鈴木重嶺と私

  • 2019.06.03 Monday
  • 07:56
鈴木重嶺の研究


■翠園・鈴木重嶺の生涯■

鈴木重嶺は、明治31年(1898)11月26日、東京市牛込区神楽町2丁目17番地において、85歳の生涯を閉じた。
文化11年(1814)6月、幕臣、小幡多門有則の次男として江戸駿河台で生まれた。縁あり、鈴木家11代を嗣ぐ。
明治元年(1868)最後の佐渡奉行を辞して後は、和歌の道に精進し、一家をなした。激動の幕末維新を、幕吏として、また歌人として精力的に生き抜いた人物として、後世にその名を残すものと、私は確信している。

■鈴木重嶺略年譜■

○文化11年(1814) 6月、幕臣、小幡多門有則の次男として江戸駿河台に生まれる。幼名亀太郎、初め有定、大之進。鈴木家10代・重親嗣子無く、乞われて後嗣となる。
○天保2年(1831)18歳、家を嗣ぎ、鈴木家11代となる。同年、子普請高井左京組の配下となる。
○天保4年(1833)20歳、8月19日、広敷伊賀者となる。
○天保12年(1841)28歳、8月25日、広敷取締掛となる。同年10月晦日、徒目付となる。
○天保14年(1843)30歳、11月5日、諸士の武術の試験で高成績をあげ、白銀7枚を賜る。同月20日勘定吟味役となる。
○文久1年(1861)48歳、『皇風大意』を著す。
○文久3年(1863)50歳、『旅路廼日記』『旅路記恵の露』を著す。
○元治1年(1864)51歳、7月2日、勘定奉行となる。同月23日、槍奉行となる。
○慶応1年(1865)52歳、9月13日、佐渡奉行となる
○慶応2年(1866)53歳、『島曲廼古豆美』を著す。
○明治1年(1868)55歳、閏4月16日、御役御免となる。
○明治4年(1871)57歳、12月8日、相川県参事となる。
○明治8年(1875)62歳、7月19日、相川県権令兼六等判事となる。
○明治9年(1876)63歳、4月29日、願いによって免職となり、東京駿河台の家に帰る。
○明治12年(1879)66歳、4月10日、『雅言解』全4巻発行。
○明治14年(1881)68歳、『徳川礼典録』の編纂に参加する。
○明治24年(1891)78歳、6月9日、中島歌子の和歌の月次会に参加。樋口一葉の日記『よもぎふ日記』に出る。
11月15日発行の『早稲田文学』3号に、現在の和歌の名家として、掲げられる。
○明治31年(1898)85歳、東京市牛込神楽町2丁目17番地において没。
葬儀参列者は、1072名。

■鈴木重嶺の主要著作■

◎伊香保前橋之記(いかおまえばしのき) 1冊、地誌、写本=国会図書館(桜園叢書41)・学習院大学図書館。
◎詠史清渚集(えいしせいしょしゅう) 1冊、写本=昭和女子大学図書館(翠園文庫)・竹柏園文庫。
◎オトと子との差別或人問(おととねとのさべつあるひとのとい) 1冊、写本=国会図書館(桜園叢書68)。
◎於よづれ言(およずれごと) 1冊、写本=靜嘉堂文庫。
◎紀行(きこう) 1冊、写本=国会図書館(桜園叢書41)。
◎絹川花見の記(きぬがわはなみのき) 1冊、写本=国会図書館(二荒廼山裏の内)。
◎夢路の日記(ゆめじのにっき) 1冊、写本=国会図書館(桜園叢書41)・無窮会神習文庫(玉漉193)昭和女子大学(翠園文庫)。
◎二荒山歌合(ふたらさんうたあわせ) 1冊、写本=内閣文庫。
◎皇風大意(こうふうたいい) 1冊、写本=国会図書館(桜園叢書15)・無窮会神習文庫。
◎旅路記恵の露(たびじきめぐみのつゆ) 1冊、写本=国会図書館(桜園叢書41)・無窮会神習文庫。
◎島曲廼古豆美(しまめぐりのこずみ) 1冊、写本=国会図書館(桜園叢書1)。
◎旅路廼日記(たびじのにっき) 1冊、写本=国会図書館(桜園叢書41)・昭和女子大学図書館(翠園文庫)。
◎翠園兼当歌(すいえんけんとうか) 1冊、写本=昭和女子大学図書館(翠園文庫)。
◎雅言解(がげんかい) 4巻4冊、版本=昭和女子大学図書館(翠園文庫)・深沢秋男等。

★これらは、鈴木重嶺の著作のごく一部であり、今後の調査で、さらに多くの歌集や著書が出てくるものと予想される。
。。。。。。。。。。。。。。。

■佐渡と私■

●私は、井関隆子の研究から佐渡の調査をして、そこから、佐渡奉行・鈴木重嶺の調査・研究に進んだ。さらに、思えば、昭和45年(1970)の、日本文学研究会の夏季旅行がその根底にあった。重友毅先生をはじめ、常任委員の先生方との2泊3日の旅行で、私は、佐渡と言う島に衝撃を受けた。

●佐渡真野町の国分寺に宿泊させて頂いた。国分寺の林泰先生の特別の御配慮によるものである。夕食後、林先生の父上、林光雅先生の御講義を拝聴した。大きな部屋で、先輩の常任委員の先生方と、夜遅くまで、雑談をして頂いた。外では、ホトトギスが泣いていた。

●大佐渡・小佐渡、と全体を見て回り、大量の資料を購入し、自宅へ郵送した。この体験が無ければ、後年、これほどまで、佐渡に関して調査し、研究し、何度も、講演させて頂くまでにはならなかった、その様に思う。
     (2019年6月3日)

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