名刺 雑感 

2018.10.08 Monday

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    名刺 雑感 

    ●池田猛雄氏は、笠間書院の社長さん。私は、田中伸先生の御配慮で、『可笑記大成』を笠間書院から出版して頂いた。文部省の助成出版である。当時、私は、誠文堂新光社の辞典部で、漢和辞典の編集をしていた。同じ神田だったこともあり、ちょくちょく、笠間書院へ伺って、社長さんに、非常に多くの事を教えて頂いた。誠文堂新光社の創業者小川氏が水戸出身ということもあって、社長さんは、深沢さんは、著者なんだから、もっと、堂々と振舞いなさい、と激励して下さったのである。当時、笠間書院は社員は少なかったが、出版点数は、驚くほど多く、そのノウハウを社長さんから教えて頂いた。忘れがたい、出版人である。
    ●このあたりに、中村さん、高島さん、山田さん、がある。みんな、勉誠社の編集者である。私は、横山重先生、前田金五郎先生の御配慮で、勉誠社の『近世文学資料類従』に参加させて頂き、池嶋社長さんにも、あたたかく接してもらった。
    ●忘れられないのは『井関隆子日記』のことである。神田のK出版の依頼で着手した『井関隆子日記』全3巻の原稿、3000枚が仕上がった段階で、企画倒れになってしまった。仮名草子研究を中断して仕上げた仕事だけに、この日記は、どうしても出したかった。
    ●昭和52年4月30日(土) 意を決して、勉誠社へ伺った。原稿の一部と原本を持参して、出版の意義を説明して、お願い申し上げた。企画会議の席上、編集者の反応は厳しかった。しばらく検討して下さる、とのことで、原稿を預けて、辞去した。
    ●5月7日(土) 池嶋社長さんから電話あり、『日記』を出して下さるとのことになった。社長さんは、御自分で原稿を読み、日記文学として出しましょう、と申された。私は、電話の前で、何回も何回の頭を下げて、心からの御礼を申し上げた。
    ●5月11日(水)勉誠社にて、出版条件等の打合せ
    ◆出版社=勉誠社、書名=『井関隆子日記−天保期、旗本夫人の日記』(仮題)、判型=四六判、本文9ポ、注6ポ、構成=上巻・天保11年、中巻・天保12年・13年、下巻・天保14年・15年、解説、索引、原稿引渡し=上巻52年7月末日、中巻52年9月末日、下巻52年10月末日、刊行=隔月刊の予定、発行発行部数・定価=初版1000部、各2500円(予定)、印税=初版は本で、再版は鹿島氏5%、深沢は本で、万一の場合に備えて、原本をマイクロフィルムに撮影する。出版契約書は原稿引渡しの時に作成する。
    ●この件、鹿島則幸氏の承諾を得て進行した。結果は、
    ◎上巻=昭和53年11月15日発行、4500円
    ◎中巻=昭和55年8月15発行日、4500円
    ◎下巻=昭和56年5月25日発行、4500円
    ●鹿島則文の桜山文庫の中に、この日記と出会ってから、8年後に完結した。仮名草子研究者としては8年間の寄り道だったことになる。

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    2018.12.14 Friday

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