博打八法

2017.04.24 Monday

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    ●今日、ネットを通して、金沢の古書店から、ひろさちや著『「賭け」と宗教』を購入した。何と、100円、送料等300円、合計400円を配達者に支払った。学生時代、神田の古書店を廻り、少しでも安い本、少しでも奇麗な本を探した頃が懐かしい。著者のひろさちや氏とは、東大の哲学を出た人で、凄くたくさんの啓蒙書を出している。このような人生もあると言うことである。
    ●それはさておき、博打に関する項で、『可笑記』を引用している。
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    〔藤原明衡の『新猿楽記』は、当時のさまざまな職業や職人についても伝えている面白い本である。その中に双六・博打についてについても述べられている。〕

    (なお、この「心得」は、爐个ち八法の事瓩箸靴董江戸時代の仮名草子である『可笑記』にも登場する。相当に人口に膾炙したものであったらしい)。
     一、心………心は大きく持て。これは当たり前のことだ。
     二、物……資本は多いほどよろしい。博奕の必勝法は――論理的には――倍々と賭けることだ。負けても負けても、常にその倍額を賭けてゆけば、必ず勝てる。問題は、その資本がつづかないことだ。倍々と増加すれば、すぐに天文学的な数字に到達する。
     三、手……技術。技術の向上に励め。『可笑記』では、犹鮎絖瓩班週している。上手であること。
     四、勢……勢いとは、詮ずるところ強気であろうか。『可笑記』は犹誉瓩箸いぁ⊆甲綽瓦龍いことだという。執着心がないと、見落したり、眠くなって欺かれたりする、と解説している。なるほど、その通りだと思う。
     五、力……無理矢理、力ずくでも勝とうとすること。そろそろ、おっかない心得になってきた。
     六、論……論争、口げんかによって相手を言いくるめること。
     七、盗……それでも負けそうになれば、敵の持ち物を盗むこと。物騒な話だ。
     八、害……最後には、相手を殺してでも負けを取りかえす事。桑原桑原。
     これでは安心して麻雀もやれない、といった感想を洩したくなるが、しかし安心のために賭けごとをするのではない。安心したいのなら、賭けごとはせぬことだ。賭博をやる以上は、暴力を覚悟せよというのが、だいたいの結論であろうか……。
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    ●これは、『可笑記』巻5の72段に出てくる。この一段は、次の如くである。
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    ▲かかし、
    さる人のをしへに曰、
    侍と生れては、弓馬の家なれば、少、弓を射ならひ、馬をかんようと、のりならふべし。
    馬下手なれば、山水のかけわたしもなりがたく、万不足おほし。馬上手なれば、五騎十騎が中に、とりこめられても、たやすく、きられつきおとされず、かけ引自在にして、手柄をするは馬故也。
    扨、槍太刀の兵法、心得べし。皆人毎に、兵法用にたゝぬと、いへども、それがしは、さは存ぜず。いかにとなれば、木刀しなひうちをさせてみるに、何時も、むてなるものは、たゝかるゝ。さあらば、木刀しなひうちの時の心にて、誠の切合の時、はたらき候はゝ、かならすかつべし。
    しからば、兵法の用に、たゝぬにはあらずして、をのれが
    憶病成ゆへに、誠の切合の時は、兼てけいこの兵法をも、
    うちわすれて、とり出さぬ故也。
    扨、物かく事、たしなむべし。物かゝぬ人は、万、物云事
    も、ふつゝかに、大事の用もかけ、諸事に不足也。
    この外、奉公のひま〳〵にしたがつて、学文詩歌、しつけがた、鉄炮など、少づゝならふべし。かへす〳〵、博奕、諸勝負などの、もてあそび、しんしやくあるべし。天下一の、上手と、いはれたるよりは、しらぬ方こそ、まさりなれ。
    されば、ばくちをうつには、一心、二物、三上、四性、五力、六論、七盗、八害、とて、八つの物そろはねば、かたぬと云。
    まづ、一心とは、まけても大事なしと、こゝろをおほへいにもつ事。二物とは、銭金をたくさんにもちて、一番めに、金子一両まけたらば、二番めには弐両たてゝうつ、二十両まけたらば、四十両たてゝうつ。かくのごとくすれば、一度は、何としても、かつ事あるゆへに、つゐにはかちと成。三上とは、上手がよし。へたなれば、かつ事なし。四性とは、おもひ入の、つよきがよし。思ひ入がよはければ、見おとしもあり、又、ねぶたくもなりて、ぬすまるゝをもしらず。五力とは、あまりに、まけたる時には、むりひがことを、云かけて、うばいあふ時もあり。カよはくてかなふまじ。六論とは、口をきゝ口論をして云まくり、むかふのものに、気をせかせては、きほひをとる。七盗とは、人の目をくらまし、ぬすみを
    せねばかたれぬぞ。八害とは、右の一心、二物、三上、四性、五力、六論、七盗の七つを以もまけたるときは、そのあひてを、きりころして、とるより外の事なし。かくのごとくしても、かちたるがよし。
    さあれば、此勝負事と云は、内心に破戒のつみふかく、外義に、五常の罪おもし。しかれば、仏神の御めぐみにもゝれ、聖賢の御をしへにそむく。
    さればにや、いにしへより、かちてさかへしものはなくて、まけて、身命をうしなへるものはおほし。たとひ又かちて、当座は、よしと思へども、まけたる者は、かならずてきかたきとなる。さあらは、わざとあたをつくりて、まうくるなるべし。
    物のたとへにさへ、すりきりみぐるしき風情をみては、ふるばくちうちかと、いひあへり。たとひ当座のなぐさみにするといへ共、かちまけをあらそひ、つらをあかめたるも、見にくし。其上、やゝもすれば、いはれまじき詞を、あやまり、けんくはをしいたし、身命をあやまる。第一ぶ奉公の中だち、万事用所かくると心得べし。
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    ●安倍さんは、博打を導入したいと叫んでいる。いやはや。

    ■ひろさちや著『「賭け」と宗教』