出羽三山の廃仏

2017.07.15 Saturday

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    ●荘内日報に、出羽三山の散逸した仏像を収集したことが報じられている。
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    神仏分離で散逸の仏像250体一堂に 出羽三山神社「羽黒山千佛堂」完成

     羽黒山頂にある出羽三山神社(宮野直生宮司)参集殿脇に出羽三山の神仏習合時代の歴史を伝える仏像約250体を納めた「羽黒山千佛堂」が完成し10日、現地で竣功(しゅんこう)式が行われた。酒田市の収集家が1974年に同神社に奉納したもので、これまで出羽三山歴史博物館に安置されていた。竣功式は神道と、仏式の羽黒山法楽が融合した形で執り行われ、信仰の山としてのさらなる発展に祈りを込めた。

     1868(明治元)年に神仏分離令が発令されるまで、神道と仏教が共存する「神仏習合」の信仰が受け継がれてきた。羽黒山中には多くの寺院があったが、神仏分離令によって寺は弾圧を受け、仏像仏具は羽黒山を下り散逸した。

     日本最古の木造灯台である酒田市の日和山公園にある六角灯台などを手掛けた大工棟梁で信仰心のあつかった故佐藤泰太良氏が散在した仏像群を個人的に収集。1911(明治44)年に自宅敷地に土蔵の収蔵庫を「千佛閣」と名付けて安置。その後、ひ孫に当たる完司さん(68)=酒田市日吉町=が同神社に奉納し、出羽三山歴史博物館で安置してきた。

     同博物館は冬期閉館となるため、より多くの人に神仏習合時代の仏像群を拝観してもらおうと新たなお堂の建設を計画。昨年秋に着工し、参集殿と霊祭殿の間に木造平屋建て高床式、床面積99平方メートルの建物を建設。羽黒山内の杉材を多用し、3つの建物は渡り廊下で結んだ。総事業費は7000万円。

     この日の竣功式は明治以降初めてとなる神道と仏式の両方で行われ、神社関係者の他に羽黒修験法を受け継ぐ天台宗の羽黒山荒澤寺・正善院の島津慈道住職、金剛樹院の島津玄真住職らが参加。古くは平安後期作の大小さまざまな安置された仏像を前に、神式では祝詞奏上に続き玉串拝礼、仏式では般若心経の読経が響き参加者全員が焼香するなど、厳かに行われた。

     完司さんは「仏像は多くの方に手を合わせていただいてこそ存在意義がある。独立した堂を建てていただき大変ありがたい。大勢の方に拝んでいただきたい」と話していた。

     千佛堂の拝観は無料。仏像には県・市指定有形文化財も含まれている。
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    明治の神仏分離で神社となった。1873年(明治6年)に国家神道推進の急進派であった西川須賀雄が宮司として着任し、その際に廃仏毀釈が行われ、特に羽黒山において、伽藍・文物が徹底的に破却された。その結果、別当寺が廃され神社となって3社を1つの法人が管理することとなり、出羽神社に社務所が置かれた。旧社格は月山神社が官幣大社、出羽神社・湯殿山神社が国幣小社である。戦後、神社本庁の別表神社となった。【ウィキペディア より】
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    ●私は、出羽三山の神社を調査したことがある。5日間、手向の宿坊に泊り込んで、山内の寺社を調査した。最長老に面会させて頂き、その紹介状を持参して、多くの方々にお会いし、御配慮を賜った。
    ●仮名草子作者、如儡子の叔父は、羽黒山神社の警備の責任者だった。如儡子は、幼少期から、叔父の配慮で羽黒山内の寺社に所蔵されていた資料を閲覧することができたのではないか、そんな予測のもとで調査したのである。
    ●調査開始後、判明したことは、明治の初めに行われた、廃仏毀釈の愚行の痕跡だった。山内の至る所に石碑が転がっていた。300とも言われる寺が取り壊されたと言う。全国に分散してしまった貴重な資料を調査するのは、不可能に近い。
    ●今回、神仏分離で散逸した仏像250体が集められたというニュースを見て、感激とともに、嘆息がもれる。

    ■「羽黒山千佛堂」

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    2017.11.24 Friday

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