川宗家と甲斐の山猿

  • 2019.10.23 Wednesday
  • 11:35
川宗家と甲斐の山猿

●天皇家との関係を、記してみたが、江戸時代の政治の実権を握っていた、徳川家とも少し関係があった。

●実は、私は、徳川将軍家、第16代・徳川家達(いえさと)氏の娘の繁子氏と交流があった。徳川繁子氏は、伯爵松平直国氏の妻であったが、非常に学問好きであった。昭和57年9月、『井関隆子日記』を差し上げたところ、大変喜ばれ、丁寧な御返事を下さり、一度会いましょう、ということになった。

●ところが、その12月に繁子氏は他界されてしまわれた。12月11日に上野寛永寺で葬儀・告別式が行われ、私も参列した。参列者は大人数。お茶うけには、葵の紋の入った煎餅を頂いた。

●造形美術大学の上木敏郎先生と一緒に行ったが、上木先生が多忙ということで、焼香の順番を親族の次に変更してもらった。

●そこで、徳川家の親族の方々の会話に接して、徳川時代にタイムスリップしたのではないかと、大変なショックを受けた。一族の間では、現在もなお、このような儀式のときには、江戸時代の言葉遣いで、その仕来りが伝えられているように思われた。

●それにしても、世が世であれば、甲斐の山猿の子孫の私か、徳川将軍家の葬儀に参列して、親族の方々の次に、お焼香させて頂くなどということは、あり得ない事である。大老、老中の位置だろう。

●研究生活を振り返ると、こんな事もあった。

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  • 2020.09.22 Tuesday
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