江戸の名所と美女 飯田町

2017.04.09 Sunday

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    ●【メタポンのブログ】に、「江戸の名所と美女 飯田町」  
    2016-09-25 06:39:35
    がある。酒好きの井関隆子のことに触れているのて、少し引用する。
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    絵を見ると、並行する3本の坂道が見えます。
    一番左は九段坂、或いは田安坂とも言います 。
    由来は、土留が九段あったからとも、坂沿いの家が
    九段あったからとかの説が有ります。

    今も、急な坂であり、坂の左は牛が淵という堀があります。
    これは、銭を積んだ牛車が、この淵に落ちて、
    遂に登ることが出来なかったという故実にあります。

    九段坂を登ると田安門が有り、千鳥ヶ淵に至る。
    千鳥の形に名ているからともいう。

    隣の中坂との間の町を飯田町と云います。
    中坂の途中に、世継稲荷社が有ります。
    2代秀忠の由来が有ると社史は伝えている。

    真ん中の坂が中坂、一番広く、荷車が見えます。
    ところが、「東京府資料」によると、
    九段坂の幅は16間合、中坂が9間7号、
    もちのき坂は4間であり、九段坂が一番広い。(約29m)
    しかし、中坂にのみ、荷車があることから上り下りには
    一番平坦な道だったのでしょう。

    江戸は起伏の多い土地で、坂だけでも300あると
    云われてます。
    坂の所に居て、荷車を押す仕事もあります。
    これは明治になってもよく見かけたそうです。
    九段坂などは現代よりもはるかに急であったのです。
    他の坂も同様で、ちょっとした坂の所には男が立ってました。
    大八車などを押して小遣い稼ぎをするのです

    一橋家に嫁入した元大垣藩の姫・徳川元子は、
    毎朝、学習院に通学の時、人力車で通うのですが、
    この九段坂に来ると、車夫が可哀相で
    自分が下りて押してあげようかと、何時も、申し訳なく
    思っていたそうです。

    右側の坂は、もちの木坂。
    坂の上の青山家の庭に、もちのきの大木が有ったからともいう。

    川は飯田川、橋は俎板橋。火の見の辺りは、
    荷上げ場になっていて、材木が山積みになっている。
    何処の川でも同じだが、いつも舟が一杯である。
    荷物を満載した舟、荷上げを待っている舟、
    江戸は水路で成り立っているという事実が実感として良く判る。

    飯田町は武家屋敷が大半だが商業地も少しあった。
    特に葉茶屋とお菓子屋が多かったようである。
    そして酒も売っていたようで、度々登場する旗本婦人の
    井関隆子の屋敷は、この近くにあったが、大の酒好きな
    隆子は日記でこう述べている。

    「近頃酒が高くなっている。
    元からある剣菱や滝水は最近味が落ち、名前だけである。
    それに比べて新川で売っている酒は良い。
    ここの飯田町で売っているものは劣るので買わない。」

    新川というのは新酒が上方から到着する様子を描いてますが
    新川河岸のことでしょうか、
    そこで小売もやっていたのでしょう
    【以下省略】
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    ●『井関隆子日記』天保14年1月3日の条に、次の如くある。

    「近きころ、価のしやしうなれりしは酒なり。さるは、もと滝水・剣菱などいふたぐひ名のみいみじう記しつつ、其の品いたくおとりたり。此の物、新川にてひさぐは、其の中によろし。ここの町なるは、殊にあしければ、買はず。」

    ●隆子は、大の酒好きで、よく、家族が集まって、月見だ花見だと、酒を飲んでいる。子の親経は、余り酒を飲めないが、孫の親賢は、酒が好きで、隆子と2人で、よく飲んでいる。

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    ■「江戸の名所と美女 飯田町」


    ■『井関隆子日記』天保14年1月3日 の条
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    2017.04.29 Saturday

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