昭和女子大学図書館所蔵 〔桜山文庫〕

  • 2019.12.02 Monday
  • 07:43
昭和女子大学図書館所蔵、〔桜山文庫〕

                           深沢秋男

 はじめに


「拝啓 深秋の候 ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 このたび十一月三日に、弊館は開設七〇年を迎えました。これを記念して、昭和女子大学図書館デジタルアーカイブを公開いたしましたので、ご高覧いただけますと幸甚に存じます。
 先般、開催いたしました図書館開設七〇周年・近代文庫創設六〇
周年記念式は、盛会のうちに終了いたしました。今日の弊館があるのもひとえに、皆々様の暖かいご支援があればこそと、あらためて感謝申し上げる次第でございます。皆々様のご支援を糧に、ますます大学図書館の事業に精進し、微力ながら社会への貢献に努めて参る所存でございます。図書館特別展図録と記念品等を同封いたしますので、ご笑納ください。
 今後ともご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。 
                            敬具

                      平成三十年十一月九日
                       昭和女子大学図書館
                       館長  古川 真人」


 平成三十年十一月、昭和女子大学図書館から、このような御案内を頂いた。早速、図書館のデジタルアーカイブを閲覧した。昭和女子大学の特殊文庫も、ようやくその所在を公開されたか、と大変嬉しかった。

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現在、本学図書館が所蔵する二三文庫をご紹介します。
与謝野文庫、吉田彌平文庫、近代文庫、オマル・ハイヤーム文庫、折戸忠作文庫、女性文庫、金子健二文庫、中島健蔵文庫、正富汪洋文庫、上井磯吉文庫、玉井幸助文庫、岩谷泰作文庫、佐々木八郎文庫、内秀雄文庫、桜山文庫、石田吉貞文庫、在一居士文庫、戸谷三都江文庫、トルストイ文庫、翠園文庫、内藤濯文庫、朝日生命文庫、小島信夫文庫

桜山文庫  本学の名誉教授深沢秋男が、国文学者 で、鹿島神宮第 67代大宮司である鹿島則文のコレクションを、孫の鹿島則幸に昭和 59(1984)年9月に一括譲渡を依頼され、 昭和61(1986)年9月に第1次の受け渡しが 行われ、日本文学関係の資料を購入したことにより、昭和 62(1987)年 3 月に文庫を 設立した。江戸期の写本、刊本を中心に約6,900 冊 を収蔵している。

翠園文庫  本学教授の研究の縁により、鈴木重嶺の 直系の子孫の国語学者松本誠の奥様から鈴木重嶺(翠園)関係資料として寄贈され、平成8(1996)年に設立した文庫である。鈴木(号は翠園)は、江戸幕府では最後の佐渡奉行となり、明治政府の官僚を辞してからは、和歌の世界で活躍した。明治24(1891)年の「早稲田文学」第3号において、和歌の名家として挙げられ、明治28 年 (1895)年には、短歌雑誌「詞林」を創刊。 のちに「詞林」は佐佐木信綱の創刊した「心の華」に合併した。勝海舟や樋口一葉とも交流があり、葬儀の際は、華族や全国の文化人や歌人が参列した。  図書468冊(短冊を含む)を収蔵している。 
  
                     【昭和女子大学図書館アーカイブより】

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 二三文庫の中で、私が関与したのは、〔桜山文庫〕〔翠園文庫〕の二文庫である。以下、この二つの文庫に関して、私の記録を紹介したいと思う。


〔桜山文庫〕

昭和女子大学図書館には、現在、二三のコレクションが所蔵されている。昨日、その全貌が、アーカイブスで公開されたことを知った。この内、〔桜山文庫〕と〔翠園文庫〕は、私が関与したものである。しかし、この二つの文庫が昭和女子大学図書館に所蔵されるまでには、多くの方々の、御指導、御配慮があって、初めて実現したのである。その経緯を記録して、感謝申上げたいと思う。
 なお、ここに記す、冊数などは、私の記録に基づくものであり、昭和女子大学図書館の正式なものではない。

 鹿島則幸氏から、桜山文庫一括譲渡の件を依頼されたのは、昭和五十九年(一九八四)九月のことである。桜山文庫は、鹿島神宮に隣接する大宮司家、鹿島家の屋敷(五三〇〇余坪)の中に建てられた、大谷石の書庫に保管されていた。
 この譲渡に際し、蔵書の評価に関しては、長年交際のある、神田の一誠堂書店の酒井宇吉氏に依頼されたという。また、譲渡先については、私に一任すると申された。さあ、大変である。そのような大事業が私にできるのか。
 桜山文庫は、鹿島則文のコレクションであるが、則文の二男・鹿島敏夫氏は、『先考略年譜稿』で、

 「……性、書ヲ愛スル人に過ギ、公暇手書ヲ舎カズ。用ヲ節シ費ヲ省キ、書ヲ求メテ息マズ。飢ル者ノ食ヲ求ムルガ如シ。経史、小説、高尚卑近ヲ問ハズ。晩年、家ニ蓄財ナキモ、珍籍奇冊三万冊。人之ヲ云ヘバ、曰ク、妓ヲ聘シ酒ヲ飲ムハ世ノ通例ナリ。予、飲ヲ解セズ。書ハ予ガ妓ナリ、予ガ酒ナリト。」

 と、このように記されている。今回の対象となるのは、主として国文関係のもので、一誠堂書店へ移送する折に、大きなリンゴ箱に入れて、一一九箱であったとのこと。およそ一万冊弱と私は予測した。則文が生涯をかけて収集したものであり、量も少なくはない。また、その評価額もかなりのものになるであろう。内心では、一億円弱と予測した。
 私にとっては、一世一代の大仕事である。譲渡先は、私の勤務先の昭和女子大学を第一とし、次に、鹿島則幸氏の母校・国学院大学、私の母校・法政大学、国会図書館、国文学研究資料館などを考えた。
この間、朝倉治彦氏、島本昌一氏、杉本圭三郎氏、渡辺守邦氏、中村幸彦氏等の御助言を頂きなから、慎重に事を進めた。
 酒井氏によると、量も多いので、場合によっては、分売もやむを得ないのではないか、との事であったので、一日、神田の一誠堂書店へお伺いして、分売は極力回避して、「桜山文庫」の名を遺したい旨、懇請した。幸い、酒井社長もこれを諒とされた。
 この事に関しては、この間に、中村幸彦先生から、貴重な御助言を頂いていた。昭和六十一年二月十九日付のお手紙では、次のようなお言葉を頂いた。

 「……文庫は残ったもの全部散らさず、貴学で購入の御準備との
 事、安心いたしました。私かつての図書館員としての経験から申
 上げますと、心得のある方の集められたものの中にも、一寸見ま
 した時は、何の役にも立たぬと思われる本などもまじって居りま
 して、目ぼしい本だけ選択していたゞいた方が、などと思うこと
 も度々ございましたが、全部いたゞいて居りますと、何の役にも
 立たないと思った本も大いに役立ったことが次第に判明などいた
 すことでございます。又、自分の処に既にあるものと重複するも
 のがあり(高価ならばなお更)躊躇される時もありますが、それ
 を購求しなかった事が、後からくやまれる事もあり「古い和本に
 は同じものはないと思え」など、次第に考えるようになり、後輩
の諸君にも話すことでございます。既に散らさぬ様、お考えの
由、結構なことと存じます。御努力、そっくり貴学へお入れなさ
る事を願い上げます。」

中村先生からの私信であるが、大先達の金言として、あえて紹介させて頂いた。
 この間、私は昭和女子大学の関係者に、一括購入の申請書を提出した。私は、昭和女子大学に移籍して二年目の講師の身分であった。諸事、大きな壁があったのは当然である。

 昭和五十九年十月十一日付で、
〔「桜山文庫」一括購入に関する御願い〕なる書類を、学科長の原田親貞先生を通して、学長・理事長の人見楠郎先生に提出した。人見先生からは、国文科、日本文学科、の全教員で検討する様にとの御指示があった。

 昭和六十年十一月二十日前後、
国文科と日本文学科の科会で、全教員に提案、御説明をした。日本文学科の、ある教員からは「大したものが無い」、という厳しい意見も出された(全体の内容を確認せずに、どうしてお分かりになったのだろうか)。しかし、他の教員は、おおむね、一括購入には賛成であった。

 昭和六十一年七月五日付で、
〔「桜山文庫」一括購入に関する御願い〕を学長宛に提出した。もちろん原稿は私が執筆した。

「桜山文庫」一括購入に関する御願い

「桜山文庫」は、国学者・鹿島則文の蒐集したもので、現在の所蔵者は鹿島則幸氏(茨城県鹿島郡鹿島町桜町二三〇三番地在住)ですが、この則幸氏より蔵書を譲渡したい旨のお話があり、出来得るならば、本学に一括購入して頂けないかとのことでありました。
この件に関しましては、昭和五十九年十月にお願い申し上げましたが、その後、日本文学科及び国文学科におきまして、各々科会をもって検討し、その結果、是非とも本学の図書充実のために購入して欲しいということで意見が一致しました。
また、この間、神田の一誠堂書店(社長、酒井宇吉氏)では、同文庫の整理と評価書の作成を進めておりましたが、このほど、現存書目と評価書が出来上がりましたので、ここに改めて、お願い申し上げる次第であります。どうぞ、宜しく御検討賜りますよう、お願い申し上げます。
鹿島則文は鹿島神宮・宮司家の第六十七代目ですが、国学を吉川天浦・安井息軒に学び、その才を認められ、四十六歳の若さで、伊勢神宮の大宮司に抜擢されました。伊勢神宮に職を奉ずること十五年間、神宮皇學館を創立し、自ら館長を務め、古事類苑を完成させております。
このような教養と見識に裏付けられた則文の蔵書は、一定の基準によって選択されております。その集書範囲は比較的に広く、全般に亙っており、殊に近世後期の国学者の書き入れ本・旧蔵書が多く、この点で、基本図書としての性格と、今後の研究に多くの可能性を有する蔵書であると思われます。
酒井宇吉氏の整理結果の詳細は別紙の通りですが、現存書目八七四点、合計五六八三冊、評価額約〇〇〇〇万円であります。一点一点の評価額について検討してみますと、酒井氏の評価は誠実になされているものと思われ、おそらく、この価格で購入し得る機会は、他にないものと推測されます。
鹿島則幸氏の御厚意によって得られたこの好機に、桜山文庫を本学の蔵書として獲得することは、すでに広く知られております、近代文庫と共に、本学の存在を学界に示す上でも大変意義あることと思います。
以上、申し上げました諸条件を考慮に入れられまして、宜しく御検討賜りますよう、お願い申し上げます。

      昭和六十一年七月五日
               日本文学科科長 尾崎暢殃(印)
               国文学科科長  原田親貞(印)
               国文学科講師  深沢秋男(印)
昭和女子大学学長
人見楠郎先生

 これとは、別に、国文学科長 原田親貞先生から、昭和女子大学理事長 人見楠郎先生宛に、〔「桜山文庫」一括購入に関する件〕が、七月十八日付で提出された。

 これより前の、昭和六十一年六月、第一次の評価額が出されたが、酒井氏の評価は、実に誠実なものであると思われた。ただし、これは、三か月以内に一括購入が条件であるとのこと。早速、昭和女子大の関係者に検討を依頼した。契約が成立しない場合、第二、第三の図書館に連絡しなければならなかった。幸い、昭和女子大学で購入する事に決定した。
 私は、酒井氏の指示に従って、昭和六十一年九月五日付で、「物品供給契約書」を作成した。

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  物品供給契約書

供給すべき物品  桜山文庫旧蔵本(八七四点、五七〇四冊)
代金       〇〇〇〇〇〇〇〇円(手数料 〇〇〇〇〇〇〇
         円を含む)
発注者      学校法人 昭和女子大学
供給者      合名会社 一誠堂書店

 上記の発注者と供給者の間において、上記の代金によって上記の物品の供給をするものとする。

第一条、供給者は発注者に対し、上記物品の供給をするものとする。
第二条、供給すべき物品、「桜山文庫旧蔵本」の明細は別紙の通り
    とする。
第三条、物品は昭和女子大学附属図書館に納入するものとする。
第四条、物品の納入期限は昭和六十一年九月二十日とする。
第五条 代金の請求書は昭和女子大学附属図書館に送付するものと
    する。
第六条 代金は昭和六十一年十月末日までに支払うものとする。
第七条 物品の受け渡しは両者立ち会いのもとに行うものどする。
第八条 ここに定める以外の条件に関しては両者協議して定めるも
    のとする。
第九条 上記契約を証するため、契約書は二通を作成し、発注者・
    供給者各一通を所持するものとする。
                  昭和六十一年九月五日
発注者   東京都世田谷区太子堂一―七 
      学校法人 昭和女子大学
                  理事長  人見楠郎(印)
供給者   東京都千代田区神田神保町一―七  
      合名会社 一誠堂書店
                  代表社員 酒井宇吉(印)

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 昭和六十一年九月十七日 第一次受け渡し完了

 当日は、図書館の青柳館長以下、全職員が出勤、一誠堂書店のトラックが到着して、一点一点、チェックして、一旦、未使用中の館長室へ保管した。その夜、関東港業株式会社によって、燻蒸作業が行われた。作業は一昼夜を要するため、図書館からは、青柳館長が立ち会って下さった。
 燻蒸作業が終了した後、図書館の貴重書庫へ移管され、順次、整理して保管された。

 昭和六十二年三月二十九日 第二次購入

春雨物語、雨月物語、古事記伝、井関隆子日記、忠義水滸伝、等三五点 購入。

 その後、第三次の評価、受け渡しが行われ、昭和六十二年末には、桜山文庫の一括譲渡は、ほぼ完了した。

 昭和六十二年十一月八日、鹿島則幸氏は、昭和女子大学へおいで下さった。臨時の書架に保管されている桜山文庫を御覧になり、大変満足の御様子であった。御帰宅の後、

 「……おかげ様で桜山文庫本の縁付き先も確認出来、しゅうと・しゅうとめの皆様にもお引きあわせ下さいまして有難うございました。よい方がたに見守られ、文庫本もよろこんでおる事と存じます。ここに至る迄になる長い間、お仲人役をおつとめ下さいました貴方様に改めて心から、お礼申し上げます。……」

と、礼状を下さった。これで、半永久的に「桜山文庫」が伝存されると思うと、この一件に御助言、御協力下さった皆様方に対し、心からの感謝を申し上げずにおられなかった。
 そうして、約一億円の大仕事を仕上げたことに、誇りをもった。思えば、誠文堂新光社の辞典部で仕上げた辞典の初版の総経費も約一億円だった。私は、貧乏研究者であるが、生涯に一億円の大仕事を、二回したことになる。

 桜山文庫の内、漢籍の「二十二史」は水府名徳会彰考館文庫に、鹿島神宮関係の史料は茨城県立歴史館に、そして、国文関係は昭和女子大学に、それぞれ分散されたが、この様に一括保存されることになった事は幸いである。その資料を真に研究しようとする研究者に、広く閲覧して頂く、これは鹿島則幸氏のお考えでもあった。昭和女子大学の桜山文庫も整理が一段落し、やがて学外の研究者にも利用して頂けるようになるものと思う。

 なお、鹿島則文の蔵書印「桜山文庫」の丸印は、黄楊の彫りの深い立派なものであるが、記念にと昭和女子大学図書館に寄贈された。

さらに、鹿島氏は、桜山文庫一括購入の謝札にと、秋田雨雀関係の書簡・八二通をも御寄贈くださった。これに関しては、大塚豊子氏の研究「秋田雨雀の書簡(一・二・三)」が発表されている(『学苑』六四九号・六五一号・六五九号、平成六年一月、三月、十一月)。

■「桜山文庫」の現状

 鹿島則文の収集した桜山文庫は「珍籍奇冊三万冊」(鹿島敏夫氏『先考略年譜稿』)と言われている。これらの蔵書が、その後、どのように分割され、現在、伝えられているか、整理してみると、以下の通りである。

1、茨城県立歴史館寄託 鹿島則幸家文書
『鹿島郡鹿島町 鹿島則幸家文書目録』(平成元年三月三十一日、茨城県立歴史館発行)によれば、鹿島神宮関係の史料、一四〇三点が、昭和五十四年四月に鹿島則幸氏から茨城県立歴史館に寄託されたという。これらの史料は、鹿島家累代のもので、中には「桜山文庫」の蔵書印が押されたものもあるというので、鹿島則文の関係書も含まれているものと推測される。
2、漢籍の『二十二史』
 水戸の水府明徳会彰考館文庫へ寄贈。
3、伊勢関係書
 伊勢神宮へ移管。
4、鹿島家関係書
 鹿島家所蔵(鹿島則幸氏・鹿島則良氏)。
5、昭和女子大学所蔵「桜山文庫」国文学関係
 第一次、八七四点、五七〇四冊。第二次、三三点、四〇三冊。合計、九〇七点、六一〇七冊。これに、第一次のリスト以外の、虫食本等の数百冊が加わって最終的には約七千冊になった。

◆分散される前の〔桜山文庫〕

 鹿島則文のお孫さん、鹿島則幸氏は、昭和四年(一九二九)国学院大学を卒業されたが、その直後、桜山文庫の書庫の現物を、一点一点確認しながら目録を作成された。それが、現在、則幸氏の御子息、鹿島則良氏御所蔵の『桜山文庫目録 和書之部』である。
この目録は、「『桜山文庫目録 和書之部』(上)(下)」として、全文を紹介した(『近世初期文芸』第25号、第26号、平成20年12月、平成21年12月)。

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 鹿島則文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
鹿島 則文(かしま のりぶみ、天保十年一月十三日(一八三九年二月二十六日)〜明治三十四年(一九〇一年)十月十日)は、幕末・明治時代の神職。
鹿島神宮大宮司であった鹿島則孝の長男として生まれる。通称は布美麿、矗之輔。号は桜宇。儒書を安井息軒に学び、また、自ら皇典を究め国事に奔走、文久三年(一八六三年)に鹿島に文武館を創設したが、一八六五年(慶応元年)、その思想や行動により幕府に忌まれ八丈島に流される。一八六九年(明治二年)赦免、神領会所(鹿島神領の役場)が廃止されるのに伴ってその建物を学問所「稽照館」とした。一八七三年(明治六年)鹿島神宮大宮司、一八八四年(明治十七年)神宮大宮司に任じられ、祭儀の復興、林崎文庫の整備、神宮皇學館(皇學館大学の前身)の拡充、『古事類苑』の出版などに尽力した。一八九八年(明治三十一年)、内宮炎上の責を負い辞職し帰郷。一九〇一年(明治三十四年)十月十日、六十三歳で病没。茨城県鹿島郡鹿島町三笠墓地に葬る。

 参考文献

●鹿嶋町史第五巻(一九六二年)
●朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)
●鹿島敏夫『先考略年譜稿』鹿島則良氏蔵。
●海野正造『佐原喜三郎と鹿島則文』昭和五十二年六月一日、柳翠史
料館。
●葛西重雄・吉田貫三『増補改訂 八丈流人銘々伝』昭和五十年五
月二十日、第一書房。
●大山地山『常総古今の学と術と人』昭和五十一年十一月二十五日
(復刻)、水戸学研究会。
●鹿島則幸「桜山文庫について」(『郷土文化』第十八号、昭和五
十二年三月三十一日)茨城県郷土文化研究会。
●深沢秋男「鹿島則文と桜山文庫」、『井関隆子日記』中巻、昭和五
十五年八月三十日、勉誠社。
●深沢秋男『神宮々司拝命記』、平成十年七月二十五日,私家版。

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■ これは、『芸文稿』第12号(2019年7月)に掲載されたものである。一部改めた部分がある。
  
                2019年12月2日

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  • 2020.09.22 Tuesday
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