う。
     I、寛永十九年版十一行本
     2、寛永十九年版十二行本
     3、無刊記本
     4、万治二年版絵入本
     これら諸本の調査結果は『文学研究』第二十八号・第三十号(昭和43年12月・昭和44年12月)に発表したので、ここでは、影印・校異の底本として使用したものの書誌を記し、他の諸本は、その所在を記すにとどめたい。

    一、 寛永十九年版十一行本

     九州大学国語学国文学研究室
     京都大学附属図書館・
     京都大学附属図書館・
     桜山文庫(鹿島則幸氏)
     大東急記念文庫
     台湾大学図書館
     東京大学教養学部第一研究室
     東京大学附属図書館
     内閣文庫
     平井隆太郎氏(平井太郎〈江戸川乱歩〉氏旧蔵)
     横山重氏・赤木文庫
     早稲田大学図書館
     深沢秋男

     この版について朝倉亀三氏(『新修日本小説年表』)は、大坂の平野屋九兵衛刊の如く記しておられるが、これは早大取合本に拠ったものと思われる。早大取合本には刊記のあとに「大坂心斎橋通り西へ入南久宝寺町南側/平野屋九兵衛」と有る。しかし、これは張込みであり、この平野屋九兵衛を版元とする事には問題が残る。横山重氏はすでに、その版本考(同氏所蔵、寛永十九年版十一行本帙の識語)で「ひそかに思ふ。朝倉氏のいふ、大坂板といふは、十一行本か、十二行本かの、後印本にあらざるか。」と疑問を出しておられるが、横山氏が原本を見る以前に、これを後印本と推量されたのは、寛永期の大坂板という点に着目されたからであろうと思われる。
     因に『慶長以来書賈集覧』(井上和雄氏)をみても平野屋九兵衛は入っていない。また大阪の書肆で最も早いのは、万治年間から活躍した正本屋太兵衛であり、寛永期には見当たらない。やはり大阪の出版は寛永期よりかなり下った、明暦・万治頃からとするのが妥当のように思われる。しかし、この早大取合本は、九大本、桜山本、大東急本、内閣本、平井氏本、横山氏本、早大本のいずれよりも早い刷りと判断されるのであり、これらの点を考え合わせると、この平野屋九兵衛は刊行者というよりも、販売者的性格が強かったのではないかと推察される(注1)。
     次に。大東急本には刊記のあとに刷り跡(よごれ)が見られるが、これについては次のように考える。このような刷り跡が見られる原因として、,垢任忘り跡のある紙を使川した。⊇驢萍召修梁召諒源の削除跡。0刷の場合に空白部分に墨が着き、生じた跡。この三つの場合が考えられる。,砲弔い討蓮△海梁臈豕淤椶粒阿法九大本、台湾大本、内閣本、横山氏本、早大本にも同様な刷り跡が出ているので、これは除く事ができる。刷り跡の出ている位置から考えると、△任呂覆いとも思われるが、この刷り跡に、確実に文字の痕跡と思われる箇所が無く、また書肆名などを彫り捨てる場合、意識的に深く削るのではないか、という事も推測される点で、これをただちに削除跡と断定する事もできない。なお、早大取合本の張込みのものとこの刷り跡とは、深い関係が無いものと思われる。次にの場合であるが、大本の版面に刊記を一行のみ印刷する場合、空白部の紙面が版木に接する可能性は大きい。しかし、大東急本の跡には、やや作為的な痕跡が認められる点は注意すべきであり、要するに、↓いずれとも決め得ないのが現状である(注2)。初版本と思われるこの版の刊行者を決める事は重要であるが、今後の調査に俟たなければならない。

     二、寛永十九年版十二行本

    所蔵者 国立国会図書館142 112
    表紙 改装国会図書館専用茶色表紙、縦二七四ミリ×横一八九ミリ(第
       一冊目)。
    題簽 題簽は無いが左肩に「可笑記 一(〜五止)」と墨書。
    内題 序…「愚序」。本文…「可笑記巻第一(〜五)」。
    尾題 無し。
    匡郭 四周単辺、縦二一二ミリ×横一六九ミリ(巻一の1丁表)。
    柱刻 巻一(可笑記巻一 一(〜四十九終)」
       巻二「可笑記巻二 一(〜五十三終)」
       巻三「可笑記巻三 一(〜四十九終)」
       巻四「可笑記巻四 一(〜五十四終」」
       巻五(可笑記巻五 一(〜七十八)」
       版心は半黒口、魚尾花絞。
    巻数 五巻(欠巻無し)。
    冊数 五冊。
    丁数 巻丁…49丁、巻二…53丁、巻三…49丁、巻四…54丁、巻五
       …78丁。
    段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
       …90段(これに序とあとがきが加わる)。
    行数 序…愚序+9行(1行余白)、本文…12行、あとがき…11行。
    字数 一行約20字。
    段移りを示す標 「▲」 (次の各段は欠。巻一の1・8・21・22・
       24・28・29・43、巻二の22・23・27巻三の2・6・28、巻
       四の16・19・22・29・31、巻五の2・3・31・35・39・50・
       51・72・76・88。巻四の15は重複)。
    句読点 「・」「。」混在。
    奥書 巻五の78丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
       之」。(振り仮名は省略)
    刊記 巻五の78丁裏に「寛永壬午季秋吉旦刊行」。
    蔵書印 「特賈堂」の朱印、「江戸四日市/古今珍書儈/達摩屋五一
       」の黒印。

     九州大学国語学国文学研究室
     神宮文庫
     日本大学図書館・武笠文庫

     この版は、寛永十九年版十一行本を版下に使用(または十一行本を敷写しして作った版下を使用)したものであり、厳密には覆刻版(かぶせ版)と言い得ないにしても、それに近い性質のものである。
     その根拠の第一は、十一行本と十二行本であるため、それぞれ一行ずつのずれができる訳であるが、このずれの箇所の行間を調べてみると、十二行本において、十一行本の丁移りの箇所の行間が、他の行間と不揃いであり、全体的に広めになっている。またある場合には、それを境目として、行の頭の高さに落差が見られる。そして、この反対の現象が十一行本では見られない。
     第二に、天地の寸法が十二行本の方が短い。
     【別表 省略】                                       
     別表は各巻第一丁表第一行目の天地(巻一は第二丁表)の寸法を、桜山本と国会本に拠って測ったものである。縮小率は必ずしも一定していないが、いずれも十二行本の方が短くなっており、これは、かぶせ版は縮小するという原則に適っている(注3)。
     第三に、本文の異同関係をみると、十二行本は句読点を付加し、振り仮名を付加する反面、濁点を省いている。さらに書体も、十二行本で簡略化されている例が見られる。これらを考え合わせても、十二行本は十一行本より後の版とするのが妥当と思われる(後述)。
     なお、横山重氏も「本書、最古板なり。しかるに此本と全く同一の刊行記を有する十二行本あり(焼亡)。刊年記の文字よく似たれど、寸法を見るに、十二行本の方が、約三分位短い。」(同氏所蔵・寛永十九年版十一行本帙の識語)と十一行本を最古版と判断しておられる。
     以上の事を考え合わせると、十二行本は十一行本を原版に使用したため、同じ刊記を有するが、実際の刊行年は寛永十九年よりやや後とするのが妥当と思われる。

    三、 無刊記本

    所蔵者 長澤規矩也氏
    表紙 丹色元表紙、万字つなぎ牡丹模様、縦二五七ミリ×横一八五ミリ(第一冊目)。
    題簽 左肩に子持枠原題簽「可笑記 一(〜五)」縦一六三ミリ×横
       三五ミリ(巻一)。部分的に摩損あり。
    内題 序…「愚序」。本文・:「可笑記巻第一(一五)」。
    尾題 無し。
    匡郭 四周単辺、縦ニー九ミリ×横一六四ミリ(巻一の1丁表)。
    柱刻 巻一(可笑一 一(〜四十二終)」
       巻二(可笑ニ 一(〜四十四終)」
       巻三「可笑三 一(〜三十九終。」」
       巻四「可笑四 一(〜四十三終」」
       巻五(可笑五 一(〜六十三)」
      版心は白口、ただし、巻三の12丁のみ黒口。巻五の20丁は「三
      十」となっている。
    巻数 五巻(欠巻無し)。
    冊数 五冊。
    丁数 巻一…42丁、巻二…44丁、巻三…39丁、巻四…43丁、巻五
      …63丁。
    段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
      …90段(これに序とあとがきが加わる)。
    行数 序…愚序+10行、本文…12行、あとがき…12行。
    字数 一行約23字。
    段移りを示す標 「○」 (巻二の1は欠)。
    句読点 「。」
    奥書 巻五の63丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
      之」(振り仮名は省略)。
    刊記 無し。
    蔵書印・識語 「藤井文庫」の朱印。巻五後表紙の内側に「寛保二/
      於書肆/求之」と墨書。巻一前表紙見返しに墨書にて「此本初印
      本には/寛永壬午季秋吉旦刊行/大坂心斎橋通り西へ入南久宝寺
      町南側/平野屋九兵衛」と長澤規矩也氏の識語あり。その他黒印
      一顆。

    お茶の水図書館・成簣堂文庫・I
    お茶の水図書館・成簣堂文庫・
    学習院大学国語国文学研究室
    関西大学図書館
    京都大学附属図書館・潁原文庫I
    京都大学附属図書館・潁原文庫
    慶応義塾大学図書館
    国学院大学図書館
    実践女子大学図書館・黒川真頼・真道蔵書
    天理図書館
    東京国立博物館
    東北大学附属図書館・狩野文庫
    名古屋大学国文学研究室
    西尾市立図書館・岩瀬文庫
    山岸徳平氏
    竜門文庫
    早稲田大学図書館

     この版には刊記が無いが、従来寛文頃の刊行とされていたものであり、その他に、寛永十九年以前の初版本とする説も出されている(注4)。また、横山重氏は「本書に、万治頃の刊本あり。これに刊年記なし。反町氏、巻末の「于時寛永十三」云々をとりて、寛永中刊とすれど然らず。」(同氏所蔵寛永十九年版十一行本帙の識語)とやや立場を異にしておられる。私は以上の諸説を参照して考えたが、この無刊記本は、寛永十九年以後、万治二年以前の刊行とするのが妥当のように思われる。そのように考える理由は次の如くである。
     第一に、寛永十九年版と無刊記本の間には、かなり多くの本文異同がみられるが、それらは、寛永版の増補とするよりも、無刊記本の脱落および省略とみる事の方が妥当と思う(後述)。
     第二に、当時の書籍目録をみると、延宝三年の目録から、大字本が見え、天和元年の目録では、大本を五匁五分とし、大字本は七匁、小本は四匁となっている。この大字本は寛永十九年版と推測されるが、この価格の差は、出版の時期に関係があるのではないかと思う。大字本は、これ以後、目録から姿を消す。つまり、大字本(寛永版)は、この時点において、すでに希少価値をもっていたものと思われる(注5)。以上の二点から考えると、無刊記本は、寛永十九年版より後の刊行と推測されるのである。
     第三に、本文の異同関係から考えると、無刊記本は万治二年版の絵入本より前の刊行と思われる(後述)。
     第四に、無刊記本の書体であるが、これについて水谷不倒氏は、大正九年刊の『仮名草子』で「大本の挿絵なきものにて別版あり。書風原版とは異なり、年号を逸すれども、絵入本よりは遥に後の版行なるべし」とされたが、その後昭和四年の『新撰列伝体小説史前編』では、寛文初年の覆刻本とやや表現を変えておられる。
     無刊記本の書体は、丸みを帯びて小振りとなっているが、これは寛永版の伸び伸びとした、やや大きめの字と異なり、万治・寛文頃の版本に多く見られるものと同じように思われる。また柱刻なども、寛永十九年版の半黒口魚尾に花びらを配す、という手の混んだものに対し、無刊記本・絵入本は、共に簡略なものになっている。
     これらの点で、無刊記本が寛永十九年版より後のものである、という事は納得できるが、「絵入本よりは遥に後の版行」という点には疑問が残る。万治二年の二年後が寛文元年であり、この短い期間の版本の先後を書体で判定する事は、非常にむずかしい事と思われる。したがって、私は書体の問題はしばらくおき、本文の異同関係から、無刊記本を絵入本以前の刊行と判断したのである(注6)。
     このように考えてくると、この無刊記本は寛永十九年以後、万治二年(または万治元年)以前の刊行という事になるが、それもかなり明暦・万治に近い頃の出版と推測されるのである。

    四、 万治二年版絵入本

    所蔵者 横山重氏・赤木文庫
    表紙 縹色元表紙、雷文つなぎ桐花唐草模様、縦一九七ミリ×横一四
      九ミリ(第一冊目)。
    題簽 左肩に子持枠原題簽「新板 可笑記 絵入 一(〜五)」縦一三四ミリ×横三一ミリ(巻一巻)。巻五のみ「絵入」が「ゑ入」とあ
      る。部分的に摩損あり。
    内題 序…「可笑記愚序」。本文…「可笑記巻一(〜五)」。
    尾題 巻一「可笑記一之巻終」。巻二「二之巻終」。巻三「可笑記巻三
      終」。巻四「四之巻終」。巻五は無し。
    匡郭 四周単辺、縦一七六ミリ×横一二五ミリ(巻一の1丁表)。
    柱刻 巻一「可笑記巻一 一(〜五十二)」
       巻二「可笑記巻二 一(〜五十四終)」
       巻三「可笑記巻第三 一」
         「可笑記巻三二(〜四十九)」
         「可笑記三五十(五十一終)」
       巻四「可笑記巻四 一(〜五十二終)」
       巻五「可笑記巻五 一(〜七十一)」
      原本の丁付は「……十八・十九・廿丗・丗一丗二……」とあり、
      20丁台を省略しているため、各巻の最終丁が、巻一…「五十二」、
      巻二…「五十四終」、巻三…「五十一終」、巻四…「五十二終」、
      巻五…「七十一」とあっても、実際の丁数はそれより各々10丁
      ずつ少なくなる。版心は白口。
    巻数 五巻(欠巻無し)。
    冊数 五冊。
    丁数 巻一…42丁、巻二…44丁、巻三…41丁、巻四…42丁、巻五
      …61丁。
    段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
      …90段(これに序とあとがきが加わる)。
    行数。序…愚序+9行、本文…12行、あとがき…12行。
    字数 一行約25字。
    挿絵 巻一…10図、内見開き1図(2丁裏3丁表・7丁表・11丁表・
      15丁表・19丁表・23丁表・27丁表・32丁表・37丁表・42丁
      表)。
      巻二…8図、内見開き1図(3丁裏4丁表・9丁表・14丁表・19
      丁表・24丁表・29丁表・35丁表・41丁表)。
      巻三…7図、内見開1図(3丁裏4丁表・10丁表・16丁表・22
      丁表・28丁表・34丁表・40丁表)。
      巻四…8図(3丁表・8丁表・13丁表・18丁表・23丁表・28
      丁表・34丁表・40丁表)。
      巻五…8図(4丁表・11丁表・18丁表・25丁表・32丁表・39
      丁表・47丁表・55丁表)。
    段移りを示す標 「○」 (巻一の6・8、巻二の9・48、巻四の1・
      4・16・17・18、巻五の12・45は欠)。
    句読点 「。」「・」混在。
    奥書 無し。
    刊記 巻五の61丁表に「于時万治二年正月吉日/板本/寺町三条
      上ル町 山本五兵衛開」
    蔵書印・識語 「アカキ」の朱印。帙に紙箋を貼付し、ペン書にて横
      山重氏の次の識語かある。「自分は此本を三つ買った。一つは村
      口。これは刊記のある巻末一丁欠。八十円。又、/一誠本も買っ
      た。八十円。これは完全であったが、虫入りが多かった。総/じ
      て、此本の紙、虫好むか。虫入り本を見し事あり。/然るに、昭
      和十九年、本書を得たり。極上本なり。/あだ物語村口千二百、
      子易物語弘文千円といふに比すればむしろ安/しとすべし。/
      500」。また昭和四年の杉本目録として、次の紙片が貼付されてい
      る。「一 絵入風俗 可笑記 如儡子 帙入/万治二年刊/チャ
      ンパーレン旧蔵 半五 百五拾円」。
    その他 巻二の37丁〜42丁が落丁。

    秋田県立図書館
    上田市立図書館・藤廬文庫
    大洲市立図書館・矢野家文庫(未調査)★その後調査
    小川武彦氏
    お茶の水図書館・成簣堂文庫
    学習院大学国語国文学研究室・I
    学習院大学国語国文学研究室・
    カリフォルニア大学図書館・東亜図書館
    京都府立総合資料館(京都府立図書館旧蔵)
    慶応義塾図書館
    国立国会図書館・I
    国立国会図書館・
    鶴岡市立図書館(未調査)★その後調査
    天理図書館
    東京国立博物館
    東京大学附属図書館・青洲文庫
    東北大学附属図書館・狩野文庫
    東洋文庫・岩崎文庫
    中野三敏氏
    日比谷図書館・加賀文庫
    山口大学附属図書館・教育学部分館(未調査)★その後調査
    山口大学附属図書館・文理学部分館(未調査)★その後調査
    竜門文庫
    早稲田大学図書館

     この絵入本について、水谷不倒氏は「中本にて大小の二種あり。」と『仮名草子』に記しておられるが、私は異版を見る事ができなかった。製本寸法には、かなりの差違があるにしても、匡郭寸法に大きな差は無い。なお、水谷氏の掲げられた版本と私か見たものとは、寸法も一致するので同版のものと思われる。
     また、朝倉亀三氏は「万治二年に絵を挿み、『絵入風流可笑記』と題し、半紙本として再版せり。」(『新修日本小説年表』)としておられるが、このような題簽・内題を持つ版本も見る事を得なかった。現存諸本の原題簽には、いずれも上部に「新板」とあり、これが可笑記の新版でなく、絵人本の新版を意味するとすれば、あるいは別版があるのかも知れない。現在までに異版を見る事はできなかったが、異版が無いと断定する事もできず、今後の調査に俟ちたいと思う。
     なお、秋田県立図書館本と京都府立総合資料館本は、共に各巻後半が落丁となっているが、その落丁部分がまったく同じである点は注意すべきである。京都府立総合資料館本の「定栄堂蔵板目録」の内容などから考えると、これは後刷本と思われるが、初刷本との間に何等かの事故(例えば版木の破損・紛失など)があったとも考えられる。

    五、 その他(取合本・写本)

    大阪府立図書館(無刊記本に巻一のみ、寛永十九年版十一行本が入れ
     本されている)
    学習院大学国語国文学研究室(無刊記本に巻四のみ、寛永十九年版十
     二行本が入れ本されている)
    天理図書館(寛永十九年版十一行本に巻三のみ、寛永十九年版十二行
     本が入れ本されている)
    早稲田大学図書館(寛永十九年版十一行本に巻一のみ、無刊記本が入
     れ本されている)
    東京大学国語国文学研究室(本文異同の関係から、寛永十九年版十二
     行本の転写本と推測される)
    なお、次の四本は現在所蔵されていない事を確認した。
    1、尾崎久弥氏
    2、三康文化研究所(大僑図書館旧蔵)
    3、築比地仲助氏
    4、三井文庫


     六、翻刻本二種について

     I 徳川文芸類聚・教訓小説(大正三年)
     徳川文芸類聚は、早大取合本を底本にしたと思われ、巻一は寛永十九年版に対する無刊記本の異同をすべて踏襲している。
    振り仮名を省略している外は忠実な態度をとっているが、原本との異同は48あり、そのほとんどが翻刻上の誤りである。また巻二から巻五までが寛永十九年版に拠っている事は、その異同関係からも認められる。なお、刊記のあとの書肆「大坂心斎橋橋通西入南久宝寺町南側/平野屋九兵衛」は底本の張込みをそのまま翻刻したものと思われる。
                 
     供ゞ畭綟本文学大系・仮名草子集(昭和三年)
     近代日本文学大系は、ヾ岨・仮名の異同が多い。⊃兇蟆礁召鯤僂┐燭蝓付加したりしている。Aり仮名を多く送っている。など、原本とはかなり離れたものとなっている。巻一は徳川文芸類聚の原本に対する異同48の内、25をそのまま受け継ぎ、23は無刊記本と同じに正している。巻二から巻五までは徳川文芸類聚と同様に寛永十九年版系の本文となっている。なお、この『仮名草子集』は『可笑記』の挿絵として一葉掲げているが、これが古浄瑠璃『公平天狗問答』のものと入れ違っている事は、田中伸氏の御教示により知る事を得た。またこれに関しては、関場武氏も『芸文研究』第二十七号(昭和44年3月)で指摘しておられる。

     以上、二種の翻刻はそれぞれに特色を持ち、長い間作品研究に役立ってきたのであるが、使用した底本が取合本であった事は非常に惜しまれる。作品研究もようやく盛んになってきた現在、初版本による、より厳密な翻刻が切望されるのである。

     (注1) 平野屋九兵衛がもし版元であるなら、版木を持っているはずである。何故自分の住所や名前を張込みになどしたのだろうか。
    たとえ後で追加するにしても、埋木して印刷する方法があると思う。また、伝本中この張込みがあるのは早大取合本のみというのも疑問である。猜震邁阿蓮版元から求めた版本に、このような自分の住所と名前を印刷した紙片を張り込んで、売り捌いていたのではないか瓩箸教え下さった池上幸二郎氏の推測が妥当のように思われる。また鈴木敏夫氏は『江戸時代の本や』(「出版ニュース」昭和43年9月上旬号)で、明暦・万治頃の出版状況を推測して「大阪にも、このころからやっと京都の出店らしきものが現われるが、おそらく京都書肆の出張販売(あるいは行商)時代」としておられる。
     (注2) この問題に関しては、田中伸氏より多くの御教示を頂いた。書肆名などの入っている版本が発見されれば、一応問題はない訳
    であるが、大東急本の刷り跡から、いかなる文字を推測するか、非常にむずかしい問題である(田中伸氏は、下方の跡を「田」の字か「野」の一部ではないか、と判断しておられる)。
     (注3) 匡郭寸法を対照してみると、十二行本は十一行本より縦が短くなっているのに横は長い。これは十一行本を版下に使い(また
    は十一行本を敷写しして版下を作り)、しかも一行増したところから生じたものと思う。また、縮小の比率が一定していないのは、印刷時の紙の湿り具合、印刷の先後、文字のしずみの出具合(ことに差の少ない巻二、巻四の行末の文字が「ツ」「折」である事は注意してよいと思う)などの条件が関わっていると思われる。
     (注4) 無刊記本は、水谷不倒氏以来、寛文頃の刊行とされてきたものであるが、これを寛永十九年版以前の初版本とする説は、『国
    語国文』昭和四十年六月号に朝倉治彦氏の説として、前田金五郎氏が紹介されたものである。この説は「于時寛永十四南呂上澣瓢水子筆之」の奥書をもつ『可笑記評判』所収の『可笑記』本文が、この無刊記本と近い関係にある点に着目されたところからの立論である。この奥書をそのまま信用すれば『可笑記評判』の作者は、寛永十四年には少なくも『可笑記』を見ていた事になる。私は、種々の理由から寛永十九年版十一行本を初版としているが、視点を変えるならば、版本以前に写本(草稿)があり、それから、寛永版と無刊記本が別々に本文を得た、という可能性も考えられる。朝倉氏の説と共に、今後さらに調査・考察してゆく必要があると思う。
     (注5) 主要書籍目録の記録は次の如くである。
       寛文十年刊『増補書籍目録 作者付 大意』
        「五冊 可笑記 大小 如儡子作
         十冊 同評判  浅井松雲了意」
      ◆延宝三年刊『新増書籍目録』
       「五 可笑記 如儡子作
        五 同大字
        五 同小本
        十 同評判 浅井松雲
        五 同跡追
      、天和元年刊『書籍目録大全』
       「五 可笑記 如儡子作 五匁五分
        五 同大字      七匁
        五 同小本      四匁
        十 同評判 浅井松雲 廿匁
        五 同跡追      五匁」
      以後、この大字本は目録から姿を消している。
     (注6) 私はそれ程多くの版本を見ていないので書体については解らない。しかし、絵入本は中本という事も関係しているとは思うが、
    字と字の間隔を非常に接近させ、さらに重ね合わせるようにして書き詰めており、また各段冒頭の「むかし」を「昔」に変える、というような形で一行の字数を多くしている。したがって、丁数もそれだけ減少している。因にこの丁数をみると、寛永十九年版十一行本が310丁、十二行本が283丁、無刊記本が231丁、絵入本が210丁(挿絵の部分を除く)とこの順序で減少しており、最初と最後とでは100丁もの差がある。このような点から考えても、絵入本の方が無刊記本より後ではないかと思うのである。そして、無刊記本が絵入本より前の刊行である、という私の考えの拠所は、主として本文異同にあり、これに関しては全巻を対校して検討したが、ほぼ誤りの無いものと判断される。                (深沢秋男)


    第二章 校異による本文異同の考察

     『可笑記』各版の本文異同については『近世初期文芸』第一号(昭和44年12月)で考察した事がある。そこでは主として巻一のみの資料を使って分析を試みなのであるが、この度、全巻の対校を終えてみると、その結論を改める必要は無いように思われる。したがって、ここでは具体的な分析を出来得る限り省略し、その結果を示すにとどめたいと思う。

    一、 書写本について

     伝存諸本中、寛永十九年版十一行本が初版本と思われるが、刊本以前に書写本(自筆本・写本を含む)が在ったか否かについて、まず考えてみたい。
     寛永版十一行本、巻一の17丁表2行目の字詰をみると、
     「うちに君もろともにミもしミせばやとまつかひもなくあ」
    と、二十五字詰になっている。この十一行本は平均二十字詰であるのに、この行が特に二十五字詰になっているのは「ミもしミせばやとまつ」の部分に主たる原因がある。この十字は約七字分のスペースの中に書き詰められており、しかも印刷の墨も、この部分のみが非常に強く出ている。つまりこの部分は埋木したものと思われるのである。これは、書写本から版下を作る際に「ミもし」の「ミ」から「ミせばや」の「ミ」に目移りして「ミもし」の三字を誤脱させてしまい、そのまま版木に彫りつけてしまったものと思われる。そして印刷の前に(または数部印刷の後に)この誤脱に気付き、埋木して訂正したものと推測されるのである。家蔵本は巻一のみの端本であるが、刷りは非常に早い頃のものと思われるのであり、この本においてすでに埋木されている点から考えると、この訂正は初刷本と断定できないにしても、それに近い段階で行なわれたのではないかと推測される。いずれにしてもこの事は、刊本以前に書写本が在った事の一つの証左になるものと思う。
     現在伝わる写本は、東京大学岡語国文学研究室の所蔵本のみであるが、これは本文異同の関係から考えると、寛永十九年版十二行本の転写本と判断される(七二六頁参照)。自筆本は勿論のこと、刊本以前の写本が伝存していないこの作品においては、各版
    の本文異同を分析する事によって、どの版本がより原初的な(書写本に近い)形を伝えているかを判断する事は極めて重要な問題だと思うのである。

     ★【『可笑記』の写本に関して、その後、『斎藤家資料』(仮題)の存在が明らかになり、その中に『可笑記』の写本もあったという。二本松藩藩士・大鐘義鳴の『世臣伝』で言及されている。この資料は、現在、所在が明らかではないが、今後、所在が明らかになれば、この写本に関しても解明される可能性がある。(平成28年11月)】

     二、寛永十九年版、十一行本と十二行本の関係

     前述の如く、十二行本は十一行本を版下に使い(または十一行本を敷写しして版下を作り)、一行増したものであり、厳密には覆刻版(かぶせ版)と言い得ないが、それに近い性質のものである。そして、巻一の本文異同の関係は次の如くである。なお、十一行本は桜山文庫所蔵本を、十二行本は国立国会図書館所蔵本を使用し、異同箇所の表示は十一行本に拠った。

     I、十一行本・十二行本の本文異同……3

    〔1〕7丁裏1行 11行本…わたし→12行本…わたり
     〔2〕28丁裏6行 11行本…ゑいよう→12行本…ゑいかう
     〔3〕47丁表7行 11行本…あつさ→12行本…あつゝ
    〔1〕の「し」「り」、〔2〕の「よ」「か」、〔3〕の「さ」「ゝ」は、共に類似した書体であるため、敷写しの段階、または版木に彫り刻む段階で生じたものと思われる。

     供⊇銃鷙塰椶派娉辰靴真兇蟆礁勝帖16

    〔1〕2丁裏6行…なさけ情
    〔2〕11丁裏3行…おのこ男
    〔3〕12丁表4行…もとめ求
    〔4〕12丁表7行…もとめ求
    〔5〕13丁表2行…もも百 【注 もも→もゝ】
    〔6〕15丁表6行…ことば詞
    〔7〕15丁表8行…たい対
    〔8〕15丁裏1行…しよせん所全
    〔9〕21丁裏10行…しんじつ真実
    〔10〕21丁裏10行…かう剛
    〔11〕22丁表10行…ことは詞
    〔12〕25丁表6行…まき槇
    〔13〕25丁裏6行…は そん破損
    〔14〕28丁裏11行…み じ彌字
    〔15〕31丁表3行…む よくしん無欲心
    〔16〕32丁裏3行…げいのう芸能

     これらの内、〔2〕・〔3〕・〔4〕・〔5〕・〔9〕・〔10〕・〔11〕の文字は特に太めで、伸び伸びとしておらず、印刷の墨も他に比較して濃く出ている。あるいは後刷の場合に埋木したという事も考えられる。

     掘⊇銃鷙塰椶脳蔑した振り仮名……3

    〔1〕22丁表7行…み味
    〔2〕31丁裏9行…けい計 
    〔3〕34丁表1行…どう同

     これらは、版下または版木を作る過程で脱落したものと思う。

      検⊇銃鷙塰椶派娉辰靴紳点……10

      后⊇銃鷙塰椶脳蔑した濁点……55(内、振り仮名…16)

     清濁の異同についての具体的なものは掲げないが、十二行本が濁点を多く省略しているのは注意すべき事である。これらは版木に彫り刻む段階で省いたものであろうか。

      此⊇銃鷙塰椶篭臚錨世鯢娉辰靴討い襦

     十一行本において句読点は皆無であるが、十二行本ではほぼ全体にわたって「・」「。」を付加している。

      察⊇銃鷙塰椶粘蔑化した文字……6

    〔1〕 8丁表2行…愛着のおもひに    〈に〉
    〔2〕 8丁裏4行…知者においてハ    〈に〉
    〔3〕 17丁表11行…古き詩哥      〈詩〉
    〔4〕 22丁裏7行…是に心づきて     〈に〉
    〔5〕 29丁裏10行…しうぢやくによつて 〈に〉
    〔6〕 30丁表3行…すでに法賊      〈に〉

     十一行本と十二行本の書体は、一見非常に類似しているが、子細にみると運筆には相違が認められる。そして、右に掲げた箇所の〈 〉で囲んだ文字「に」「詩」は、十二行本で簡略化された書体となっている。また、三十五段(36丁裏・8行)の「えいぐわ栄花」を十二行本は「ゑい栄ぐわ花」としている。

    以上、二つの版の異同関係を掲出したが、まず本文異同の認められる三箇所をみると、〔1〕の「わたし」「わたり」は他動詞・自動詞の違いである。
     「むかしさる人の云るは陸奥の住人鳥川瀬兵衛と云さふらひある時
    の合戦に真先かけをいたし大河を一文字にさつとわたし(り)高
      名ひるいなくおんしやうにあづかりよろこひのあまりに一首
       さきがけをすれば誉の名取川身を捨てこそうかふ瀬兵衛」
     これが七段の全文であるが、このような場合に他動詞を使うのは、動詞の連用形止を多く使い文を重ねているのと共に『平家物語』や『太平記』など軍記物の語法を継承したものという事ができる。これは軍記物の世界に通じていた『可笑記』の作者であってみれば、むしろ自然のものと思われる。十二行本の覆刻作業に従事した職人(能書または彫工)は、その事に気付かずに「わたり」と自動詞に改めてしまったのではないだろうか。次に〔2〕の「ゑいよう」「ゑいかう」であるが、この前後は「現世夢幻のゑいよ(か)うにふけり未来やうこうのくるしひを知ず」とあり、後半は「未来永劫の苦しひを知ず」と解されるので、前半は「現世夢幻の栄耀に耽り」とあってはじめて意味が通じる。「ゑいかう」に「永劫」「栄光」などの言葉を当ててみても適切ではない。因に無刊記本、絵入本は「ゑいくわ」とし、可笑記評判は「栄花」としている。次に〔3〕の「あつさ」「あつゝ」は「庭の木立物ふりいかにも掃地きれいに残るあつさ(ゝ)のほどは露うちそゝきちやわん茶入その外よろづの道具いかにもあたらしくきれいなるを用ひ」という文であるから「暑さ」でなければ意味が通じない。
     要するにこれらの異同は、十二行本が意識的に改めたというよりも、覆刻作業の過程で機械的に生じたものと推測されるのであり、このような場合、原版(十一行本)が秀れた本文である事は言うまでもない。

     さらに巻二以後の主な異同を掲げてみると、次の如くである。
    〔4〕巻二(8丁裏1行)11行本…おそ恐れ→12行本…ほそ恐れ
    〔5〕巻二(9丁表1行)11行本…らうにん牢人→12行本…ちうにん牢人
    〔6〕巻二(24丁表6行)11行本…よく候→12行本…はく候
    〔7〕巻三(18丁表3行)11行本…せんだく→12行本…せんざく
    〔8〕巻三(31丁表1行)11行本…いやとの→12行本…い□□の
    〔9〕巻三(31丁裏1行)11行本…一首→12行本…一しゆ
    〔10〕巻三(34丁裏11行)11行本…むさく→12行本…むとく
    〔11〕巻四(31丁裏1行)11行本…日ころ→12行本…ひころ
    〔12〕巻四(32丁表6行)11行本…い異→12行本…の異
    〔13〕巻四(38丁表1行)11行本…となる→12行本…ことなる
    〔14〕巻五(16丁裏8行)11行本…ごしやう後生→12行本…ごせう後生
    〔15〕巻五(18丁裏11行)11行本…たひ度→12行本…た●度 (たゝ)
    〔16〕巻五(19丁表2行)11行本…一とせではの出羽→12行本…一しせいではの出羽
    〔17〕巻五(23丁表10行)11行本…けれども→12行本…けれ□も
    〔18〕巻五(32丁表4行)11行本…べし→12行本…べ
    〔19〕巻五(38丁表9行)11行本…やまひ病→12行本…やうひ病
    〔20〕巻五(53丁裏11行)11行本…詞にも→12行本…詞に

     これらの異同のほとんどが、〔6〕の「よ」→「は」の如く、類似した字体からくるものであったり、〔12〕の「い」→「の」の如く、十一行本が滅字であるところから生じたものであったり、要するに、巻一の三箇所の異同と同様なものであると言い得る。ただ、〔9〕の「一首」→「一しゆ」、〔11〕の「日ころ」→「ひころ」、〔14〕の「ごしやう後生」→「ごせう後生」、〔20〕の「詞にも」→「詞に」は注意すべきである。十二行本は前述の如く、十一行本の準かぶせ版であると思われるが、従来説かれている如く、かぶせ版は原版をそのまま版木に張り付けて刻むものであるとするならば、彫工は版下に忠実に刻むものであるとも言われており、この様な異同は生じないはずである。やはり、これらの異同は書写の段階で生じたものではないかと推測されるのであり。この両版に関しては、十一行本を敷写しして版下を作ったという可能性の方が大きいように思われる。また〔9〕の「首」→「しゆ」、〔6〕の「日」→「ひ」、〔10〕の「にも」→「に」は、それぞれ同じスペースの中での異同であるので、十二行本が十一行本を原版に使ったという事は、誤りのないものと思う。さらに異同の認められる箇所が、十一行本の一行目と十一行目、つまり版面の両端に多く生じている事も、以上の判断を支えるものと思われる。
     次に振り仮名の異同関係をみると、十二行本で付加したものが十六箇所、省略したものが三箇所となっており、これは再版としての十二行本が、より読みやすい本文を作ろうとしたところから生じたものと推測される。そして、それは同時に『可笑記』が、振り仮名を多く用いる事が一つの条件であるところの仮名草子として一応認められ、読者の需要に応じた過程を示してもいる。しかしこのように十二行本が意識的に付加した振り仮名の訓み方は、極めて一般的なものであり、本文の優劣に関係はないものと思われる。また、十二行本は新たに句読点を付加しているが、その反面、それほど目立たない濁点は多く省略している。このほか十二行本で簡略化している文字もみられ、さらに段の移りを示す標の「▲」を省いている箇所も少なくない。十二行本は、巻一の1・8・21・22・24・28・29・43.巻二の22・23・27巻三の2・6・28、巻四の16・19・22・29・31、巻五の2・3・31・35・39・50・51・72・76・88の各段を欠落させ、巻四の15段は重複させている。
     これらの異同内容を総合して考えるとき、十一行本は十二行本よりも、より原初的である事が推測されるのであり、また秀れた本文であると断定してよいと思うのである。

     三、寛永十九年版十一行本に対する各版の関係
     
     寛永十九年版十一行本に対する、無刊記本・絵入本・可笑記評判の異同関係を整理すると次の如くなるが、次の事項は省略した。
    1、 仮名づかいの異同。2、振り仮名の異同。3、送り仮名の異
    同。4、漢字・仮名の異同。5、字体の異同。6、句読点の異同。7、清濁点の異同。なお、使川原本。記号は次の通りである。

     寛永十九年版十一行本(桜山文庫所蔵本)…11行本
     寛永十九年版十二行本(国立国会図書館所蔵本)…12行本
     無刊記本(長澤規矩也氏所蔵本)…無刊記本
     万治二年版絵入本(国立国会図書館所蔵本)…絵入本
     万治三年版可笑記評判(東京大学附属図書館所蔵本)…評判

     一、無刊記本・絵入本・評判共通の省略・脱落……98
     二、無刊記本・絵入本・評判共通の異同……119(内、十一行本の
       省略・脱落……33)
     三、無刊記本・絵入本共通の省略・脱落……6
     四、無刊記本・絵入本共通の異同……8(内、11行本の省略・脱
       落……1)
     五、無刊記本のみの脱落……1
     六、無刊記本のみの異同……0
     七、絵入本のみの省略・脱落……3
     八、絵入本のみの異同……1
     九、評判のみの省略・脱落……20
     十、評判のみの異同……39(内、11行本の省略・脱落……16)

     これらの異同の数量関係から次の事が言い得ると思う。

    1、 無刊記本・絵入本・評判共通の省略・説落および異同を合計すると、二一七箇所という多数を示している事から、この三つの版が非常に近い関係にあり、共に11行本・12行本と離れている、という事が解る。
    2、無刊記本・絵入本・評判の中では、無刊記本・絵入本がより近く、
      評判はかなり離れた本文となっている。
    3、無刊記本のみの脱落・異同が一箇所であるのに対して、絵入本の
      みのは四箇所である事から推測すると、無刊記本は絵入本よりも
      早い本文ではないかと思われる。

       四、寛永十九年版十一行本に対する、
          無刊記本・絵入本・可笑記評判共通の異同関係

     前に掲げた、一、無刊記本・絵大本・評判共通の省略・脱落…九八箇所と、二、無刊記本・絵入本・評判共通の異同…一一九箇所を具体的に分析した結果、次の事が言い得ると思う。

    1、 無刊記本系(無刊記本・絵入本・評判をこのように略す)には、
     11行本の省略・脱落に対して約三倍の省略・脱落があるが、それ
     らは11行本が増補したというよりも、無刊記本系が省き、または
     誤脱させたと思われるようなものが多い。
    2、11行本の省略・脱落は、いずれかと言うならば、後で増補し得
     るような性質のものが多い点から考えると、無刊記本系が衍加した
     という可能性が強い。
    3、11行本の誤りを訂正し、または特殊な表現を一般的に改めてい
     る点で、無刊記本系には校訂的意図を認め得る。
    4、無刊記本系には、11行本の口語的表現を文語的に改め、また重
     複的な部分を簡略化する等によって、より一層、文章として定着さ
     せようという傾向がみられる。
    5、両者の異同は、いずれかと言うならば、無刊記本系が改変したと
     いう可能性が強いが、その改変は一般常識的な基準によって行なわ
     れており、それらは作者でなくても為し得るようなものであると言
     う事ができる。
    6、両者の異同関係を量的にみると、一字、二字、三字、という少量
     のものが圧倒的に多く、また内容的にみても、とくに重要な部分を
     省略したり、改変しようとする意図は、11行本・無刊記本系いず
     れにもみられない。
    7、無刊記本系は、11行本の仮名を漢字に改めている箇所が多い。
     また、無刊記本系と11行本・12行本の関係であるが、次に掲げる
     三箇所の異同によって、無刊記本系は11行本と、より近い本文で
     ある事が解る。

    〔1〕巻1の7段 7丁表1行
      11行本   わたし
      12行本   わたり
      無刊記本   渡し
      絵入本    渡し
      評判     わたし
      東大写本   わたり
    〔2〕巻1の29段 28丁裏6行
      11行本   ゑいよう
      12行本   ゑいかう
      無刊記本   ゑいくわ
      絵入本    ゑいくわ
      評判     栄花
      東大写本   ゑいかう
    〔3〕巻1の43段 47丁表7行
      11行本   あつさ
      12行本   あつゝ
      無刊記本   暑さ
      絵入本    暑さ
      評判     暑
      東大写本   あつゝ

     さて、右にみてきた如く、その異同関係を総合して考えるとき、11行本と無刊記本系が別々に書写本から本文を得たとするよりも、無刊記本系は11行本を底本に使用したとみる可能性の方がはるかに高いと言い得ると思う。また仮に無刊記本系が11行本とは別に書写本から本文を得たとした場合でもご11行本の方がより一層書写本に近い形を伝えていると思われるし、さらに11行本から無刊記本系への本文の改変にあたって、作者の意志が加わっていると思われない事等を合わせ考慮するとき、11行本の本文が無刊記本系よりも秀れたものである事は認められてよいと思うのである。

         五、無刊記本と絵人本の関係

     ここでは、前述(723頁)の三、四、五、六、七、八の各項を分析したが、無刊記本と絵入本の異同が極めて少ないという事は、この両者の本文が非常に接近したものである事を示している。そしてこれらの異同から、両者の相互関係を考える事も不可能ではないと思うが、やはり十分とは言えない。そこで、この無刊記本と絵入本については、巻二以後の異同も合わせて考える事にしたいと思う。

     巻二〜巻五には二十八箇所の異同があるが、それらは次のように分ける事ができる。
     〔1〕、絵入本が誤脱させたもの……16
     〔2〕、絵入本が誤読・誤写したもの……6
     〔3〕、絵入本が無刊記本を正したもの……3
     〔4〕、その他(奥付など)……3
     その他注意すべき事は次の三点である。
     I、絵入本は無刊記本の送り仮名を省いている。
     供絵入本は無刊記本の仮名を漢字に改めている。
     掘コ入本は無刊記本の振り仮名を省いている。
     これらの異同内容から次の事が言い得ると思われる。
    1、各版の中で(11行本と12行本の関係は別として)無刊記本と絵
      入本は最も近い本文である。
    2、 無刊記本の誤脱および誤写は極めて少なく、しかもそれらは後で容易に補訂し得る性質のものである。
    3、 絵入本の誤脱および誤写は非常に多く、ややもすると不用意に踏襲されがちの性質のものが多い。
    4、絵入本は無刊記本の仮名を漢字に改め、送り仮名や振り仮名を省
      いている箇所が多い。
    5、絵入本は無刊記本の本文にかなり忠実であるが、無刊記本の誤り
      をそのまま踏襲するなど、むしろ盲従しており、その校訂的態度
      は極めて消極的である。
    6、絵入本は無刊記本より本文を得たと思われるが、その際、11行
      本・12行本を参照していないと言い得る。

     要するに、絵入本は無刊記本を底本に使用して、盲従的とも言える忠実さをもって改版しようとしたが、その改版作業の過程における誤脱・誤写などを新たに付加する結果になってしまったと言う事ができる。したがって絵入本の本文は、無刊記本よりもさらに一層原初的な形から離れ、同時に劣ったものになっていると判断されるのである。
     このように考えてくると、前項で、無刊記本系は11行本を底本に使った事を指摘したが、それは、無刊記本は11行本を底本に使った、と言いかえることができる。(評判については後述)。
        
     六、可笑記評判と各版の関係

     ここでは前述(724頁)の、九、評判のみの省略・脱落…二十箇所と、十、評判のみの異同…三九箇所について分析を試みたが、その結果、次の事が言い得ると思われる。

    1、無刊記本・絵入本・評判の系統の中では、評判が最も離れた本文
      となっている。
    2、 評判は無刊記本を底本に使用したと推測されるが、その際、11
      行本・12行本は参照しなかったものと思われる。
    3、評判には四箇所(全巻)に長文の脱落があるが。その外にも機械
      的な誤脱が多い。
    4.評判は無刊記本の不足ぎみの文章を、かなり積極的に補っている。
    5、評判には無刊記本の口語的表現を文語的に改めたものがある。
    6、評判の無刊記本に対する校訂的態度には、極めて積極的なものを
      認め得るが、それだけに、ゆき過ぎもみられる。
    7、評判は、漢字・仮名の異同、振り仮名の異同等においても、それ
      ほど無刊記本に忠実ではない。
        
     七、まとめ
     
     以上.11行本・12行本・無刊記本・絵入本・評判各版の本文異同の関係について、考察してきたわけであるが、各版にはそれぞれの長所短所があると言い得るし、したがって存在意義もそれなりに有しているものと思われる。最後に各版相互の関連について簡単に考えておきたいと思う。
     
     11行本は、書写本に次ぐ原初的な形態を伝えている初版本として、最も重要な位置を占めている。用語の不統一、特殊な表現、重複ぎみの文章など、話し言葉としての要素を多分にもっており、この事はこの作品の成立過程や文体等を考える上でも留意すべきである。句読点の問題(この版には句読点が付されていない)と共に、このような基本的事項の分析から作品研究は出発する必要があると思われる。初版本でしかも最も秀れた本文と思われるこの11行本こそ、作品研究の第一のテキストとして選ばれなければならないと思う。
     
     12行本は11行本の準かぶせ版であるから、11行本を忠実に伝え、句読点を付加し、振り仮名を多くして、その普及に役立った点で意義があり、再版本として、この作品が次第に読者を獲得していった事の一つの証左にもなっている。
     当時の書籍目録の価格から推測すると、時を経るにしたがって、11行本・12行本(大字本)は貴重本的存在になったもののようである。それに比して読者層は次第に拡大され、より多くの読者が生まれてくる、これに応えて第三版として出されたのが無刊記本ではないかと思われる。

    無刊記本は11行本を底本に使ったと思われるが、特殊な表現を一般的に改め、廻りくどい文章を簡略化し、話し言葉を書き言葉に改め、仮名を漢字に改め、そして字体も小さくしており、12行本以上に普及版としての性格をもっている。このように無刊記本は11行本・12行本に比較して、原初的な形からは著しく離れたものとなっており、その点では11行本・12行本よりも劣った本文という事になる。しかし、後続の絵入本や評判が共にこの無刊記本を底本に使用したと思われる事をも合わせて、この版は一層多くの読者に読まれた本文として、流布本的存在であると言い得るのであり、その意味でもこの版・無刊記本は決して軽視すべきではないと思うのである。
     
    絵入本は無刊記本を底本として使用したものと思うが、底本への態度は誠に忠実であり、むしろ盲従的であるとさえ言える。無刊記本の仮名を漢字に改めるにしても、それは主として丁数を少なくしようという目的で行なわれている。わずかに底本の誤りを正したものもあるが、むしろ踏襲している場合の方が多く、さらに機械的な誤脱・誤刻は圧倒的に多いのであり、絵入本の本文は無刊記本よりもさらに一層劣ったものとなっている。しかし、この版は師宣風の挿絵・四十一葉(内、見開き・三葉)を新たに付加する事がその主眼であった。当代人に好評を得たこの作品を中本という軽装版に改版し、親しみやすい絵を入れる事によって読者に応えたものであろう。

     評判も無刊記本を底本に使用したと思われるが、絵入本のように忠実ではなく、盲従してもいない。したがって無刊記本の誤りを正す事も多いが、一層誤脱などは多く、他のどの版よりも劣った本文であると言える。しかしこの版は『可笑記』の本文を改版・出版するというよりも、批評を付加する点にこそ、その目的があったのである。その意味では、同じ批評書としての『祇園物語』が『清水物語』本文の重要な部分を、時として大量に省いているのに比較すると、この評判はむしろ忠実に『可笑記』の本文を伝えたと言うべきである。浅井了意がその著作活動の出発において、当代の代表作に一段一段批評を付した事、そしてその事によって、この作品は一段と読者にとって親しみやすいものとなったところに一つの意義が認められると言ってよい。
     版式等からみても、11行本・12行本→無刊記本→絵入本と、次第に簡略化されているが、この評判が11行本・12行本に近い大字で堂々としているのは『可笑記』の第五版ではなく『可笑記評判』の初版である以上当然と言えるのである。

     以上みてきたところからも解るように、これら五つの版本は、
     I、11行本・12行本
     供¬鬼記本・絵入本・評判
    の二つの系統に分け得る。そして、このように二系統が生じたのは、11行本から無刊記本への段階で著しい改変がなされた事に原因しているのである。しかし無刊記本の改変には、11行本の現実批判的な部分を省くというような、特別の意図は無いものと思われる。むしろここで注意すべきは、11行本・12行本→無刊記本・絵入本→評判の順序で、次第に口語的表現が文語的表現に改められている、という事である。その量はさほど多くないにしても、また、作品全体に散在する口語的表現に比すればわずかであるにしても、このような現象がみられる、という事実は看過すべきでないと思う。11行本の重複ぎみの文章を無刊記本は簡略化しているが、この事と共に、ここには文章として定着させようとする意図がみられるのである。そしてこの異同は、同時に11行本の文章の特徴を逆に明らかにしているとも言い得る。この作品の文章は、漢語、俗語等、当代通行の言葉を自由に取り入れた点に一つの特色があると思われ、早く水谷不倒氏が指摘されたように「其文は極めて簡潔で明快」(『新撰列伝体小説史前編』)である事もその通りと思うが、一面では、繰り返しの多い廻りくどさも同居しているのである。そしてこれは、中村幸彦氏が論じておられる(「国語国文」昭和二十九年十二月)ように、当時流行したところの、話の文体と関係あるものと思われる。この作品の文章・文体については改めて考察を加えたいと思っているが、11行本→無刊記本の過程でこのような作品の特色が、その量の多少はともあれ、失われているという事は十分銘記しておく必要があると思うのである。

     次に、各版の先後関係について整理しておきたい。これまでの考察も実は、各版が版木に彫られた時点をその本文の成立時点として考えてきた。厳密に言うならば、各版の出版の時とその本文の成立の時とは、必ずしも一致していない場合も有り得ると思うが、それを判断する手がかりが伝わっていない現在、出版以前を推測する事はほとんど不可能であるし、また初版本以外は特別の事情でもない限り、出版の時に、すでに出された版本を底本として版下を作る可能性が大きいと思われるので、この事にそれほど問題はないと思うのである。各版の刊行年を推測すると、
     11行本…寛永十九年秋(刊記による)
     12行本…寛永十九年秋以後
     無刊記本…寛永十九年以後、万治二年(または万治元年)以前
     絵入本…万治二年正月(刊記による)
     評判…万治三年二月(刊記による)
     この中で、12行本と無刊記本はいずれが早いか即断できないが、当時の書籍目録の価格、伝本の数、その他の条件から考えると、12行本の方が早いとみるのが妥当と思われる。これについては『文学研究』二十八号で、やや詳しく述べておいた(昭和53年11月)。
     
    これを図示すると次の如くなる。

    【諸本系統図(試案) 省略】

     改版する場合、直前に刊行された版本を底本に使用するのが、当時の諸刊本において一般的傾向である事は、横山重氏の御教示によって知ることを得たが、それは『恨の介』(前田金五郎氏・日本古典文学大系『仮名草子集』解説)や『竹斎』(前田氏・同上、星野健也氏『璞』二号)においても言い得る事である。
     さて、もしそうであるならば『可笑記』の場合、11行本→無刊記本は12行本→無刊記本と、無刊記本→評判は絵入本→評判とあるべきである。しかし、右の一般的傾向の主たる理由が、入手し易い版本を使う、という点にあるとするならば、この作品に関しては、このようになる根拠が無いわけではない。12行本は11行本の準かぶせ版であるが、伝本は非常に少ない。版木等の事故によるものか否かは未詳であるが、印刷の部数は11行本よりも少なかったのではないかと推測されるのである。ここに、12行本→無刊記本とならなかった原因があるのではないだろうか。また、評判と無刊記本・絵入本の関係であるが、評判が前年出版された絵入本を使わずに、無刊記本を使っていると言う事は、万治三年の時点で無刊記本が入手し易い状態にあった事の証左になる。中本にぎっしりと書き詰められている絵入本よりも、大本の無刊記本を選んだのではないだろうか。なお、これに関しては、視点を変えるならば、評判は絵入本より早く無刊記本に接して批評を付加したが、刊行は絵入本より後になった、という事もあり得る。このような、評判の成立時期についても考慮する必要があると思うが、これに関しては改めて考察を加えたいと思っている。

     以上考えてきたところからも明らかなように、この作品の研究は、寛永十九年版十一行本を第一のテキストとして行なわれなければならない。特殊な言葉が有るなら、その分析から始めなければならず、重複し、繰り返される文章の意味を考える必要がある。それらの諸要素を失った。無刊記本・絵入本は所詮、第二第三のテキストたる事を出ることはできないと思うのである。

    附記 この稿の成るにあたっては特に長澤規矩也先生は無刊記本を、横山重先生は絵入本を、御恵与下され、何かにつけて御指導を賜りました。両先生には深甚の謝意を表します。   (深沢秋男)

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    追記】
     本書は、二松学舎大学の田中伸先生の御厚情によって、共著者に加えて頂いたものです。
     昭和43年の、日本近世文学会春季大会で、私は、「『可笑記』の諸本について」と題して発表しました。発表が終った後、田中伸先生から、寛永19年版11行本と12行本の先後関係に関して反対意見が出されました。その場では、お互いに自説を譲りませんでしたが、その後、11行本が先である理由を詳しく御説明申し上げて、田中先生も納得して下さいました。このような経緯があり、かねてから、『可笑記』の本文の出版を計画しておられた田中先生から、声をかけて頂いたのです。
     恩師、重友毅先生からは、この近世文学会での発表結果も、『近世文芸』ではなく、『文学研究』に掲載するように、最初から指示されていました。田中先生の件も、重友先生の御許可を頂いて、本書に加えて頂くことが実現したものです。 
     本文のテキストクリティークには、寛永19年版11行本は、鹿島則幸氏の桜山文庫本、寛永19年版12行本は、国立国会図書館本、無刊記本は、長澤規矩也先生の所蔵本、絵入本は、横山重先生の赤木文庫本、可笑記評判は、東京大学附属図書館本を、それぞれ使用させて頂きました。
     田中伸先生、重友毅先生、鹿島則幸先生、長澤規矩也先生、横山重先生に対して、改めて心から感謝申上げます。
     本書刊行から、42年後の本日、この解説を整理して、感慨深いものがあります。
                     平成28年11月17日
                              深沢秋男


    ■『可笑記大成―影印・校異・研究―』