名刺 雑感 

2018.10.21 Sunday

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    名刺 雑感 

    斎藤輝利 株式会社 斎藤金型製作所 代表取締役
    昭和62年8月6日(1987)
    ●如儡子・斎藤親盛の、第13代目の御子孫、斎藤豪盛(輝利)氏。

    ●京都大学名誉教授・野間光辰氏は、1987年4月30日、御逝去。
    野間光辰氏の「如儡子系伝攷」は、『可笑記』の作者の伝記研究としては画期的な論文であった。野間氏の御生前中、氏の研究に対して、検討を加えることを、私は、要請され、許されていた。野間氏の御逝去を機に、氏との約束を果たすために、如儡子の伝記研究に着手したのである。

    私は、研究の手順として、
    作品研究 → 作者の伝記研究 → 再び作品研究
    このような計画を立てていた。
    私は、伝記研究の方法を検討していたが、従来の方法から脱したいと考えた。

    ■伝記研究の方法
    私も、井関隆子、鈴木重嶺、鹿島則文、鹿島則孝、飯田龍一、等の歴史上の人物の伝記研究では、従来の方法で執筆してきた。しかし、この方法では、科学として考えた時、十分とは思えなかった。そこで打ち出したのが、如儡子の伝記研究の方法である。
    •如儡子(斎藤親盛)調査報告〔1〕深沢秋男(『文学研究』67号 1988年6月)
    •如儡子(斎藤親盛)調査報告〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』4号 1988年12月 )
    •如儡子(斎藤親盛)調査報告〔3〕深沢秋男(『文学研究』68号 1988年12月 )
    •如儡子(斎藤親盛)調査報告〔4〕 深沢秋男(『文学研究』70号 1989年12月 )
    •如儡子(斎藤親盛)調査報告〔5〕深沢秋男(『文学研究』78号 1993年12月)
    •如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔1〕深沢秋男(『近世初期文芸』27号、2010年12月)
    •如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』28号、2011年12月)
    •如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔3〕深沢秋男(『近世初期文芸』29号、2012年12月)
    •如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔4〕深沢秋男(『近世初期文芸』30号、2013年12月)
    •如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔5〕深沢秋男(『近世初期文芸』31号、2014年12月)

    ■伝記資料のランク付け

     我々が過去の歴史上の人物の伝記を作成する場合、さまざまな資料を使う。私は、かねがね、伝記資料を次のように区分すべきではないか、と考えていた。

     第一資料 過去帳・位牌・墓石
     第二資料 本人の作品・著作・自筆の記録類
     第三資料 公的記録(幕府の史料、藩の史料、市町村の記録、棟札、地図等)
     第四資料 父・子・先祖・子孫・親族・友人・知人等の関連資料
     第五資料 軍記・軍書・物語
     第六資料 その他

    このように区分して、出来るだけ、各々を混合せずに活用するように努力してきた。また、伝記資料は、原資料を出来る限り、手を加えず、資料全体を写真や翻刻で定着するように努力してきた。「如儡子(斎藤親盛)調査報告」として公表してきたのは、そのためである。出来得る限り信頼できる資料に基づき、これらの資料に資料批判を加えて、これらに基づいて骨格を組み上げ、その他の資料で肉付けしたいと願っている。しかし、これは、言うは易く、実行するは誠に大変な事で、未だに思うような水準までたどりついてはいない。
    ただ、平成30年7月、斎藤家の初代、如儡子の祖父、斎藤光盛の出自を、新潟県東蒲原郡阿賀町赤岩である、と推測する説を提出できたのは、誠に僥倖であった。多くの方々の協力があっての事ではあるが、事実への肉薄を願う執念に対して、天が与えてくれた御褒美だと、思っている。

    ●さて、斎藤豪盛氏との初対面は、昭和62年8月6日、二本松市松岡の松岡寺であった。初めて、斎藤家の墓所へお参りした。この時、斎藤氏の御配慮で、漆間瑞雄氏、大隈正光氏、渋谷信雄氏ともお会いすることができた。以後、如儡子の伝記研究で、多くの御指導を賜わることになる。
    ●斎藤氏は、名刺代わりだと言って、二本松から、山形を経て、御自宅の長井市へ案内して下さり、斎藤家の仏壇にお参りさせて下さった。長井に1泊し、次の日は、出羽三山を越えて、日本列島を横断し、鶴岡、酒田まで案内して下さった。酒田では、田村寛三先生を紹介して下った。
    ●以後、私は、ほとんど毎年の夏休みを利用して、二本松、鶴岡、酒田へ調査にでかけたが、斎藤氏とも何回も調査した。羽黒山の宿坊に一週間泊まって、出羽三山の調査をしたこともある。

    ●平成27年(2015)6月23日、斎藤氏は、私たち夫婦を招待して下さった。斎藤氏御夫妻と4名で、郡山、松島遊覧、二本松(斎藤家墓所参詣)、蔵王温泉宿泊、米沢、と回って、4名で、往時を語りあった。斎藤氏の奥様は、武家の主婦として、万事控えめではあるが、斎藤氏を全面的に支えておられる。
    ●仮名草子『可笑記』の作者、如儡子・斎藤親盛の伝記を研究する私にとって、その御子孫の斎藤豪盛氏に出会えたのは、奇跡と言ってもいいことで、30年間にわたって、共に斎藤家の調査を実施できたことに対して、心から、感謝している。

    ●本年、平成30年12月発行予定の『近世初期文芸』35号に、斎藤家初代、斎藤光盛の出自に関して、長年あたためてきた新説を提出できるのも、斎藤豪盛氏の協力があったからである。感謝、感謝、また感謝である。

    ■斎藤家墓所






    ■斎藤豪盛氏の愛車 白色のセルシオ 斎藤広盛は、奉行時代、白馬で駆け回ったか