分に過ぎた下宿先

2017.05.26 Friday

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    ●私は7人兄姉弟の末っ子だったので、兄や姉の、皆から可愛がられ、何時までも母親から離れられなかった。高校卒業後は、村役場に勤め、戸籍掛を担当しなから、走り使いをしていた。中学2年の時、義兄からカメラをもらって、カメラ狂になった。新築の家の広い土間に暗室をつくって、現像、焼付、引伸をした。戸栗工務店の社長さんから、出資するので、写真屋をやらないか、と打診されて、これはまずい、と東京へ出た。今、考えると、上京後の下宿先がすごい。

    ■住んだ所
    〔3〕東京都新宿区千駄ヶ谷、徳川家・葵会館
    〔4〕東京都世田谷区上野毛、多摩美術大学
    〔5〕東京都品川区高輪、旧北白川邸
    〔6〕東京都渋谷区道玄坂、天松邸
    〔7〕東京都品川区上大崎、久米邸

    〔3〕東京都新宿区千駄ヶ谷、徳川家・葵会館。
    ●徳川15代将軍縁の建物が、千駄ヶ谷駅前にあった。この建物を横井英樹の日本産業が買い取り、解体する事になった。この解体作業を、木造建築では有名な佐藤秀工務店が行い、この工務店の棟梁だった私の義父が実際に担当したのである。日本産業から、中田さんが派遣され、佐藤秀工務店からは私が出て、2人は、毎日、この徳川将軍家縁の家に泊まりこんで、貴重な家具や器具の管理・保管に努めた。
    ●中田さんは、京都大学卒のエリートで、毎晩、貴重なお話をしてもらったり、英語を教えてもらったりした。とにかく、大学へ行くように勧められた。そんなことがあって、大学受験の勉強をし始めたのである。後年、法政大学を卒業した時、日本産業へ電話して、中田さんをさがしたが、連絡することができなかった。
    ●私の義父は、早稲田の技術専門学校(後の早大工学部)を出た、宮大工だった。江戸時代の大工が技術の粋を集めて建てた家の解体である。木材も最高のものを使用していた。私は、毎日、義父が解体する工事現場を見ていて、心の底から、宮大工になりたいと思ったのである。
    ●徳川家縁の家の一室に、京都大学卒の立派な人柄の中田さんと泊った、私の下宿先は、甲斐の山猿にとっては、分に過ぎたものであった。

    ■現在の千駄ヶ谷駅前
     当時の、葵会館は、屋内プールの辺りにあったように思う。