真下英信氏の評価

  • 2020.03.31 Tuesday
  • 00:05
 真下英信氏の評価

●平成21年(2009)3月、古代ギリシア哲学の研究者、真下英信氏の研究に出会った。真下氏は、私の文春新書『旗本夫人・・・』を見て『日記』に興味を持ち、読み始めたと申された。以後、次の論文を発表された。

◎「『井関隆子日記』に見られる地震の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』26号、2009年3月
◎「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』29号、2012年3月
◎「音で読む『井関隆子日記』:天気の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』30号、2013年3月
◎「音で読む『井関隆子日記』:鳥」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』31号、2014年3月
◎「音で読む『井関隆子日記』:物売り」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』32号、2015年3月
◎「『井関隆子日記』が綴られた頃の江戸の天候について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』33号、2016年3月
◎「『井関隆子日記』天保15年4月29日の日付について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』33号、2016年3月
◎「『井関隆子日記』 月の初日と末日の記述について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』34号、2017年3月
◎「『井関隆子日記』天保11年7月3日の日付について」『慶應義女子高等学校研究紀要』34号、2017年3月
◎「井関隆子の防災意識に学ぶ」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』35号、2018年3月

●真下氏の論文は、我々国文学の論文とは異なり、自他の説を峻別して論理的に記述されている。ここでは、「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」(2012年)の一部を紹介したい。この論文には、80の注記があるが、この引用では省略した。

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「 おわりに

〔己が幼かりし頃〕との語句の繰り返しの減少理由として二点考えられるが、分けても天保の改革を期に隆子の関心が大きく現実の政治に向けられることになったことが大きかったと思われる。改革を一つの契機として国の内のみならず外の政情も大きなうねりとなって井関家が仕える江戸幕府を襲うことになった。時代の大きな変化の端緒に生を享け人にまさる教養を身に付けた隆子は、生来の感性と持ち前の文章力で時代の動向を精緻に描写していくことに強い関心を持っていた。さらに、天保十五年にも〔己が幼かりし頃〕のパターンが出ているのは、単なる回顧でなく、後世に伝えたい過去の事実を綴ることに隆子の意図があったと考えられる。彼女の筆先が向けられたあらゆる対象も過去現在未来を含むあらゆる時間も隆子は完全に同じ眼差しと言うか同一軸上に置いて記述している。彼女の眼差しは、森羅万象、時空を超えて事実を綴ることに徹していた。身辺に日々生起している様々な事象を書き留めようとする隆子の思いは終始丿貫していた。例えば、前述の猫の観察である。彼女は大の猫嫌いであった。しかるに彼女は猫の行動や習癖を微に入り細に入り観察し、猫好きも唸るかのごとく正確に記述している。ここには彼女が単に己の好悪の基準で物事を判断しない性格の持ち主であった事実が明瞭に示されている。しかも、人間を絶対視するのではなく生き物すべてを相対視する余裕をも持っていた。人物評価も風聞に惑わされることなく己の眼で観察している。彼女が実見したはずもない心中場面の記述も日記の他の部分と同様に持ち前の筆力に任せて客観的な筆致で語られて行くのも偶然ではない。これを単なる彼女の創作と切り捨てるのはいかがであろうか。「メーロス島対談」がたとえツキディデスの創作であったとしてもこの記述によって彼は当時の残忍酷薄な権謀術策の実態をあまねく今日に伝えることになったではないか。隆子の筆にかかればこそ相思相愛の男女の心性は鮮やかに蘇り昔日の貴重な証となっているのである。彼女はここで時代とそこに生きた男女の本質を見事に摘出していると言うべきではなかろうか。今も昔になるとの信念を基に人間の本性とは何かを綴ろうとしたのである。また、シュラクーサイの石切り場の狭隘な窪地に押し込められ蝟集するアテーナイ人らの捕虜の悲惨な状況を「静」とすれば江戸城の火災で炎に追われる人々と死体処理の描写は「動」たる迫真の記述である。しかも,幕府の内実を記述する手法も庭の景観の記述や仏教批判などといささかも変わるところがない。

 日記には、彼女の言葉を借りて言えば、人間世界の様々な変わること変わらぬことの背後にある時代を超えた普遍的なものが綴られている。人間の本性は昔も今も不変との意識を持っていた。ここにあって隆子は現在に焦点を合わせた。彼女は常に今を過去と照らし合わせながら考察し未来にも価値あるもの、時代の証となるものを綴ろうとした。その限りにおいて、彼女の関心は常に現在にあった。それ故に、当時流行の考副随筆的な考察に没頭することはなかった。往時を偲ぶとはいえ単なる尚古主義を信奉したわけではない。隆子は過去の事績、習俗あるいは慣習にせよそれらが人間の本質を顕している限りにおいて興味を持てたのである。そもそも人間はパスカルが述べているように現在に生きることがない。だが、隆子は現在の生に徹して過去さらには未来をも展望していた稀有なる人であった。深沢秋男は「隆子は、今、自分の生きている時代を、過去・現在・未来という時間の流れの中、歴史の中でとらえている」、しかも「人間不変という、重要な要素を隆子はきちんと忘れず付加している」と述べている。同感である。

 年代が進むにつれて日記の記述項目に変容があったとしてもそれは隆子の執筆態度の変化ではない。彼女を取り巻く時代が変化したのである。あたかも大広間の梁に止まって、オデュッセウスが求婚者たちに復讐する場面をじっと眺めているつばくろの姿をしたアテーナー女神の眼にも似た筆致で彼女は常に日記を綴っている。時代の動向に動じることなく常に淡々としかも正確に記述七ている。加えて、並々ならぬ文章力と秀逸なる筆致にはいさヽかの揺らぎもなく、「隆子の文体は、五年間変わる事は無かった」のである。隆子の日記はその時々の雑多な主題をただ書き連ねた散漫な記述との印象を時には読者に与えかねないが、記述全体に通底するこの迫真性こそが彼女の日記を魅力あるものにしている。『井関隆子日記』の魅力は、作品を分析するよりもむしろ統一的に解釈する事によってのみ感じることができるのである。

 ところで、さすがの彼女も阿蘭陀学あるいは出版の自由の概念を理解することなく、さらには幕府崩壊の足音を察知することも出来なかったように見受けられが。だが、彼女の日記を一読すると、我々は来るべき激動の時代の予兆を数々読み取れる。例えば、前述の上知令の撤回と言う幕府の失政、水野忠邦の施政に反発する民衆の不満の爆発の凄まじさ、外国船の頻出、さらには三方所替の撤回、大塩平八郎の乱や甲斐の国の一揆、天皇と将軍の関係の議論、幕臣への下賜品の減少に認められる幕府の財政窮乏の実態等々、読者は幕藩体制の衰微の兆しを体感出来るのではなかろうか。

 それ故、日常生活の日並み的な記述に紛れ込みしかも一見無秩序に語られている様々な事件や逸話は、時代の的確な動向を記述している貴重な史料である、と筆者は考えたい。隆子の日記は自然を含め人間世界のあらゆる事象を明らかにしようとする明確な意図の基に綴られているのである。

 ツキディデスの『戦史』を一読した者なら誰しも、己の時代を未来に伝えるべく日記を綴るには自己自身の営為の確立すなわち現在への犀利な洞察があればこそ可能となる、との思いを強くするのではなかろうか。隆子は政治的亡命を余儀なくされる事もなく四季折々の変化と家族団欒を楽しみながらも日常性に埋没することなく、その背後に潜む社会の実態を鋭い眼で客観的に記述した。かかる洞察力なくしては過去並びに現在の記述は単なる復古趣味に堕す。人間の本性に照らしあわせて過去と現在を綴ろうとした隆子の姿勢はまさに歴史家のそれと言ってよい。それ故に、『井関隆子日記』は秀逸なる文学作品であると同時に幾多の重要な史実が記載されている優れた歴史書であると評価出来る。             (2011.11 24)」

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●このような、評価を受けた、井関隆子はラッキーだ。もちろん、私も同様である。
2020年3月31日