『井関隆子日記』の発見と価値

2017.07.27 Thursday

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    ●●私は、今、研究生活を振り返って、自分の出した本の解説などを整理している。全く無名の女性の書いた著作物を〔文学作品〕と評価するまでの、苦しみと、自分の批評眼のレベルの披瀝でもある。

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    【追 記】

    〔1〕『井関隆子日記』との出会い

    ●仮名草子研究を続けている私が、桜山文庫の写本「天保日記」全12冊に出会ったのは、昭和47年のことである。その翌年、神田の出版社・錦正社から新シリーズの叢書を出すので、この日記に注を付けて欲しい、と依頼された。写本を読んでみると、これは、価値がある日記と判断し、作業にかかった。上中下の3冊で刊行することになり、ようやく上巻の原稿が完成した時、錦正社の企画が中止となってしまった。あちこちの出版社に打診しても引き受けてはもらえなかった。

    〔2〕『井関隆子日記』の出版

    ●私は仮名草子に戻らず、この日記の原稿作成に没頭した。3000枚の原稿は仕上がったが、出版してくれる出版社はなかった。昭和52年5月、勉誠社に原本と原稿を持参した。池嶋洋次社長と編集者に会ってもらって、出版を検討して欲しいとお願いしたのである。
    ●忘れもしない。5月7日、勉誠社の池嶋社長から電話があった。出しましょう、とのお言葉。私は天にも昇る思いだった。どのような形で出して下さるのですか? と問うと、「日記文学として出しましょう」と申される。池嶋氏社長は、自ら手書きの原稿を読まれ、このように判断してくれたのである。私は、電話の前で、深ぶかと頭を下げて、心から御礼を申し上げた。
    ■勉誠社版『井関隆子日記』
     上巻・・昭和53年11月30日発行
     中巻・・昭和55年 8月30日発行
     下巻・・昭和56年 6月 5日発行

    ●『井関隆子日記』は、著者も校注者も無名の故に、さっぱり売れず、出版社には在庫の山となり、大変ご迷惑をかけてしまった。私は、在庫品を特別価格で頂いて、昭和女子大学の国文科の講読に使用した。高価なテキストの授業を履修してくれた、学生に感謝している。

    〔3〕『井関隆子日記』の評価

    ■参考文献 抜粋
    ●新田孝子「井関隆子の文芸―館蔵『さくら雄が物かたり』の著者」(『図書館学研究報告』東北大学、13号、1980年12月)
    ●ドナルド・キーン「井関隆子日記  Ν◆Ν(百代の過客―日記にみる日本人―)」朝日新聞、1984年4月4日・5日・ 6日
    ●吉海直人「新出資料『物かたり合』の翻刻と解題―井関隆子周辺の創作活動―」(『同志社女子大学 日本語日本文学』8号、1996年10月)
    ●深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
    ●真下英信『古代ギリシア史論拾遺』私家版、2008年2月
    ●真下英信「『井関隆子日記』に見られる地震の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』26号、2009年3月
    ●真下英信「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』29号、2012年3月
    ●真下英信「音で読む『井関隆子日記』:天気の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』30号、2013年3月
    ●真下英信「音で読む『井関隆子日記』:鳥」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』31号、2014年3月
    ●真下英信「音で読む『井関隆子日記』:物売り」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』32号、2015年3月

    ■『井関隆子日記』は、次の大学入試に出題された。
    〔1〕平成11年度、センター入試「国語・古典」本試験に出題
    〔2〕平成11年度、センター入試「日本史」追試験に出題
    〔3〕平成20年度、明治大学入試「国語・古典」に出題
    〔4〕平成23年度、京都大学入試「国語・古典」に出題

    ■評価の例 
    「第四に挙げる作品は、旗本女性井関隆子(一七八五〜一八四四)による『井関隆子日記』である。天保一一年から一五年までの五年間、変化しつつある社会を政治も含めて見聞し、また多くの書物を読み、それらについて思索しながら膨大な日記を書き続けた。その文体は町子や麗女と相違して、和文である必要性はなかった。平易でありながら行き届いたものであり、近世における女性の随想文の一つの到達点としても良いだろう。思索の内容は、政治社会論や女性論に注目すべきものがある。」(鈴木よね子氏『日本女性文学大事典』)
    ●『井関隆子日記』の文章は、決して、当時の国学者の多用した擬古文ではない。言ってみれば、古代語ではなく、近代語の文章なのである。これが、文学としては評価されるところだと思う。

    ■評価の例 
    ●真下英信氏「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」(『慶應義塾女子高等学校研究紀要』第29号、2012年3月刊)
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    はじめに
    “日は落ち全ての道は次第に暗くなっていった”。これは古代ギリシアの叙事詩人ホメロスの作品『オデュッセイアー』で七度繰り返されている一行である。筆者は夕暮れ時に散歩すると無意識にこの詩句を口ずさみ,楽しくも刺激的であったギリシア語の授業を時折思い出す。昔,辞書を引きながらホメロスの原典を読み始めた時,この一句から強烈な印象を受けたからである。その理由の一つはたわいもないことで,この詩句が現れると辞書を引くことなく容易に一行進めた喜びであった。アオリストと未完了の絶妙な対比にも魅せられた。また,主人公が海の真っただ中を航海しているときにもこの一句が使用されているのに何とも言えぬ奇妙さに襲われたからでもあった。道はどのように整備されていたのかを考えるのも楽しかった。
     ホメロスの叙事詩とは成立年代も文学形態も全く異なるとは言え,『井関隆子日記』を読むと同じく繰り返し現れる語句があることに人は気付く。多少の変型があるが,“己が幼かりし頃”との一句である。これらの語句は,5年間にわたって綴られた日記のなかでも特に最初の1年,天保11年に多用されている。この語句の繰り返しから我々は彼女の日記のどのような特質を読み解くことが出来るのかを検討するのが本小論の目的である。結論として,隆子は日記を綴るにあたり常に人間ひいては自然の本性を書き留めることに努めており,この態度は5年間不変であった。変わったのは彼女が生きていた時代そのものであり,それ故に彼女が綴った日記は秀逸なる歴史書と見なせるのではないか,との主張がなされるはずである。  【以下略】
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    おわりに
     ツキディデスの『戦史』を一読した者なら誰しも,己の時代を未来に伝えるべく日記を綴るには自己自身の営為の確立すなわち現在への犀利な洞察があればこそ可能となる,との思いを強くするのではなかろうか。隆子は政治的亡命を余儀なくされる事もなく四季折々の変化と家族団欒を楽しみながらも日常性に埋没することなく,その背後に潜む社会の実態を鋭い眼で客観的に記述した。かかる洞察力なくしては過去並びに現在の記述は単なる懐古趣味に堕す。人間の本性に照らしあわせて過去と現在を綴ろうとした隆子の姿勢はまさに歴史家のそれと言ってよい。それ故に,『井関隆子日記』は秀逸なる文学作品であると同時に幾多の重要な史実が記載されている優れた歴史書であると評価出来る。    (2011.11.24)
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    ●引用が長くなったが、真下氏の論文は、推敲に推敲を重ねられた、濃密なもので、簡単に引用出来ない。このような研究に出合った、井関隆子は幸せ者である。私などには、とても到達できない、作品の深奥である。私としても、心から感謝申し上げる。

    ●今後、『井関隆子日記』の文学的価値に関する研究は、ここに掲出した、真下英信氏の論文と、新田孝子氏の、「井関隆子の文芸――館蔵『さくら雄が物かたり』の著者」(東北大学『図書館学研究報告』第13号、昭和55年12月)等を吸収、理解して進める必要がある。
              平成27年(2015)5月7日
                       深沢秋男

    〔4〕余談

    ●私事であるが、結婚後、妻は、私の研究に全面的に協力してくれた。妻の協力が無ければ、今の私は無いと思う。図書館へ行って、『国書総目録』から「仮名草子」作品を拾い出してくれたこともあった。コピー機が珍しい頃、コピーに出掛けてくれたりもした。『井関隆子日記』の原稿は、3000枚、全部、妻が清書して仕上げてくれた。
    ●昭和53年『井関隆子日記』の上巻の初校の校正をしていて、私は、こんな生き方でよいのだろうか、と疑問に思った。凡例の末尾にある、妻の協力に対する謝辞が気になった。本当に世話になった本であるから、感謝の言葉を記すのは当然だろう。しかし、これは、おかしい、そう思った。
    ●私は、妻を書斎に呼んで、初校の、妻への謝辞の部分を見せて、これはトルよ、と告げた。今後は、一切、私に手伝わないようにして、自分のやりたい事に時間を使って、自分らしく生きて欲しい、と、それまでのお礼と、今後のお願いをした。今後は、自分が一生続けられる、好きな事をして欲しい、と伝えたのである。
    ●妻は、美容学校へ行き、美容師になり、今は、美容院を経営して、毎日従業員と一緒に、元気に働いている。私は、よく、妻の使い走りをしている。

                           平成28年12月17日
                                  深沢秋男
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    ■新田孝子
    井関隆子の文芸
    ――館蔵『さくら雄が物かたり』の著者―― 1980年


    ■真下英信
    『古代ギリシア史論拾遺』2008年