田舎におはせば

  • 2018.12.08 Saturday
  • 11:52
田舎におはせば

「・・・古事記伝十二十三の巻にギョ戎慨言かへし奉る、・・・また手枕の巻もくはへて奉る。
是は写しとどめずぞある。此事前坊の婿兼にておはせば、時々御息所へ参り給ふべきを、色好み給ふ名の高きから、御むすめの御ため、しうねき性をあらはして、打かすり聞え給ふ。はてはてに乱り心地なりしなど書きてこそ、君はまだ廿歳に足せ給はぬには、御母とも申方に打ざれて物のたまはんやは、御息所よりこそ乱り心地してと誰も思ふなり。田舎におはせば、言えり給へど、おもひもあたらぬものぞ、とりかくしてあれかし。」(ふみほうぐ、上)

●これは、本居宣長の『手枕』に対する、秋成の評価である。当時の商都大坂に住む秋成にとって、伊勢に住む宣長は、田舎者であったのである。田舎者の意見など、見当違いである。引っ込めよ、と実に厳しい。

●私は、学生時代から、秋成に興味を持っていて、重友先生の『雨月物語』の演習も履修していたが、ほとんど発言はしなかった。だから、成績も〔優〕ではなく〔良〕だった。卒論の面接諮問の時、突然、大学院へ進まないか、と言われて、大変戸惑った。既に、函館ラサール高校が内定し居て、卒業後は北海道へ行く予定だったのである。学生時代の私は、重友先生との接触も少なく、卒論指導は、2回のみ、極めて、短時間だった。そのような状態の結果だろうと思う。

●法政の大学院へ進んだら、秋成の国学を研究しようと、密かに考えていた。宣長は偉大ではあるが、どこか、とらわれているところがあるように、薄々、感じていた。それを、秋成との関係で解明したいと思ったのである。「田舎におは」した宣長と関係しているようにも思う。

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  • 2019.07.23 Tuesday
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