『春雨物語』のテクスト――その後

2017.10.16 Monday

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    ●今日、ネットで、高田衛氏の『春雨物語論』の書評を読んだ。小澤笑理子氏の「書評 高田衛著『春雨物語論』」である。ネット上にPDFでアップされていて、その掲載誌は、確認出来なかった。しかし、一読、とても楽しい内容であった。『春雨物語』のテクストは、その後、こんな経過を辿っていたのか、それが推測できるものだった。高田氏の本は、2009年12月、岩波書店から出版されたもの。その書評ゆえ、2010年ころのものだろう。今から7年位前のことになる。
    ●私は、学部学生の頃、法政大学で行われていた〔秋成研究会〕にも、何回か参加していた。そこで、高田衛氏、中村博保氏にお会いしている。もちろん、言葉など交わしてはいない。遠くから、拝見したのみである。さて、小澤氏は、その書評で次の如く述べておられる。
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     五〇年の起点は、中村幸彦氏の校訂による古典文学大系所収の
    『春雨物語』〔以下〈中村本〉とする〕出来に置かれる。
     『春雨物語』を読む上で不可欠な、どのテクストを選ぶか、と
    いう問題と関わるのであるが、『春雨物語』が出板された作品で
    はなく、複数の稿本によって残ったという事情、さらにそれらテ
    クストが少しずつ異なり、いずれもが「異本関係」にあるという
    ように近世の作品としてはやや特殊な様相を示しているという前
    提がある。〈中村本〉は、自筆稿本である富岡本、天理巻子本を
    基本に、さらに「樊噲」で欠けた後半部分を別の稿本によって補
    うという、いわば継ぎ接ぎして全体を復元したものである。ゆえ
    に作品論を展開する上で〈中村本〉をテクストとするのは研究に
    は馴染まないとするのが、近年ではいわばごく標準的なスタンス
    である。諸本成立の問題は『春雨』研究の前提となる重要課題と
    して、中村幸彦氏をはじめ、中村博保、浅野三平、深沢秋男、長
    島弘明、木越治ら諸氏の研究・検討が重ねられ、その画期として
    『上田秋成全集』第八巻の出来をみた。さらに長島弘明氏によっ
    て、春雨草紙→天理冊子本→富岡本→天理巻子本→文化五年本原
    本…桜山文庫本〜西荘文庫本・漆山文庫本という成立過程に整理
    されるに至っている。私もその過程を〈研究史〉としては理解し
    ているつもりでいた。
     しかしながら、高田氏はそれを承知の上で、「中村幸彦の最良
    の判断によるテクスト作成」という。また、本書で五年本を作品
    論の基準として採用したことについて「中村本の存在という安定
    感の上で行った」と述べている。これらは私にとっていささか意
    外な響きのある言辞であった。だが、思いめぐらせてみれば、木
    越治氏の「『春雨物語』諸本研究史の試み」(『秋成論』所収)は、
    〈中村本〉に真っ向から挑戦したものであるし、『上田秋成全集』
    の刊行によって各稿本を一覧できることの意味、さらにこれら諸本
    をめぐる研究の進展についても、〈中村本〉という基準が存在す
    る上に展開された、そのことを再認識できたのは大きな収穫で
    あった。私個人の問題としてだが、テクスト間の異同によって読
    み解くことの可能性に思い至ったのも、そもそもすぐそこに〈中
    村本〉が始点としてあったから、ということを改めて実感として
    気付かされたのである。
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    ●私は、昭和61年(1986)2月発行の『桜山本 春雨物語』の中で、次の如く述べている。

    「明治以後現在までの、諸先学が作られた、秋成の『春雨』の本文を一覧して気付くことが一つある。それは底本の使い方についてである。これらの中の、12・13・15・17・19の各校注本の底本の使用状態をみると、果たしてこれで良いのか否か、少なからず疑問が残る。確かに文化六年本(最終稿本)が秀れた本文である事は問題ないにしても、統一体としての一編の本文を作るのに、創作時点の異なる本文を組み合わせる事は果たして許される事であるのかどうか。私は精粗の差のある本文を取り合わせて使用すべきではないと思う。」
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    ●秋成研究という点からは、私は門外漢である。しかし、私が順調に法政の大学院へ進んでいたならば、重友先生の下で、上田秋成を研究する予定だった。学部の頃から、秋成が大好きだったのである。心情的には、私は、門外漢では無かった。そうでなければ、重友毅先生や中村幸彦先生の研究を批判する訳がない。
    ●小澤笑理子氏の書評の御蔭で、『春雨物語』のテクストに関する、その後の状況を知ることができた。学問の世界は、これだから楽しい。