真下英信氏の『井関隆子日記』研究

  • 2020.07.31 Friday
  • 00:41
真下英信氏

真下英信氏は、平成30年11月、御他界なされた。77歳であった。

 
  真下英信氏の御逝去を悼み 心から御冥福をお祈り申し上げます


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真下英信 プロフィール

1941年群馬県高崎市に生まれる。1971年慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。現職慶応義塾女子高等学校教諭。著作に『地中海世界と宗教』(共著 慶応通信(現・慶応義塾大学出版会)1989)。『ペリクレスの演説』(大学書林 1991)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『伝クセノポン「アテーナイ人の国制」の研究』より

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〔井関隆子〕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井関 隆子(いせき たかこ、1785年(天明5年)6月21日 - 1844年(天保15年)11月1日)は、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した女流歌人、日記作者、物語作者。

来歴

幕臣、大番組・庄田安僚の四女として、四谷表大番町(現在の新宿区大京町26の辺)に生れる。20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、23歳の頃に離婚。30歳の頃、納戸組頭・井関親興と再婚、2人の間に子は無かった。井関家の屋敷は、九段坂下(現在の千代田区九段1-5の辺)にあった。文政9年(1826年)に夫が没し、以後は、本を読み、歌を詠じ、日記や物語を書いて悠々自適の生涯を送ったという[1]。

著書

●『井関隆子日記』全12冊
著者の自筆本が、昭和女子大学図書館に所蔵されている。天保11年1月1日から同15年10月11日までの900日間の日記。その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、人物・社会・政治・学問・文学などに対する批評などが記されている。特に、子の親経や孫の親賢から伝えられる、江戸城内の様子が詳細に書き留められている。江戸時代の日記文学としても価値があり、また、当時の歴史的資料としても価値がある[1]。

●『さくら雄が物かたり』 6巻1冊
著者の自筆本。東北大学附属図書館・狩野文庫蔵。内容は、平安朝の『竹取物語』『伊勢物語』『源氏物語』などの構想を借りて、現実の仏教界を厳しく批判したものと解釈される。

●『神代のいましめ』写本、墨付28葉
昭和女子大学図書館所蔵の、鈴木重嶺の「翠園叢書」の、巻26の中に収録されている。内容は、平安朝の散逸物語『隠れ蓑』などに構想を得て創られた物語で、首席老中批判を通して、人間の表裏の二面性を描いている。

●『いなみ野』吉海直人氏所蔵の写本『物かたり合』墨付54葉の内、5葉播磨の国、印南野を舞台にした物語である。隆子は、すすき・尾花が大好きで、その思いを作品化したものと思われる[3]。

●『井関隆子長短歌』
『秋野の花』に短歌が収録されている。その外、『井関隆子日記』にも800首ほどの、長歌・短歌が収録されている。

●『しのびね』写本、1冊、静嘉堂文庫蔵。擬古物語。井関隆子が、頭注、傍注を追加したもの。書写も井関隆子と推測される。

●深沢秋男「井関隆子校注『しのびね』(静嘉堂文庫蔵)考」(『近世初期文芸』34号)

書写本

●桑原やよ子著『宇津保物語考』 写本1冊、静嘉堂文庫蔵。

●蔵田茂樹著『恵美草』 写本1冊、国立国会図書館蔵。

●吉田兼好著『徒然草』 巻子本1巻、箱に「雅文 源隆子」とあり、『徒然草』第15段、第189段の書写[4]。

脚注

1^ a b c 深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
1^ 新田孝子「井関隆子の文芸―館蔵『さくら雄が物かたり』の著者」(『図書館学研究報告』東北大学、13号、1980年12月)
1^ 吉海直人「新出資料『物かたり合』の翻刻と解題―井関隆子周辺の創作活動―」(『同志社女子大学 日本語日本文学』8号、1996年10月)
1^ 吉海直人「〈新出資料〉井関隆子自筆『雅文』の影印と解題と紹介」(『文学研究』91号、2003年4月)

参考文献

●『井関隆子日記』全3巻、深沢秋男校注、勉誠社、1978年11月 - 1981年6月。
●ドナルド・キーン「井関隆子日記  Ν◆Ν(百代の過客―日記にみる日本人―)」朝日新聞、1984年4月4日 - 6日
●深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
●深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』文春新書、2007年11月
●真下英信『古代ギリシア史論拾遺』私家版、2008年2月
●真下英信「『井関隆子日記』に見られる地震の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』26号、2009年3月
●真下英信「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』29号、2012年3月
●真下英信「音で読む『井関隆子日記』:天気の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』30号、2013年3月
●真下英信「音で読む『井関隆子日記』:鳥」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』31号、2014年3月
●真下英信「音で読む『井関隆子日記』:物売り」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』32号、2015年3月
●真下英信「『井関隆子日記』が綴られた頃の江戸の天候について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』33号、2016年3月
●真下英信「『井関隆子日記』天保15年4月29日の日付について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』33号、2016年3月
●真下英信「『井関隆子日記』 月の初日と末日の記述について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』34号、2017年3月
●真下英信「『井関隆子日記』天保11年7月3日の日付について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』34号、2017年3月
●深沢秋男「井関隆子校注『しのびね』(静嘉堂文庫蔵)考」『近世初期文芸』34号、2017年12月
●真下英信「井関隆子の防災意識に学ぶ」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』35号、2018年3月
●深沢秋男「『井関隆子日記』の日付訂正」『芸文稿』11号、2018年7月

★参考事項 『井関隆子日記』は、 現在、池田茂光氏によって、現代語訳が進められている。刊行時期は未定。

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●この記録でも解るように、真下英信氏の『井関隆子日記』に関する研究は、注目すべきものである。

●私は、平成27年(2015)、家庭の事情で、転居した。蔵書も整理し、研究資料も整理した。この時、殆んどの方々とお別れした。

●真下英信氏には、井関隆子関係の写真などを送り、御研究を単行本として出版する時の参考にして欲しいと、お願いしてお別れした。真下氏は、健康が心配だと申されていたので、内心、無事を願わずにはいられなかった。

●この度、『芸文稿』第13号の雑文をお送りして、氏の御逝去を知った。世の無常を思わずにいられない。

●真下英信氏の『井関隆子日記』研究に対して、心から敬意を捧げ、感謝申上げる。

2020年7月31日

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  • 2020.09.22 Tuesday
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