新聞記者 になりたかった

2016.04.06 Wednesday

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    ●私は、職業としては、新聞記者、編集者、教員、この3つに
    絞っていた。まず、新聞社に挑戦した。学内推薦をもらって、
    毛筆の履歴書を書いて、毎日新聞の入社試験を受けた。みごと、
    1次試験で落ちた。学習研究社も受験した。これは2次で落ちた。
    ●教員も、全て高校で、東京・埼玉・千葉・神奈川・山梨と
    受験し、全てB評価であった。これでは採用の見込みなし。
    北海道へ行くか。野田先生がおられるし。で、函館ラサールに応募、
    内定したが、重友先生の卒論面接で針路変更。
    ●桃源社編集部、誠文堂新光社辞典部、昭和女子大学と移る。
    自分から、そうした、というよりも、時の流れに身を任せた。
    大学の教員になりたいとは、一度も思わなかった。
    ●昭和女子大は、凄かった。副学長の松本先生は、毎日新聞を
    経ていて、ミイラ研究の第一人者。国文科の学科長は、赤松先生。
    赤松先生は、毎日新聞の論説主幹で、文芸評論家、しかも、
    重友毅先生の教え子。加藤先生は読売新聞、阿部先生は時事、
    だったと思う。私は、憧れた新聞記者の先生方を尊敬して、
    いろいろ教えて頂いた。思えば、ありがたい職場環境であった。