佐佐木信綱 と 鈴木重嶺

2017.05.17 Wednesday

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    ●佐佐木信綱の『ある老歌人の思ひ出』をネットで見た。昭和28年10月25日、朝日新聞社発行。その中に、「明治時代の思ひ出」の項があり、「歌会」の項の、そのトップに「鈴木重嶺翁の会」が収められている。
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    歌 会
    父からいはれて、所々の歌会に出席した。

    鈴木重嶺翁の会

    一月の発会と十二月の納会は九段上の万亀楼、あとは、今川小路の筆屋玉川堂の裏の細長い座敷で毎月催された。翁は幕臣で、佐渡奉行をもつとめられ、勝海舟伯とはしたしかつたので、初会にはいつも勝さんが出席された。幼なかつた自分が目にとまつたとみえて、ある時、「一日再難晨 歳月不待人 興信綱子 海舟」といふ短冊をかいて、この古い詩の意味をよくおぼえをるやうにと誡めて下さつた。津軽伯、小杉榲邨、井上頼圀博士なども、発会には出席され、当時、鈴木翁は、民間歌人の第一人者であつた。自宅は、飯田町の国学院のあつた辺、後、牛込神楽坂の裏坂下に移られた。
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    ●鈴木重嶺は、明治期の旧派歌人の一人として活躍し、佐佐木信綱は、若い頃から重嶺と交流があった新派歌人の代表だろう。近代日本短歌史で、この新派旧派の研究もされなければならないと思う。私は、鈴木重嶺の実の御子孫、松本誠先生との関係で、重嶺の伝記資料を整理したが、近代短歌史の中での、重嶺の位置付け、評価もなされる必要があると思う。


    ■佐佐木信綱『ある老歌人の思ひ出』


    ■「歌会」

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    2017.05.26 Friday

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