川宗家と甲斐の山猿

2018.11.29 Thursday

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    川宗家と甲斐の山猿

    ●平成21年(2009)9月12日、第36回・東京原村会で、お話しする機会を頂いた。それまで研究してきた、幕末旗本女性・井関隆子に関して話すように、という斎藤会長さんの依頼によるものであった。現在の身延町になる前の、原村会、親戚もいた、同級生もいた、隣近所の人々もいた。八日市場・大子山・伊沼・飯富などの人々が集まる。そこで、〔徳川宗家と甲斐の山猿〕というようなサブタイトルを付けた。
    ●実は、私は、徳川将軍家、第16代・徳川家達(いえさと)の娘の繁子氏と交流があった。徳川繁子氏は、伯爵松平直国の妻であったが、非常に学問好きであって、昭和57年9月、縁あって『井関隆子日記』を差し上げたところ、大変喜ばれ、一度会いましょう、ということになった。お会いするのを楽しみしていた。
    ●ところが、その12月に繁子氏は他界されてしまった。 12月11日に上野寛永寺で葬儀・告別式が行われ、私も参列した。緋の衣の僧侶が10人以上はいたと思う。造形美術大学の上木敏郎先生と一緒に行ったが、上木先生が御多忙ということで、焼香の順番を繰り上げて、親族の次に変更してもらった。
    ●お焼香までの間、私は、そこで、徳川家の親族の方々の会話に接した。徳川時代にタイムスリップしたのではないかと、大変なショックを受けた。一族の間では、このような儀式の時には、現在もなお、江戸時代の言葉遣いで、その仕来りが伝えられているのである。
    ●世が世であれば、甲斐の山猿の子孫の私が、徳川将軍家の葬儀に参列して、親族の次、まるで大老・老中の順番で焼香する事などは不可能である。これも、研究の御蔭かも知れないと、このようなサブタイトルを付けた。
    ●東京原村会も、多忙な時は参加できなかったが、原小学校の同級生、望月光弥君が会長になってからは、積極的に参加した。それで、このようなチャンスを頂いた。感謝感激、お礼の意味で、『旗本夫人が見た江戸・・・』を30冊ほど持参して、抽選で差し上げたら、サインしてくれと頼まれた。何か、有名人になったような気分を味わった。有難い思い出である。


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    2018.12.14 Friday

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