鈴木棠三先生

2018.11.27 Tuesday

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    鈴木棠三先生

    ●菊池先生のエッセイで、鈴木棠三先生の筆名に関して述べておられる。私は鈴木先生の改名に関して知らなかった。

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    筆名
    2018/11/26_Mon_15:35

    鈴木棠三とは筆名だという。親が付けた名は「脩一」。昭和九年八月から「棠三」という筆名を使うようになった。杉浦翠子先生の改名令によってだという。戸籍はどうなったのか知らない。
    このことはウィキペディアには書いてないが、『20世紀日本人名事典』には「本名 鈴木脩一」とある。私は『藤岡屋日記』「編集のしおり」によって知った。
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    ●私は、桜山文庫の『井関隆子日記』に出会った頃、鈴木先生に初めてお会いした。『井関隆子日記』の件を、前田金五郎先生に報告しておいたところ、前田先生から鈴木棠三先生に伝わり、鈴木先生から、神田の錦正社の新企画の叢書に収録したいので紹介して欲しい、と依頼された。結果的には、錦正社の企画が中止となったが、これをきっかけに、毎年、横浜で行われていた、鈴木先生の〈棠門会〉に参加させて頂くようになった。
    ●棠門会は、鈴木先生と関係のある、その道、その道の専門家と、出版社の編集者が集まった。鎌倉の先生のお宅へも、何回か伺ったが、小高い丘の上の家で、見晴らしが抜群だった。何よりも、書斎がすごかった。コンクリートの床で、広いスペースに机が3つ並んでいて、同時に3つの原稿を執筆しておられた。背後は、全て移動式の書架だった。周囲の壁面には、天井まで、参考図書が並べられていた。鈴木棠三先生は、このような環境の中で、あの大量の著作を執筆されていたのである。
    ●平成4年(1992)7月13日、先生は、御他界なされた。82歳だった。告別式は、7月16日、鎌倉市御成町の葬儀所で行われ、東京堂の松林氏、芸林舎の神田氏、講談社の今井氏、錦正社の中藤氏、三一書房の社長さん、等々の方々と共にお見送りした。
    ●『井関隆子日記』の調査に関しても、多大な御指導を賜わった。佐渡の山本修之助氏にも紹介して下さった。その学恩は忘れられない。

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    2018.12.14 Friday

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