重友先生と大洗海岸

2017.03.14 Tuesday

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    重友先生と大洗海岸
                             
                                  深沢 秋男

    「あらッ!」
     お嬢さんの声に私が振り向いた時、打ち寄せる波の先端はすでに重友先生の両足に達していた。
     早速、新聞紙を砂浜にひろげ、そこに座わって頂いた。お嬢さんと私は、海水の十分に滲みこんだ靴から、水分と細かい砂をていねいに拭い取った。
    「恐縮、恐縮」
     そう仰って両足を挙げておられる先生。平素、万事に慎重で敏捷な先生の、この思わぬ失策に、私は内心、いささかはしゃぎ気味であった。
    「わざわざこんなとこ迄来て、足を濡らすとはねえ君、これこそ大洗海岸だね」
     先生のこのお言葉に私は許しを得たように吹き出してしまった。お嬢さんも、そして先生も一緒になって笑った。先生の黒縁の眼鏡は、やわらかい光を反射し、右頬の黒子は快活に動いた。
     昭和四十一年二月、水戸へ桜山文庫の鹿島則幸氏をおたずねして『春雨物語』など八点の御蔵書を拝借しての帰りの出来事である。大切な仕事を一つ済ませて、ほっとされた直後のこの失策。砂浜には私達三つの人影以外に動くものは無かった。そんな中で、先生は大自然の美しさにみとれて、思わず我を忘れておられたのかも知れない。
     大きく湾曲した海岸を、数条の白線が走っている。時に広く、細く、点在する岩礁の黒点に跡切られながら……。巨岩を洗う怒涛も、この路上からは緩やかな自然の息づきのように映る。
     この時の、重友先生の温かい表情をたたえた笑顔と、この景色は印象深く焼きついていて忘れられない。
     また、帰りの車中、向かいの座席で撮らせて頂いたお写真は、隣席のお嬢さんにそそがれる眼差しが、何ともやさしく、それが私にまではね返ってくる。
     私は中学時代からのカメラ狂で、先生のお写真も随分撮らせて頂いたが、初めはなかなか良いものが出来なかった。しかし、いつ頃からか、先生の自然なお姿・表情が写せるようになった。多分、先生が私の特つカメラを意識されなくなったからだと思う。先生の頌寿記念論文集の口絵に、私の撮った写真を使って下さった。これは、私の一つの誇りである。
            (『文学研究』第50号、昭和54年12月発行、より採録)
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     重友先生は、昭和63年8月11日、御他界なされた。78歳であった。御葬儀、告別式は、8月20日。葬儀委員長、山岸徳平。友人代表、谷川徹三。この時の遺影にも、私の撮影した写真を使用して下さった。今も、小さな書斎で、先生は、私を見守っていて下さる。
                                        2017年3月14日


    ■大洗海岸 ネットより借用

    ■現在の書斎の先生


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    2017.06.21 Wednesday

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