如儡子の『百八町記』 むつかしい

  • 2020.07.02 Thursday
  • 07:15
如儡子の 『百八町記』 むつかしい

「 愚序(ぐじよ)
  自(みつから)の身の自の心の儘(ま●)ならぬを思へば、他の人の、我がおもふまゝならさる事宜(むべなる)哉(かな)。疾(とく)して西山の月と共
に入、寒(かん)林(りん)の鳥と共に栖(すむ)べき思ひ、あらましのみかゝづらひ、年月を空(むな)しくす。誠に浮世のほだしもたぬ身をう
らやみし古人、あはれに思ひ合せて、悔(くい)過ぬ。解脱(げだつ)上人の筆の跡(あと)に、世に従がへは望(のぞ)み有に似たり。俗にそむけ
ば狂人(きやうじん)のごとし。あな憂(う)の世中や。此身いづれの所にか隠(かく)さんと。いとゞ斯(この)愚(をろか)なる心身片(かた)輪(わ)に覚(おほへ)て泪(なんた)留(と●)め
得ず。是を硯(す●り)の水となして、古き書(しよ)の文章(ぶんしやう)を天地(あめつち)となしつゝ、予か妻(め)と子共によませ、猶末々を補佐(ふさ)す。陰徳(いんとく)
陽報(やうほう)の心ざしのみ。温(をん)公(こう)が詞(ことば)を思べき也。
承応(せうをう)四年(よつのとし)秋(あき)始(はじめの)下日(しものひ)
如儡子(によらいし)これを躙書(にじりがき)にす」
                〔注 『百八町記』の本文は、酒田市立図書館・光丘文庫本を使用した〕


 自分の身の上が思い通りにゆかない事を思えば、まして、他人が思い通りにゆかないのは当然である。西山の月が疾く入るように、早く引退して世俗を離れて寂しい所に住みたいと思っていたが、世間に関わって、年月を空しく過ごしてしまった。

 誠に世俗のしがらみに関係ないことを羨やんだ古人のことを思い合わせて、後悔の日々を過ごした。解脱上人(法相宗の貞慶)の言葉にあるように、世間に従えば望みもあり、世俗に逆らえば狂人のようである。思えば、誠に物憂い世の中である。

 晩年の自分をどのように処すべきかと考えたが、不十分で愚かにも、思わず涙が流れることである。この涙を硯の水として古人の文章に拠りながら、考えるところを記し、妻や子に読ませて、助言としたい。願うところは、妻子には、陰徳あれば陽報あり、というような生き方をして欲しいということである。司馬温光の、「子を養って教えざるは、父の過ちなり」という言葉を、しみじみ思う。

。。。。。。。。。。。。。。

●今、『百八町記』を読み返して、なるほどと思う。そうは思うけれど、こんなにむつかしい思想書を、妻も子も読まなかったと思う。如儡子は、このむつかしい本を書いて、やがて、江戸から福島の二本松へ引っ越す。

●この著作は、仮名草子として扱われてきて、多くの先学によって研究されているが、私は、この著作は、仮名草子からは除いて、思想史の分野で扱うのがよいと考えている。

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  • 2020.09.22 Tuesday
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