昭和女子大学図書館所蔵 〔翠園文庫〕

  • 2019.12.03 Tuesday
  • 06:59

昭和女子大学図書館所蔵 〔翠園文庫〕

                 深沢秋男


 私は、昭和四十八年から五十六年にかけて、近世末期の旗本女性の日記の校注をしていた。『井関隆子日記』である。この日記の中に、佐渡の歌人・蔵田茂樹との交流の様子がかなり詳しく出てくる。隆子は、天保十四年一月晦日の条で、自分の創作『神代のいましめ』を佐渡の蔵田茂樹に書写して贈ったと記している。この書写本が佐渡に伝存しているか否か調査したが未詳であった。
 しかし、学習院大学図書館の雕虫居写本の中に『迦美世能伊末志米』が収録されている事がわかり、早速、閲覧調査してみると、その巻末に、
「明治十七年十二月三十一日自薄晩至初更写歌集底本鈴木氏翠園叢書之一也 市谷書院」
とあった。
 底本が鈴木氏の「翠園叢書」である事は判明したが、「翠園叢書」は『国書総目録』によれば、国会図書館に一冊を所蔵するのみで、これには収録されていない。
 このような状態で数年が経過した。昭和五十一年十二月号『国語と国文学』の巻末の雑誌要目の中に、松本誠氏の鈴木重嶺に関する論文を発見、初めて松本先生にお会いすることができた。関東短期大学で松本先生の電話番号を教えてもらい、先生のお宅に電話して、お願いの要件を伝えて、自由が丘のモンブランで、初めてお会いすることができた。
 実は、松本誠先生は鈴木重嶺の直系の御子孫であり、最後の佐渡奉行であった重嶺の旧蔵書を全て所蔵しておられた。待望の『翠園叢書』全六十八巻六十七冊も閲覧させて頂くことができた。
 井関隆子の『神代のいましめ』がこの叢書に収録されたのは、蔵田茂樹の子の茂時が佐渡奉行の鈴木重嶺に献上したからであった。この『翠園叢書』には、他にも隆子の作品が収録されており、以後も松本先生には大変お世話になっていた。
 国語学者の先生は、生粋の江戸っ子で、あらゆる振る舞いが粋だった。森銑三先生の三古会にも連れて行って頂いた。ところが、世は無常。
 平成七年(一九九五)一月十三日、松本誠先生は、東海産業短期大学の研究室で急逝されてしまったのである。私は、突然の事で途方にくれた。先生とは、三古会や東京掃苔会を通しても、交流があったし、さらに、先生が編纂執筆中の『同音異義語辞典』(勉誠社)に関しても相談を受けていた。法要も済んだ頃、奥様の栄子氏から、先生の蔵書の処置に関して相談された。先生には、長い間、身に余る御厚情を賜っていた関係もあり、蔵書の整理をお引き受けした。


 松本家蔵書・鈴木重嶺関係資料の整理

 平成七年(一九九五)十二月二十七日

 冬休みに入った十二月二十七日、奥沢の御自宅へ伺った。三〇〇坪のお宅は、街中でありながら、車の騒音も響かない閑静な所であった。道路側は小高くなっていて、大きな木が茂り、夏休みなどには、先生が木々の手入れをすると仰っていたことが思い出される。
 奥様は、先生御他界の後、家の中を整理して、ゴミゴミした物は古物商に渡したものもあると仰っていた。私は、大きな日本家屋の一階と二階の各部屋に置かれた蔵書を全部整理して、三つに大別した。

 1、一般書。
 2、松本先生の著書をはじめ、国語学関係のもの。
 3、鈴木重嶺関係資料。

 これらの蔵書の処置に関しては、先生のお子様とも十分に相談して処置すべきであると申し上げた。

1、一般書 区立図書館などに寄贈することも一案であるが、現在、図書館もスペースの関係で引き受けられないのが実状である。従って、必要なものの他は古書籍商に売却するのがよい。
2、松本先生の著書・国語学関係 必要部数を保存し、後は古書籍商へ売却する。
3、鈴木重嶺関係資料 文化史的に考えても価値が高いので、慎重に処理する。これも、神田の専門の古書籍商に売却するのも一つの方法である。信頼できる古書籍商を介すれば、適正に評価され、最も必要とする読者の手に渡り、活用される可能性がある。ただし、鈴木重嶺の名前を後世に伝えたい場合は、歴史博物館・国会図書館・大学図書館等に一括寄贈して、半永久的に保存する方法もある。

 このように申し上げ、神田の古書籍商の何店かの名前と電話番号を差し上げた。ただ、ここで、最も重要な事は、今は亡き、松本誠先生が喜ばれると思われる処置をする、ということである、と付言した。
 奥様は、即座に、お金は要らないので、何とか重嶺さんの名前を後世へ伝えたい、と申された。さらに、続けて、先生の昭和女子大学に寄贈したいと思うが如何でしょうか、と申される。検討してみましょう、とお答えした。
 美味しい夕食を御馳走になり、松本先生のお宅を辞去した。年末の寒い夜道を奥沢駅へ向かいながら、重嶺関係資料の処理の方法を思案した。


 鈴木重嶺(翠園)関係資料、昭和女子大学図書館へ寄贈

 平成八年(一九九六)二月二十日

 『翠園叢書』全六十八冊、『翠園雑録』全二十三冊を始め、鈴木重嶺の自筆本が多い。このように貴重な蔵書の処理は慎重に進める必要がある。昭和女子大学図書館・館長の青柳武先生に寄贈を引き受けて下さるか否かを検討して頂いた。その結果、図書館の承諾を得た。私は、寄贈して頂くに当たって、次のような条件の覚書を作成し、松本栄子氏と昭和女子大学図書館に提案した。

   鈴木重嶺関係資料に関する覚書

1、昭和女子大学は、寄贈された「鈴木重嶺関係資料」を一括永久保存し、松本家の要望があった場合は、優先的に閲覧して頂けるうに配慮する。
2、昭和女子大学は、「鈴木重嶺関係資料」が寄贈された折、その概略を雑誌等に発表して、その所在を明らかにす
る(深沢秋男が担当)。
3、昭和女子大学は、今後、鈴木重嶺関係資料が古書店等に出た場合、事情の許す範囲で購入し、本資料の充実に努める。
4、昭和女子大学は、国会図書館等に所蔵されている、鈴木重嶺の著作を複写して収集し、資料の充実に務める。
5、「鈴木重嶺関係資料」を活用し、歌人・鈴木重嶺の研究を推進する。
                   平成八年二月二十日 

 この提案は、昭和女子大学図書館(館長・青柳武先生)及び松本栄子氏の御了承を頂いたので、今後の処理に関して、図書館と相談して進行した。

 平成八年(一九九六)二月二十日

 昭和女子大学図書館の責任者二名と深沢の三名で、奥沢の松本栄子氏のお宅へ伺い、鈴木重嶺関係資料を受領し、無事に図書館へ移管した。
 松本家の玄関を入って、直ぐ左手にある応接間には、鈴木重嶺の油絵の肖像画が掛けてあった。奥様は、この肖像画以外の重嶺関係資料は全て寄贈して下さった。このような、御配慮は、そうそう有ることではないだろう。私達は、心から感謝して、松本先生のお宅を辞去した。


 翠園文庫目録作成

 平成八年(一九九六)九月五日・六日

 「鈴木重嶺関係資料」を図書館から深沢研究室に移動して、目録作成をした。私は、研究室に泊り込みで、資料から離れる事無くリストの作成を行った。全八十点の資料を内容別に大別し、原資料には鉛筆で通し番号を書き込み、添付紙片に到るまで全ての略書誌をノートにメモし、原稿は直接ワープロで入力した。
 その調査結果は、平成十年一月一日発行の、昭和女子大学『学苑』第六九四号に発表した。
 なお、昭和女子大学図書館では、この度の鈴木重嶺関係資料が、松本栄子氏から寄贈されたのを機会に「翠園文庫」を新設して、今後、これらの資料を保管し、さらに充実を図ることになった。


 鈴木重嶺の肖像画 

 昭和女子大学の重嶺の関係資料は、平成八年七月十六日、御子孫の松本栄子氏から、全て本学へ寄贈された。ただ一点、重嶺の油絵の肖像画は、仏壇のある部屋に掛けてあり、これは毎日お線香を上げながら拝むと申され、寄贈リストから除外された。
 しかし、平成十六年二月十九日、この肖像画も寄贈された。この肖像画も頂く事になったので、私は画家の「川久保正名」について調査した。小杉放庵記念日光美術館の田中正史氏や東京文化財研究所の山梨絵美子氏の御教示によって、この画家の概略は判明し、この肖像画は重嶺七十歳頃のものと推測された。
 山梨絵美子氏の助言もあり、貴重な存在であることが判ったので、図書館では、特別予算を計上して、この油彩画を文化財補修の専門家に依頼して補修を済ませ、大切に保管している。


鈴木重嶺百回忌

 平成九年(一九九七)十一月二十六日

 鈴木重嶺百回忌 全龍寺。重嶺は、明治三十一年十一月二十六日、八十五歳で没した。その百回忌法要が、新大久保の菩提寺・全龍寺で行われた。松本家からは、松本栄子氏、御子息・松本昭氏夫妻、お孫さんの暁氏などが参列。深沢も参列させて頂き、鈴木重嶺関係資料を昭和女子大学図書館で永久保存する事になった経緯を、重嶺の御霊前に報告した。

  
 翠園文庫の概略

 昭和女子大学図書館所蔵の「翠園文庫」は、最後の佐渡奉行・歌人、鈴木重嶺のコレクションである。重嶺直系の子孫で、国語学者・松本誠氏の旧蔵である。平成七年に松本氏が急逝され、平成九年に松本栄子氏から寄贈された資料を中心に、その後、数次に亘って、古書店から購入したものである。

1、松本栄子氏寄贈分(平成八年七月十六日)
 翠園叢書 全六八巻・六七冊など、八〇点で、重嶺自筆のものや、重嶺他界の折の会葬人名簿など貴重な資料で、この文庫の中核となっている。【『学苑』六九四号、平成十年一月】
2、第一次購入分(平成十年)
 翠園詠草、翠園遺稿、など四二点。【『学苑』七〇五号、平成十一年一月】
3、第二次購入分(平成十一年)
 翠園詠草、月奈美集、など一七〇点。【『学苑』七一六号、平成十二年一月】
4、‖荵絢々愼分、∈拇銚氏寄贈分(平成二十一年)
  第三次購入分は、読書抄禄、年々詠藻、など一〇点である。
 ◆∧神二十一年十二月、鎌倉市在住の、細田賢氏から、鈴木重嶺門下の歌人の資料、四六点が、昭和女子大学図書館に寄贈された。【『学苑』八五〇号、平成二十三年八月】

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鈴木重嶺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
鈴木 重嶺(すずき しげね)は、江戸時代後期の旗本、明治期の官僚、歌人。最後の佐渡奉行。

生涯

幕府・明治政府官僚として、中川忠英の家臣小幡多門有則の次男として江戸駿河台に生まれ、鈴木家10代の鈴木重親(半治郎)の養子となった。天保2年(1831年)に養父が没すると家督を継ぎ、小普請入りする。天保4年(1833年)、将軍徳川家慶御台所付の広敷伊賀者となる。
天保12年(1841年)8月25日広敷取締係より、江戸城内武術見分の際に「つるぎだち鞘にをさめし世になれて みがかぬわざのはづかしきかな」の歌を詠み、鼻紙へ一首歌をしたためて、柔術の師匠の悴で剣術の師匠である窪田清音に渡す。清音がこの歌を見て松平内匠頭に出したところ、その歌を短冊にしたためて差し出すようにと命が出る。これが老中水野忠邦の目に留まり、同年10月徒目付に栄進し、市谷加賀(現在の新宿区市ヶ谷加賀町)に150坪の屋敷を拝領した。天保14年(1843年)勘定吟味役改役並に一時なるが、再び徒目付となり、再び天保15年(1844年)には勘定組頭となった。
その後、勘定吟味役を経て、元治元年(1864年)7月2日勘定奉行となるが、わずか20日余りで同23日に槍奉行となり、慶応元年(1865年)9月13日に最後の佐渡奉行となり、諸大夫に任ぜられ兵庫頭と称する。慶応4年(1868年)閏4月16日に御役御免となったのち、田安徳川家の家老となり、新政府との交渉役となった。
翌明治2年(1869年)に新政府の開拓少主典となり、明治4年(1871年)浜松県参事となり、同年12月8日に再び佐渡に渡り、相川県参事となり、明治6年(1873年)従六位に叙任された。明治8年(1875年)相川県六等判事を兼任し、同年権令に昇進し正六位に叙任された。翌年4月廃県により職を辞し、同年に息子の重明に家督を譲った。また従五位に叙任された。
その後、晩年の明治24年(1891年)2月23日に東京帝国大学旧事諮問会の要請に応じ、幕府の財政や勘定所について詳細な証言をしている。
幕臣時代より国学や和歌を橘千蔭系の村山素行や伊庭秀賢に学んだ。佐渡奉行、そして相川県参事・権令として佐渡に合わせて10年在島し、佐渡で多くの門弟を育てた(『賀筵歌集』には65名の佐渡の門人が寄稿している)。職を辞してからは和歌の世界で活躍した。明治9年(1876年)に官職を辞し家督を譲り、『翠園兼当歌』を著す。明治12年(1879年)『雅言解』(全4巻)を著し、明治17年(1884年)に『越路廼日記』、『志能夫具佐』を著し、明治24年(1891年)『早稲田文学』第3号において和歌の名家として挙げられた。明治25年(1892年)には『翠園寿筵歌集』を著した。明治28年(1895年)、鶯蛙吟社を創立し、短歌の雑誌『詞林』を創刊した。明治31年(1898年)に85歳で没したが、この年『詞林』は、新派の歌人佐佐木信綱の創刊した『心の華」に合併した。
鈴木重嶺関係資料は、昭和女子大学図書館に「翠園文庫」として保存されている。
墓所は、東京都新宿区大久保の全龍寺にある。

交流
• 勝海舟と親交があり、重嶺の記述が海舟日記にみられる。晩年の歌会には樋口一葉が出席し、重嶺の指導を受けている。また、葬儀記録には1068名の記帳があり、毛利元徳、近衛忠熈、正親町実徳、久我建通、蜂須賀茂韶、前田利嗣らの華族や、萩野由之、黒川真頼、井上頼圀、中島歌子ら全国の文化人・歌人が名を連ねた。
• 横須賀造船所建設計画の際、建設推進者である小栗忠順に対し「費用を投じて造船所を造っても完成時には幕府はどうなるか分からない」と計画の妥当性を問うた。それに対し忠順は「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない」と返答した。また、旧事諮問会での証言の際にも忠順について言及している。

参考文献

●「鈴木重嶺(翠園)伝記研究序説」(深沢秋男『文学研究』92号、平成16年4月)
●旧相川町史編纂委員会編『佐渡相川郷土史事典』
●『旧事諮問録』旧東京帝国大学史談会編、青蛙房 2007年
●小川恭一編『寛政譜以降旗本家百科事典』東洋書林、1997年
●HP「近世初期文芸研究会」→ J-TEXTS「鈴木重嶺関係資料」

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■これは、『芸文稿』第12号(2019年7月)に掲載されたものを、一部改めたものる。
              2019年12月3日



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