井関隆子 『しのびね物語』 に注を付す

  • 2017.01.07 Saturday
  • 16:34
●岩坪健氏著『『しのびね物語』注釈』(2015年12月15日、
和泉書院発行)を見た。この著書の底本は、静嘉堂文庫所蔵
「しのびね」(松井簡治旧蔵)である。
その第三章第二段に、次の如くある。
【表記など、省略したり、変えた部分がある。】
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いかさまにも、ことの気色〔けしき〕ゆかしければ、また立ち返りて、『誰とか尋ぬべからむ』と思ひ煩ひ給ふに、「中納言の君や、こちへ参り給ひね」と言ふ声につきて立ち寄り給ひて、随身して、「ここに人の、月に引かれてあくかれ侍る。御宿申さむや」【注4】と言はせ給ふ。いと思ひかけぬ狩衣〔かりぎぬ〕姿の男なり。『いかなる人にておはすらむ。このあばら屋には、いかでか明かし給ふべき』と休らふに、君、さし寄り給ひて、「いと苦しからぬ者にて侍る。ただ、ここの御簾〔みす〕の前に、御宿直〔とのゐ〕申し侍らむ。夜も更けぬれば、行くほど侍らじ」と、のたまふ御気色、世の常の人とも見えず美しければ、「申し侍らむ」とて入りぬ。
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この本文に、次の如く注を加えている。
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【注4】頭注「御やと申さんや 井関隆子云、「申さんや」にては自他わかたす。申させ玉はンや 又は 申させ王はなんやなとゝ有へし」(小字の「ん」【引用ではンとした】は後筆。傍線は写本のまま【引用では省略した】)。井関隆子(生没一七八五〜一八四四年)の実家(庄田家)も嫁ぎ先(井関家)も、代々徳川家に仕えた旗本。特定の師には就かず、真淵・宣長・千蔭などの著書について学ぶ(深沢秋男氏『井関隆子日記』解題。勉誠社、昭和五三年)。
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●この外、第十八章第一段でも、
「……ついで見せ奉らんと思ふぞ」とのたまへば、……」【注9】
に対して、
【注9】頭注「ついて 井関隆子云ついてはゐての誤ならん」。筑波大学本は「つゐてに」。
と注を付けている。

●ざっと見たのみであるから、まだ、見落としもあるかと思う。
それにしても、このような擬古物語の写本に、井関隆子は、
どうして注を加えたのであろうか。原本の写本を直接調査すれば、
この注記が、隆子の自筆であるか否かは判明する。これは、
今後の課題である。
●岩坪健氏の労作に対して感謝申上げる。

平成29年1月7日
深沢秋男



■岩坪健氏著『『しのびね物語』注釈』


■『しのびね』の絵図
  岩坪健氏著『『しのびね物語』注釈』より

 

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