堀新・井上泰至 編 『信長徹底解読』

  • 2020.08.01 Saturday
  • 00:04
堀新・井上泰至 編 『信長徹底解読』

2020年7月31日、文学通信発行
A5判、398頁、定価2700円+税

目次

序  歴史と文学の共謀――五十五年の夢、五十年の夢  井上泰至×堀 新

1、若き日の信長と織田一族  谷口克広×湯浅佳子
2、今川義元と桶狭間の戦い  堀 新×湯浅佳子
3、美濃攻め  土山公仁×丸井貴史 
4、堺と茶の湯  吉田豊×石塚修 
5、信長と室町幕府  水野嶺×菊池庸介
6、元亀の争乱  桐野作人×井上泰至 
7、本願寺と一向一揆  大澤研一×塩谷菊美  
8、長篠の戦い  金子拓×柳沢昌紀
9、中国攻め(摂津播磨を含む)  天野忠幸×菊池庸介
10、信長の城  松下浩×森暁子
11、信長と女性  桐野作人×網野可苗
12、信長と天皇・朝廷  堀新×井上泰至  
13、武田攻め(長篠以降)  柴辻俊六×森暁子
14、明智光秀と本能寺の変  福島克彦×原田真澄  

●コラム

太田牛一と信長公記  堀 新 
信長とフロイス  桐野作人
長篠合戦図屏風  金子拓 
洛中洛外図屏風と安土図屏風  堀 新
信長の肖像画  堀 新

●付録

信長関連作品目録  竹内洪介 編
信長関連演劇作品初演年表  原田真澄 編

●あとがき  堀 新
●執筆者プロフイール

◆編者

堀  新(ほり・しん)  共立女子大学教授
井上泰至(いのうえ・やすし)  防衛大学校教授

◆執筆者

堀  新
井上泰至
谷口克広(たにぐち・かつひろ)  戦国史研究家。
湯浅佳子(ゆあさ・よしこ)  東京学芸大学教授。
土山公仁(つちやま・きみひと)  元岐阜市歴史博物館学芸員。
丸井貴史(まるい・たかふみ)  就実大学講師。
吉田 豊(よしだ・ゆたか)  元堺市博物館学芸員。
石塚 修(いしづか・おさむ)  筑波大学人文社会系教授。
水野 嶺(みずの・れい)  東京大学地震研究所特任研究員。
菊池庸介(きくち・ようすけ)  福岡教育大学教授。
桐野作人(きりの・さくじん)  武蔵野大学政治経済研究所客員研究員。
大澤研一(おおさわ・けんいち)  大阪歴史博物館館長。
塩谷菊美(えんや・きくみ)  同朋大学仏教文化研究所客員所員。
金子 拓(かねこ・ひらく)  東京大学史料編纂所准教授。
柳沢昌紀(やなぎさわ・まさき)中京大学教授。
天野忠幸(あまの・ただゆき)  天理大学准教授。
松下 浩(まつした・ひろし)  滋賀県文化スポーツ部文化財保護課主幹兼安土城・
城郭調査係長。
森 暁子(もり・あきこ)  お茶の水女子大学グローバルリーダーシップ研究所
特任アソシエイトフェロー。
網野可苗(あみの・かなえ)  
柴辻俊六(しばつじ・しゅんろく)  元日本大学大学院講師。
福島克彦(ふくしま・かつひこ)  大山崎町歴史資料館館長・学芸員。
原田真澄(はらだ・ますみ)  早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教。
竹内洪介(たけうち・こうすけ)  北海道大学大学院文学院博士後期課程。

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●とても興味深い本である。織田信長に関する、1つ1つの主題を、実像(歴史史料)と虚像(文学)の両面から探究している。歴史史料にしても、『信長記』にしても、人物が信長だけに大変である。各項の執筆者は、近世後期の史料まで探索して、説得力のある内容となっているように思う。文学と歴史史料の関係は、実に興味深い。

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歴史における事実と虚構
• 2020.07.12 Sunday

歴史における事実と虚構

第18回大会講演要旨(平成18年12月16日)

歴史における事実と虚構 ――『井関隆子日記』の記述から――
                    前昭和女子大学教授   深 沢 秋 男

一、 はじめに

 近代的語辞典の最初の名著、大槻文彦の『大言海』は「文学」の語の意味に、小説・詩歌などと共に「歴史」を含めている。これは決して誤りではない。現在、私達は、歴史と文学を別の学問としで扱っているが、それは研究が進み細分化されたという事に過ぎない。
 歴史学とは、過ぎ去った時代の、我々の先祖が、それぞれの時代において、どんな事を行い、どんなモノを後世に伝えたか、そして、それは、人類の歴史において、どんな意味をもっているか、それを解明する学問であり。それは、あくまでも、残された事実に基づくもので無ければならない。その点で、フィクションが中心になる文学とは異なる。しかし、文学は時として、過去の出来事の背後にひそむ真実を伝えている事がある。

二、「井関隆子日記し(昭和女子大学図書館蔵)について

 昭和女子大学図書館・桜山文庫には『井関隆子日記』が所蔵されている。著者自筆の写本、十二冊、全九六六葉。著者は、井関隆子(いせき・たかこ、一七八五〜 一八四四)で、旗本の主婦である。『日記』は晩年の五年間(一八四〇〜四四)に亙つて記されている。その内容は、その日の天候、四季折々の自然の変化、日々の出来事、様々な見聞、当時の風俗・習慣、年中行事、幼い頃の思い出、人物・社会・政治・学問・文学等に対する批評、折々に詠じた和歌などが、著者の意のおもむくままに記されている。
 殊に、この『日記』の特色は、徳川幕府の動静や江戸城中の様子が具体的に、また比較的に正確に記録されている事である。それは、著者の子の親経(ちかっね)や孫の親賢(ちかかた)が、将軍や大奥に深く関わる係を担当していて、その情報を隆子に、詳細に、また正確に伝えていだからであろう。

三、『井関隆子日記』に見られる天保期の歴史的記述

 天保十一年〜十五年の社会状況は、近世の歴史の上から見ても、激動の時代であった。天保十二年閏一月に第十一代将軍・家斉が没するのと前後して、首席老中・水野忠邦を中心とする幕府首脳は、天保の改革に着手した。十ー年十一月の三方所替、十二年四月の家斉側近の罷免、十四年三月の日光社参、同年六月の印旛沼干拓工事、同年八月の上知令などを次々と行ったが、これらの諸政策実施の様子が、『井関隆子日記』には極めて具体的に記されている。

四、第十」代将軍・徳川家斉の没日をめぐって

 第十一代徳川将軍・家斉の没日は。天保十二年閏一月晦日が通説である。それは、徳川幕府の正史ともいうべき、『徳川実紀』『徳川幕府家譜』『柳営次記』等がそのように記録しているからである。しかし、井関隆子は『日記』の閏一月十日の条で、西の丸の大殿・家斉は、久しく病気勝ちであったが、昨年の暮から特に重体となり、年の初めまでもつだろうかと、皆心配していたが、ついに閏一月七日の夕方に他界されたという事である、と記している。
徳川家斉の没日は、天保十二年閏一月七日没、というのが、歴史上の事実であったようである。しかし、十二代将軍・家慶はじめ、徳川幕閣らは、家斉の死を伏せて、菩提寺の寛永寺に祈祷料として銀五百枚を与えて、葬儀の準備をさせ、御三家・御三卿の当主も江戸に集まり、次期政権の準備も万事整えて、閏一月晦日に家斉の死を公表した。これが、歴史上の事実であったらしい。
 徳川幕府の公式の記録とも言うべき諸史料に、このような、事実とは異なる事が記され、その虚構の記録に拠って歴史が認識されて後世へ伝えられている。しかし、他方では一人の旗本夫人の私的な曰記に、歴史の事実が記録され、同様に後世へ伝えられる訳である。

五、おわりに

 徳川幕府は、三百年という長い間、日本を統治してきた。巨人な組織を機能的に円滑に運営しようとする時、様々な虚構をつくり出した。このような事が、明治以降の日本の国家組織に無いと言えるだろうか。歴史研究は、これらの事実を突き止め、その背後にある真実へ迫る任務があるように思う。

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●これは、昭和女子大学日本文化史学科の研究会の依頼でお話したものである。
2020年7月12日

●私は、卒論の頃から、文学の隣接諸科学、歴史学・国語学との関係は重視し、諸史料を利用してきた。文学作品には、まずテキストクリティークを加え、歴史史料には、史料批判を加えて利用すべきだと考えている。
2020年7月31日




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  • 2020.09.22 Tuesday
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